14 白井 景

白井 景①

 河川敷では立ち並ぶ人間樹が私を迎え入れた。


 その場所に立ってみると、マンションから見下ろすよりずっと密度を増して感じられる。かれらは同種の樹木でありながら、一本一本が――あるいはひとりひとりが――異なったかたちをしていた。まっすぐ天を見上げるものや、幹を直角まで折り曲げたもの、万歳をするように大きく枝を広げるもの。さながらそれは、人それぞれの持つ個性や人格があらわれるような眺めだった。


 やさしくも温かい風に波立つ川面がうららかな春の日を湧き上がらせ、それはかれらを照らしながら、かがやかしい未来を祝福するようでもあった。


 約束の場所は、私とみどりの担当区域との境だった。


 車両通行止めのポールに車を停めて歩いていくと、見慣れた景色に混じって一人でベンチに座る折戸の姿が見えてくる。


 前屈みになるのは、どうやらスマートフォンを見つめているらしい。なにを見ているのか、ずいぶん熱心な様子だった。


 その姿を見て、スマートフォンを充電器につないだままだったことに気付く。

 取りに戻るべきか、悩む間もなく折戸が顔を上げた。


「白井さん、お久しぶりです。まあ、言うほどでもありませんけど、そんな気がしませんか」


 澱みのない口調だ。むしろ、この状況にあっては不気味なほどに。


「そうかもな。なあ、話だったら車の中にしないか? 悪いけど急いでるんだ」

「わかります。でも、すみません。ここで話したいんです。白井さんも、藤野さんのことは知りたいですよね?」

「……わかった。それでいいよ」

「助かります。じゃあ、こっちへ」


 と、折戸は隣に並んだベンチに座るよう勧めてくる。その真正面には人間樹が立っていた。顔を上げれば、目をこらさずとも木肌に裂け目が、その隙間から覗く畸形の体が想像されてしまうほど近くに。


「悪いけど立ち話にするよ。そいつが嫌だ」

「そうか、ええ、それもそうですね。じゃあぼくはすみませんがここから失礼します」

「好きにしてくれ」


 折戸はほほえみ、悪びれるでもなくゆったりとベンチに背中を預けた。血色はよく、目の周囲には疲れが見えなくもないが、初めて会った日よりはよほど健康的な印象を受ける。一方で、無地のシャツと灰色のパーカーと、どちらもくたびれて皺が目立ち、首もとは黒ずんでさえいるようだった。時おり感じる汚れた汗のような甘酢っぱい臭いは、彼のものなのかもしれない。


「怪我は大丈夫ですか?」


 せめてなにか持ってくるべきだったのかもしれないが、車までの道に障害物はない。いざとなれば逃げるのもむずかしくないだろう。

 ともかく、早く話を済ませるよりほかない。


「痛みは引いたよ。で、波美に話せないことってなんなんだ」


 しかし、彼はこたえない。


「調べていました。窩ヶ森を離れてから、ずっと。図書館に行って、古い新聞なんかをひたすら漁りました。ここ数日はどこでも好きに入れるようになって、こんなときだけど助かりましたよ」


 と、私のほうを見ずに話したと思うと、かたわらに置いた茶封筒から新聞の切れ端を差し出してくる。そこにはこんな記事が掲載されていた。


〈胎山市山中にて謎の遺蹟発掘〉

  十日、胎山市旧窩ヶ集落にて地下に埋没された多量の陶器、建材、装飾品等が発見された。集落は長く住人がおらず、根井氏が住居を建築するため地盤を調査していたところ、件の遺蹟が発掘された。遺蹟は集落全体、十数メートル地下まで広がっており、氏は発掘を一旦中止、今後胎山市が調査を引き継ぐ予定となっている。過去、旧窩ヶ集落では住居家財を残して住人が消失するという事件が起きており、市は必要であれば警察と協力の上で調査を進めると発表した。(写真は発掘された銅製の円盤)(一九五〇年六月一二日 越濃新聞)


 そのように結ばれた記事には錆びた円盤の写真が添えてあり、その表面に描かれたのは、窩ヶ森で、根井の家で見たあの門のような図像だった。


「どうですか」


 と折戸がたずねたその瞬間、私は覚えず振り返る。背後に誰か、立っているような気がしたのだ。しかし景色に変わりはない。斜面になった河川敷の野原を吹き抜けた風が、ヒメジョオンやハマダイコンの可憐な花々を波打たせていた。


「……どうってなにがだよ」

「そのまま、どう思ったかっていうことですよ」

「どうもこうもない、あの門はなんなんだよ。遺跡がどうこうとか住人の消失とか、根井のことも、わかるなら説明しろよ」


 そうまくしたてると、折戸は満足したようにうなずいて数十枚の紙片を差し出してくる。それはどうやら上空から集落付近を記録した写真であるらしく、一九四七年をはじめとして毎年撮影されているようだった。


 果たして写るのは山々と、深い森だ。


「窩ヶ森の航空写真です。わかりますか? 遺跡が発掘されてから道が整備されている」


 折戸の言うことは、年代の古い写真を見比べるとよくわかった。木々に隠れながら、森の中に道路が敷かれていく。しかし道の整備を待たず、一九五二年になると突然山中に建造物があらわれた。それが私たちの目にした根井の家なのだろうか。


「もう一度、窩ヶ森へ行ったんです。胎山市で図書館や資料館をまわってみたんですがなにも見つからなくて、結局現地しかないと思って」


 そう言って、折戸はスマートフォンを差し出した。車の前方を映し続ける車載カメラらしい映像は、山中の緑道を登る途中から始まっている。


 やがて森がひらけると、窩ヶ森の集落が見えてくる。しかしその景色は、記憶の窩ヶ森とは、一度目とも二度目とも異なっていた。家々が存在しないのだ。道沿いに並んでいた粗末な家は残らず消失し、野放図に背を伸ばした草叢が広がっている。それはほとんど草原のような眺めだった。


 車が速度をゆるめ、画面に激しいぶれが起きる。スマートフォンを持ち上げたのだろう。レンズが運転席の窓から横を向くと、そこには家の痕跡が残っていた。草叢に隠されていたのだ。道々にあったはずの家は、すべてそのようにして草叢に呑まれているらしい。まるで、千年が過ぎたかのように。


 カメラは集落を抜け、いよいよ根井の敷地へ入っていく。下草に浸食されたツバキの生垣を横目に、木々が傘を広げる緑のトンネルを抜け、すると屋敷があった場所には、地面の黒く焦げた跡だけが残っていた。


 少なくとも、あの炎はたしかだったのだ。


 映像は動き続ける。燃えた屋敷は片付けられたのだろうか、周囲には瓦礫も残っていない。焼けた大地だけがあの巨大な火災を記憶していたが、その地面にすらもう、新芽が伸びてきている。黒い大地をまだらに染め、すぐに新緑が炎の痕跡さえ消してしまうのだ。あれほどの炎でさえ、ほんのささやかな時間で。


「ここからです」


 折戸は言う。

 その目が暗いかがやきを帯びる。


 人間樹の庭はやはり燃え尽きたらしく敷地に残っていなかった。しかしその最奥、家守の木のあった場所に近付くにつれゆっくりとなにかが見えてきて、折戸が足を止める。


 それは最初、巨木のうろ穴のように思われた。しかしカメラがズームをすると、なにかの構造体が背後の森と、森のたたえる影と溶け合って樹木を錯覚させたのだとわかってくる。


 ズーム。


 最大まで拡大された映像は、粗いながらも構造体のかたちをはっきりと映す。それは巨大な門であるようだった。あの図像と同じ、長方形の上部がアーチ状になった門。門は樹木の色をしていた。明るい木肌にあざやかな緑をくわえ、そして灰色の蔓が絡みついていた。門はすべて、人間樹を素材としていた。数多の人間樹が身を寄せ合い、折り重なり、織物を編み上げるようにしてその門は建造されているのだった。


 そしてまた、一本の人間樹が枝を大きく伸ばして門を構成するかれらと絡み合い、その一部となっていく――途中で映像は終わる。


 暗転した画面が、澄み渡った青空を反射している。


 私は唖然とし、身動きが取れなかった。いま見たものはなんなのか。人間樹の門。どうして映像はそこで終わり、私になにを伝えようというのか。


「白井さん。怪我の具合はどうですか」


 折戸はいまさら世間話でも始めるかのように軽くたずねると、見せつけるように、ポケットにしまっていた左手を取り出す。


 副木を着けていない。


 折戸の左手、その小指は根元から完全にへし折られたとは信じられないほど、きれいな色かたちを取り戻している。


「見ての通りですよ」


 と、彼は小指を曲げてみせた。てのひらにつくほど丸め、右手を使って反り返らせ、完治した、あるいは最初からなにも起きていなかったかのように元通りになった様子を見せつけた。


 そのてのひらを、長く伸びた蔓が這い回っている。


 私は怪物に迫られるような心地で、自分の左手を見る。ほんの一週間前に完全骨折をした小指には、副木と包帯が巻かれている。おそるおそるふれてみるが、痛みはない。握り、曲げ、ひっぱってみても痛みは感じられない。


 包帯を剥がすと、そこはきれいな肌の色をしている。

 副木を外すと、そこは元通りのかたちをしている。


 思うままに動く。


 治っているのだ。


 あれほどの外傷が、完全に。


(――特筆すべきは、感染者のもっていた病気、内臓疾患や腫瘍、外傷なども快復するという……)


「どうしますか」


 折戸は決断を迫るように、じっと私を見据えた。


「もう、時間は少ない」

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