5 白井 景
白井 景①
ゆったりと幅のある河川敷に沿って、同じ顔をした数棟のマンションが並んでいる。
管理人が常駐するらしいマンションの敷地は植え込みまで整えられ、屋外の監視カメラは駐車場からエントランスまでを広くとらえている。通りには街灯も多く、夜中でもなければそうそうひとけも絶えないだろう。
学校帰りらしい子どもたちの声が、安堵を与えてくれる。
駐車場をまわった裏手は共用の庭になっているらしい。短く刈り込まれた芝生をツツジの生垣が囲っており、白い花の奥には遊歩道と、河川敷へ続く堤防が見えた。立ち並ぶ街路樹の下を、ピンク色のウェアに身を包んだジョガーが通り過ぎていく。
生垣沿いに庭を進むと、L字型に窪んだ角の芝生が数メートル四方剥がされており、むきだしになった地面からいくつかの新芽が顔を覗かせていた。
『あれは、姉じゃなかった』
波美は言った。
『助けないと』
飛び降りて、死んでしまった姉を。
指定されていた七〇二号室を呼び出すと、応答とともにオートロックが解除され、エレベーターをつかって七階へ昇る。インターホンとほとんど同時に波美は扉を開いた。私は少し驚きながら、急いで部屋に入った。ふたたび鍵をかけると、波美は安心したような表情をみせた。
「無事で良かった」私は言う。「本当に、怪我はしてないんだな」
波美はうなずく。顔色がすぐれているとは言えないが、見てとれるような傷はないらしい。波美の後ろでは、年頃の近い男女が一人ずつこちらの様子を窺っている。かれらがケアをしてくれたのだろう。
「あの、とりあえずこっちで、紹介しますね」
波美についてリビングに入ると、私はキッチンカウンターのハイチェアに腰を下ろした。アイボリーカラーの遮光カーテンや隣室の引き戸はかたく閉じられ、白い明かりが影をつくらずに室内を照らしている。
緑の多い眺めだった。大きさも種類もさまざまな鉢植えが、スタンドや棚上、吊り下げられて宙にまで置いてある。インテリアのベースがナチュラルカラーであるために、かれらの印象は際立って見えた。それはきょうだいふたり暮らしの空間を、植物たちがあたたかく見守るような景色だった。
波美はすぐにコーヒーを用意して、リビング中央のローテーブルに座る。
「この子が星川です。あたしの恋人で、同じ大学に通ってます」
星川、と呼ばれた彼女は寄り添うように波美の隣に座っている。透きとおる金色の髪に薄い肌と、派手なつくりをした顔が近付きにくい印象を与えるが、その目がピンクのアイラインの輝きをはらみながら細められると、表情には深い優しさが立ちあらわれる。
「初めまして、星川かなめです。白井さん、波美のこと気にかけてくれてほんとうにありがとうございます」
と彼女は勢いよく立ち上がり、頭を下げる。その声色で、彼女が波美を親身におもっているということはよくわかった。
「こっちが折戸くん。大学がいっしょで、彫刻をやってます。仲良しです」
彼はソファに背を預けたまま、ゆったりと話した。
「折戸
彼も星川と同じに、下がった目尻がほほえみに優しさを切り出すような顔立ちをしていた。短い髪にも色味の少ない服装にも目立った特徴はなく、やわらかい発声は男性的な主張を感じさせない。体つきも細く、彫刻をやっているというのもあまり信じられなく見える。
「こちらが白井景さん。二人にはもう話してます」
私は小さく頭を下げてこたえる。記憶の中の友人が、そういう私を見てばかみたいに笑った。
「それで、景さん。まずあたしの話を聞いてくれますか。別れてから、今日までに起きたことで……」
と、波美は話しはじめた。火葬場や根井の家で見たことや、大学での事件について。段々口は重くなっていったが、星川がテーブルの下で手をとりながら言葉を補い、どうにかすべてを話すことができたようだった。
「……警察のほうはまた連絡してくるかもしれないみたいです」
そこまで話して波美は大きく息をつく。ありがとう、とささやくのは星川に伝えたのだろう。
「やっぱり、意図がわからないな。とにかく無事でよかった」
私は白い造花を鞄から取り出す。
「私も、おまえと別れたあとでこれをもらった」
「誰からです?」
「家の場所を教えてくれた、あの女の子だよ。それで集落で花を見なかったって気付いた。葬儀でも、外でもだ。おまえはどう思う」
波美は造花を受け取り、じっと眺めて星川へ渡す。星川は、折戸へ。彼は興味深そうに花をあらため、写真にも撮って調べていたが、一致するものはないようだった。
「あたしも見なかったと思います。言われてみれば、ふつうお葬式ってお花だらけですもんね」
波美は考え込み、つけ加える。
「景さん。あたしも見なかったものがありました。文字です。文字ってちょっと見ればどこにでもありますよね。でも、あそこではひとつも見なかった気がするんです」
記憶の窩ヶ森をたどり、波美の正しさをたしかめる。家の中であればもちろん、葬儀の空間においても文字というのは――花と同じくらい――ありふれたものだろう。しかしそれらを見なかった、私たちの記憶がたしかなら、存在していなかったということになるのだろうか。
「梓さんはスマホを使ってましたし、文字を使えないってことはないと思うんですよ。なら、あえて使ってないってことじゃないですか? 花も、なにか意味があって避けてるとか」
「そういうの、聞いたことあるよ」
と、話すのは折戸だった。
「アーミッシュっていうキリスト教系の宗教集団がいて、かれらは聖書以外の本とか讃美歌以外の音楽、高等教育なんかを戒律で禁じてるらしいんだ。昔からの生活を守るために、どうしても必要でなければ文明を拒む。まあ、かれらも文字とか花は受け入れてそうだけど、とにかく、形式は違うけどそういう信仰上の意味があるってことは考えられないかな」
つまりかれらは何者か。
私には、波美たちの言おうとすることがわかりかけている。
「じゃあ、そこってカルト宗教の村みたいなことなの?」
星川がたずねると、波美はうなずいた。
「だとしてもおかしくないんじゃないかな。特に根井の家は中心的な立場で、それなのにお母さんが突然亡くなって跡継ぎがいなくなったから、みどねえを連れ戻して洗脳してる」
間違いではないと強調するように、波美は続ける。
「洗脳、って言い方じゃなくても、騙したり脅迫してるとか。梓さんもそうやって……だったら説明がつくかもですよね?」
そう水を向けられ、とっさに反応できなかったのを肯定だと受け止めたのか、波美はうなずく。
「おまえのためだ、って言ってた。あたしになにかを求めてるのかもしれない。なにかわからないけど、あたし、もう一度あの人と話したい。二人だけで話せば、もしかして……」
その言葉をさえぎるように、くぐもった振動が部屋に響いた。
波美のスマートフォン、机の上でくり返し波美を呼んでいるその名前に、私たちは顔を見合わせる。
『着信中 根井梓』
それは死者の名前だった。
みずから体を焼いたという、みどりの兄。
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