藤野 波美③

「始めるぞ」


 景さんは毛抜きを握りしめ、あたしの手をとった。


「痛かったら止めるからな」


 そんなふうに言いながらソファのそばにかしずき、目を細めてはあたしから伸びた蔓をじっくり見つめている。よほど緊張するらしい。そういう姿を見ていると、気持ちが穏やかになっていくのが感じられた。


「ひとおもいにやっちゃってください」


 すると景さんも覚悟を決めたらしく、手の甲から伸びた灰色の蔓を掴んでひと息に引き抜いた。やはり痛みはなく、穴もすぐに塞がる。体内から蔓を引きずり出されるその奇妙な心地良さは、すこし癖になりそうだった。


「どんな感触です?」

「どんなっていうか、ムダ毛処理だな、これ」

「じゃあどんどんお願いします」

「おまえさあ」

「意外と緊張してるんですよ?」

「たしかに、手、冷たいな」


 と、景さんはあたしの“草むしり”に本格的に取り組みはじめる。最初はたどたどしかった手つきも、片手を済ませる頃には慣れたものに変わっている。あたしもまたその心地良さに慣れ、すると無言でいるには蔓の数は多すぎた。


「昼間、言ってた」あたしは言う。「メイちゃんが死んじゃったって、どういうことなんですか?」


 景さんは一瞬だけ息を止めるが、すぐにまた手を動かしはじめ、そのリズムのように淡々と話した。


 起きてしまったことを、自分に言い聞かせるみたいだった


「メイが河川敷に来たんだ。それで、助けてって言いながら逃げ出して、車に轢かれた」


 助けられなかった。


「メイの体から……蔓とか枝、花が出てきた。全身がそうだったんだ。それにあいつらが、窩ヶ森にいた白いやつらもあらわれた。なんなんだよ。望みは。終わったんじゃなかったのか。あいつらは、なにがしたいんだ……」


 あたしは景さんの頬にふれる。

 こわばった表情に、隠していた悲しみがあらわになっていく。


「メイちゃんは、なにを思っていたんでしょうか」


 しかしあたしは、不思議と穏やかな気持ちだった。メイちゃんの死が、あまり大きなこととして感じられなかったのだ。それは自然のなりゆきでさえあるようだった。果実が鳥についばまれ、種子が地に落ちるような、そんな。


「育った場所を離れて、あたしたちと暮らして……この一週間は幸せだったんじゃないでしょうか。死んだ人の気持ちはわからないけど、景さんがそばでかわいがってくれて……どうかな。もしもあの木から生まれたのなら、元からそうだったとしたら、生まれたところに還って……」


 話しながら目線は手もとの明かりを離れ、窓の外の闇を泳いだ。ベランダの安全柵を越えると、ぽつんとともった赤い光が近付いてくる。あの部屋だ。マンションは全室がまっ暗になっていたので、赤い部屋は、夜の海原でようやく見つけた灯台の火のように温かくさえ感じられてくるのだった。


「波美」


 と、ふと呼ばれる。


 目の前に景さんの落ち着かない表情をたしかめ、誤ったことを言ってしまったのかと考えた。けれどたったいま話していたはずの言葉を、あたしは少しも思い出せない。それはなにか、頭とは別の場所で生まれた言葉が、あたしの喉を勝手に使って出ていったような感覚だった。


「ごめんなさい、まだぼんやりしてるみたいで……背中もお願いできますか?」


 ソファで寝返りをうち、ひと息にねまきを脱ぎ捨てる。服の繊維が若葉にこすれてくすぐったい。景さんはとまどうようだったけれど、そのうちに草むしりを再開した。


「メイちゃんのこと、つらかったですよね」


 その言葉は、部屋を漂ってむなしく消える。


「もう一つ、訊きたいんですけど」あたしは続ける。「景さん、薬もらってましたよね。病院にもずっとかかってたって、なんの病気なんですか?」

「べつに、たいしたことじゃないよ」

「さすがにわかりますよ?」

「おまえには関係ないって」

「関係なくないですよ、まだそんなこと言います?」

「……知ってどうするんだよ」

「どうするっていうか、景さんを知りたいんですよ。いま、こういうときだから」


 今度、あたしの言葉ははっきりとした重みをもっていた。

 それで景さんは観念したのか、ゆっくりと、たしかめるようにして話しはじめた。


「私は、癌なんだよ」


 背中を向けているあたしから、景さんの姿は見えない。


「あと何年生きられるって言われて、その何年が、もうすぐ過ぎる」


 それでもあたしには、そのとき景さんのうかべる表情がわかるようだった。

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