白井 景④

 梓にしたがって立ち木の道を抜けると、根井の庭に入る。


 広大な庭だった。ほとんど見渡すかぎり芝生が貼られているが、植木や石飾り、池といった庭園装飾は一切施されていない。そのために、敷石を渡ってたどり着く屋敷はさながら孤島の雰囲気を醸している。その右手側には渡り廊下でつながった離れがあるが、背後に構えた手つかずの山林にいまにも呑み込まれそうだ。そのうえ建物は、痛んだ土壁や三角屋根といった構造が集落の家々と変わらず簡素なために、大きいぶんだけいっそうさみしい佇まいに見えてくる。


 それはやっぱり生活というものに興味がないような、かといって自然を大切にするのでもないような、空虚な印象を与えるのだった。


 大きさに反してひとけがまったくないのも、その印象を際立てるのかもしれない。


 時刻はもう十時にさしかかろうとしている。本当に、葬儀はあるのだろうか。屋敷へ着こうかというころ、私はたずねようとした。そのとき、着物姿の女性ががたがたっと玄関をひらいた。


 彼女のまとう白い着物はやはり喪服ではないらしく、どんな意匠かはわからないが臙脂の曲線が描かれており、歩調に合わせてさざ波のように揺れている。


 私は足を止めた。隣の足音が消えるのも同じだった。波美の目は驚きに見ひらかれ、くちびるはかすかにふるえた。


 彼女は私たちのそばまで来ると、ためらいなく波美を抱きしめた。


「みどねえ」


 と波美がこぼす。


「なみちゃんよね」


 彼女はささやく。

 それは、みどりの顔をしている。


「やっぱり、みどりによく似てる。なみちゃん。みどりのことね、ほんとに残念だった……」


 彼女はみどりに似ているとか瓜二つとかいうのではなく、同じだった。いま私の目の前にいるのは、ゆるやかに肩口まで伸びた髪で波美の頬をくすぐるのは、私の記憶そのままのみどりだった。


「いきなりごめんなさい」

 彼女は波美から体を離し、こう続けた。

「わたしはいつきです。根井いつき。茎子の娘で、みどりの姉にあたります」


 そうして私を見る。


「白井さん。遠方から妹のためにありがとうございます。実は、内々の事情で葬儀が明日になったんです。急なことでお伝えする手段がなく、ほんとうに申し訳ありません。もしご都合がつくようでしたら、こちらへ泊まっていきませんか。部屋はありますし、食事もご用意します」


 もちろん、なみちゃんもいっしょに。


 そのほほえみに、覚えず息を呑む。


 いつきは私を呼んだのだ。一人で家に戻った梓と言葉を交わすでもなく、名乗ってもいない私の名前を。


「ええと」


 もっとも、会社とのやり取りで特徴を聞いていたとか、延期を伝えられなかったのが私くらいだとか、それ自体はいくらでも説明ができる。


 だから私は、みどりと同じその顔に不安を抱くのかもしれなかった。


「景さん。ご一緒してくれませんか?」


 と波美が呼びかける。こちらをまっすぐに――いつきに背を向けて――見つめていた。その声色には、ふるえを押し殺すような切実さが感じられた。


「あたし、もっと姉のこと聞かせてほしいです」


 あるいは波美も、怯えるのかもしれなかった。


 私がうなずくと波美は、いつきは喜んだ。彼女は部屋の準備をするからと屋敷へ入り、そのあいだに、私たちは車に置いてきた荷物を取りに戻ることとなった。


 庭を抜け、立ち木の道へ入ると、どちらともなく息をつく。


「あの、ありがとうございます。景さんが残ってくれてほんとによかった。あたし、なんていうか……混乱してて……」

「泊まるつもりで予定組んでたんだ。宿も決めてなかった。それより、いつきのことは知らなかったんだな」

「みどねえから、兄の話は聞いたことがありました。でも、姉がいるなんて知らなかった。あんな、似すぎてる……」

 波美は続ける。

「似てるっていうか、同じでした。景さんもわかりましたよね? あたしだけじゃないですよね? ハグの感触も同じだったんです。そんなの……でも、そんなに同じなのに、なにか違うんです。わからないけど、なにかが」


 そうしてふっと足を止める。


「あれ」


 とつぶやき、波美は立ち木のなかを指でさした。


 その先には、一本、背の低い木がある。作業着の男性を見かけた場所だ。木はちょうど、彼と同じくらいの背丈で、幹から伸びた二本の枝は地面を向いていた。幹の先端には青い葉が繁っていて、それらはあこがれのようにまっすぐ樹上を目指していた。


 見てみると、そういう木が何本かある。

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