11 藤野 波美

藤野 波美①


〈LIVE――〉


〈――広報室〉


 ソファで横になったまま画面を眺めていると、会議室のような場所にスーツ姿の男性があらわれる。その様子がどうも頼りなく感じられるのは、前傾した背すじやとぼとぼとした歩き方、固い空間に似合わずくたびれたスーツのせいなのかもしれない。彼はどさっと椅子に腰かけ、手もとのメモをちらちら見ながら話しはじめた。


『……全国で爆発的な拡大が……経路は特定できず……体制は……迅速な対応を……』


 大事なことを話しているようだったが、どうしても意味が頭に入ってこない。そういう場に慣れないらしい彼の口調がもぞもぞしているのもあるけれど、あたしも体が気怠く、意識はもやがかるようだった。


 それでも重苦しい空気は感じられる。重要な会見だろうに、会議室はやけに静かだ。ざわめきや質問が起きるでもなく、時おり気まずげなシャッター音が聞こえるくらいだった。


 深刻な表情にいたたまれなくなり、チャンネルを変える。


 カラーバー。

 草原と渓流のループ映像。

『緊急のニュースが入りましたら放送を再開します』

 ブルーバック。


 チャンネルを戻すと、会見はまだ続いている。『国民の皆様はどうか……」と悲痛にも彼がうったえる、その声をハイトーンのアラート、〈速報〉と点滅するテロップがかき消した。


〈韓国 ソウル市内に旅客機が墜落〉

〈死傷者数は不明〉


 墜落。


 まなうらを激しい炎が燃え上がる。乗客は助けを求めながら互いに身を寄せ合い、祈りを捧げるが、あまりにも大きな炎がかれらを――。


 画面を落とす。


 目を閉じると、遠くかすかなサイレンが聞こえてくる。


 腕を伸ばしてテーブルのスマホを拾うと、景さんの返事がないことをたしかめる。なんとなくすぐに返ってくると思っていたから、寂しさは強かった。


 素直に連絡をしようか。

 でも、こんなことでいちいち迷惑ではないだろうか。


 ぼんやり画面を眺めて悩んでいると、玄関のほうでドアを閉じる音が聞こえてきた。


 まさか、景さんが。

 一瞬考えて、思い直す。そんな都合のいいことが起きるわけがない。きっとメイちゃんだろう。トイレとか、洗面所とか。


 そういえば、朝食の支度もできていない。食べた気配もなかったし、おなかを空かせているだろう。


 こんなことじゃ、と重たい体をどうにか起こした。


「メイちゃん」


 自分でも驚くくらい、弱々しい声だ。

 こんな声では向こうにまで届かないだろう。あたしは呼びかけをくり返した。返事はなかったが、そのうちに足音が聞こえてきた。


 懐かしい、足音だった。

 その懐かしさは、どこからやってくるのだろう。


 足音に耳を澄ませた。歩幅、あるいは歩調。足底をすこし引きずる歩き方。せかせかしていない、ゆるやかなリズム。懐かしさは。


 姉の足音だ。


 あたしは慌ててソファから立ち上がるが、体がうまく動かずに床へ倒れ込む。痛みはなかったけれど、それはむしろこの体が自分自身のものではないような感覚を与えた。


「みどねえ……」


 ドアの向こうの人影は、廊下に立つのは姉なのだとあたしにはすぐにわかった。

 でも、姉は。


(――みどりは自分で死を選んだ)


 でも、死というのは。


(――死は扉。わたしたちは多から一へ、種を離れ……)


 思考は定まらないが、体だけがどうにか動く。壁に寄りかかりながらドアのそばまでたどり着くと、「みどねえ」とあたしは呼んだ。声がふるえている。とうとう、ドアハンドルに手をかける。


「待って」


 みどねえの声だった。


「なみ。絶対にドアを開けないで。このままわたしの話を聞いて」


 みどねえが、あたしに呼びかけるのだった。


「……みどねえ! あたし、やっぱり」

「うん」

「間違えてなかった……!」

「そうだね。もうすぐ会えるよ。だから恐れないで」

「おそれる? なにをおそれるの?」

「恐れなくていい、でも、警戒をして」

「警戒って?」

「あいつが来る」

「あいつ? 誰が来るの?」

「でも、もうすぐ会えるから。なみ。なみ」

「みどねえ? 待って、ねえ!」


 すりガラス越しの姉の姿は、ぼんやり薄らぎだしたと思うと見る間に遠ざかり、去っていった。


 あたしはドアハンドルを握りしめたまま、バランスを崩してドアの向こうに倒れ込む。そこは廊下だったが、やわらかい人肌が受け止めた。姉が支えてくれたのだ。


「……波美」


 景さん。


「立てるか。ほら、あっち行くぞ」


 あたしを支えてくれたのは景さんだった。


(――あいつが来る)


 景さんはあたしをソファまで連れてゆき、そっと体を横たえてくれる。やさしい手つきだ。けれど表情は悲しげで、泣き腫らしたかのように目もとは重たかった。


「どうしたんだ?」

「……トイレに行こうとして……調子が悪くて、体がうまく動かないんです。それで、ごめんなさい。あたしメイちゃんのごはんも作れてない」


 景さんは顔をしかめたまま話を聞いた。やっぱり、あたしよりよほど苦しんでいるように見える。なにかあったのだろうか。そういえば荷物も持たず、見慣れない作業着姿だった。


 サイレン、緊急速報。

 飛行機の墜落。


「あの、なにかあったんですか? 職場でとか、なにか……」


 その問いかけに景さんは沈黙で応じるが、迷いながらも、やがて話しはじめた。


「なにかあった、か」

「そうなんですね?」

「……そうだな。落ち着いて聞いてくれるか」

「わかりました」

「メイが死んだ」

「え?」


 景さんが拳を握り込む。


「車に轢かれて、即死だったと思う。いきなり河川敷に来たんだ。で、それで……波美?」


 と、不意にあたしを呼び、首もとに手を伸ばしてきた。


 突然肌にさわられ、くすぐったい気持ちだった。けれど信じられないような話の途中だったのだ。メイちゃんが死んだ。それほどの話をしているのに、あたしの首や頬、腕とたてつづけにさわってくる。わけがわからず景さんを見返すと、その表情にはさきほどと違う不安、色濃い焦りが浮かんでいるようだった。


 あたしは視線を下ろす。


 それで腕から伸びる植物に気付く。


 それは芽生えた若葉だったり、短い蔓だったりした。あたしの腕から、まるで豊かな土壌に植わったかのように植物は生き生きと芽を伸ばし……それらは十数ヶ所はあるようだった。片腕の、肘から下で十数ヶ所。反対の腕はもちろん、おなかや脚……植物は全身に芽吹いていた。ぞぞっと全身が冷たくなり、肌の内側を無数の根が這い回るような不快感を覚え、腿をかきむしって芽を取り除こうとするのを景さんが押しとどめた。


「離して」あたしは叫ぶ。「やだ! やだ」


 けれど景さんはあたしの腕を掴んで離さなかった。落ち着け、と耳のそばでささやく。ぐずる子どもをなぐさめるみたいに。


 そうしていると、不快感は段々とおさまってくる。


 しかし芽は、蔓は変わらず肌から生えている。


「……どうしましょう」


 あたしは言った。


 流れた涙が頬の新芽に溜まり、やがてこぼれるのがわかった。

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