48 最後の練習

 3月4日。卒業式を1日後に控えたその日。

 私は放課後、操と一緒に本読みの稽古をしていた。

 今日が、高校生活最後の練習になる。


「私の名はダールハイゼン。ライン騎士団の団員の一人だ」


 操が低めのカッコいい声で演じる。


 演劇の舞台はファンタジー世界のアレーリア王国、その最西端の街フランシュベルト。

 そこで魔族領との国境警備を担当するライン騎士団の騎士、ダールハイゼンに一人の女性が声をかけるところから物語は動き始める。


「あぁ……ダールハイゼン様、どうかお話を聞いては頂けませんでしょうか?」


 村娘役の私がお伺いを立てるように操演じるダールハイゼンに尋ねる。


「どうしましたかお嬢さん、そんな暗い顔をして」

「はい。実は……魔族領へと婚約者が行ったきり戻って来ないのです……!」

「なんと……このフランシュベルトの西へ、魔族領へ行ったのですか?!」

「はい……。コルドナードの街で行商をするのだと……」

「なるほど……それならばライン騎士団が駐屯する元素列車西の森西端駅を通ったはずですな……」

「はい……それで、彼が戻ってきていないかを確認して頂きたいのです」


 私が操演じるダールハイゼンの顔を下から覗き込むように見た。


「はい……ここまでにしましょう!」


 パンッと操が手を叩き、今日の練習はここまでとなった。


「はい。ありがとうございました」


 私がペコリと頭を下げると、「いえいえ、こちらこそありがとうございました」と操が首を横に振った。


「しかし、操……。お忙しかったのでは?」


 私が尋ねると、操はゆっくりと首を縦に振った。


「えぇまぁ……。ですけれど、今日は開けてあります。

 今日が高校生活最後の日ですから、想い出に碧との練習をしておきたかったのです。私は碧との練習の甲斐あって、無事に声優になれたのですから……!」


 操はそう微笑む。しかし……。


「それはそうですが……私はまだ女優には成れていません……」


 私がそう言って顔を下へ向けると、操は私の両肩に手を置いた。


「大丈夫です、碧! 私、碧の演技力の高さには一定の評価をしています!

 ですからきっと良い事務所に拾って貰えますよ」

「それは……ですがこの間送ったオーディションでも書類審査で落ちてしまいましたし……」


 私は学園長に渡された、八重プロダクションの書類選考不通過を未だに引き摺っていた。


「見る目がないだけですよ! 碧は普段は地味に見えますが、化粧映えする方ですしきっと女優には向いています! 頑張ってもっとたくさんの事務所のオーディションを受けてみるべきです。私、大学に行っても応援しています!」


 操がそう熱を入れて私を応援してくれるものだから、私も少しだけ元気が出てきた。


「はい……ありがとうございます操。私、大学へ行っても頑張ってみようと思います……!」

「はい……それでいつか共演なんて出来たらいいですね?

 もしくはハリウッド女優としての碧の出演作に、私が声を吹き替えるというのでも面白いかもしれません……!」

「それは……出来たら良いですね……! 私、なんだか楽しみになってきました!」


 少しだけ元気が出てきて、操に微笑みを返す私。

 そうだ! 高校生声優として今世間を席巻している操がここまで推してくれるのだ。私はきっと女優に……ハリウッド女優にだってなれるに違いない。


 ひとまず、大学で演劇部に入ろう。

 私の進学する大学に演劇部があることは分かっているのだ。

 操と二人きりで3年間練習してきていたけれど、今度は大勢で練習できる。

 きっとそこでの経験も役立ってくれるだろう。


「私、ひとまず大学の演劇部で頑張ってみます……操は?」

「私は大学では部活やサークルには入らない予定です。勉学と仕事の両立だけで手一杯になりそうですから……」

「そうなんですね。大学でも操の活躍を楽しみにしています……!」

「はい! ありがとうございます碧」


 操が微笑み、二人で最後の祝杯をあげようということになった。

 と言っても、学校の自販機で買ったジュースでだ。

 場所を購買部の前へと移し、私達は各々ジュースを購入し向かい合った。


「それでは……上月総合学園演劇の会、二人の新たな門出を祝って……乾杯!」


 お互いの缶ジュースをぶつけ合い、私は温かいミルクティーを、操も温かいマスカットティーを一口飲む。


「ふぅーおいしいです碧!」

「そうですね、これで寒ささえなければ最高だったのですが……」


 3月も始めの購買部前の飲食スペースはかなり寒い。

 二人して最後の祝杯をあげるにしては場所が悪い。

 多忙な操が風邪を引かないように、温かい場所で飲み物を飲ませてあげたい……。

 そうだ!


「操、私、いい場所を知っています! きっとそこなら温かいはずです」

「まぁ……! どこですか?」

「まぁいいから着いてきて下さい」


 私たちは購買部前を離れ、お目当ての場所へと向かった。


「ここです! 失礼しま~す」

「ここは……なるほど保健室ですか」

「はい。雷電先生は割とお話の分かる方ですから、きっと今日くらい保健室を貸してくれるはずです」


 話しながら保健室へと入ると、雷電先生がいた。


「おぉなんだね? どうかしたかい?

 あー君は確か、上月の彼女の……ハリウッド女優志望の藤堂さんじゃないか」

「雷電先生……実は……」


 私は上月総合学園演劇の会、最後の祝杯をあげている最中で、この場所を少しの間だけ貸して欲しいと頼んだ。


「あぁ……まぁそういうことなら仕方ないな! 保健室は怪我や病気の場合だけなんてのは古い考えだ。今日くらいは少しの間、演劇の会に貸したって罰は当たらないだろう」


 雷電先生がそう大仰に言って笑顔を作る。


「ありがとうございます雷電先生!」


 私がお礼を言うと、操も「ありがとうございます」と続いた。

 私と操は椅子に腰掛けると、他愛もない雑談を始めた。


 そして、話はそれぞれのパートナーの話になる。


「操は五所川原さんと上手くやってるんですか?」

「えぇ……はい。お互いに仕事もありますから会える日はとても少ないのですが、毎日メッセージアプリでやりとりはしていますよ」

「どんなやり取りをしてるんですか?」


 私は気になって聞いてしまった。

 しかし、操が「それは……内緒です」と頬に左手を当てて恥ずかしがるので内容は聞き出せなかった。


「碧こそ、零一くんとは上手く行っているんですか?」

「はい……今のところはなんとか……先日、別れさせられそうになったりもしましたが、なんとか交際を続けています」

「まぁ……そんなことが……! 私そんなことがあったなんて知りませんでした!」


 文音には話したことがあったが、そう言えば操にはまだだったな。

 私はことの詳細を包み隠さずに話した。


「操は仕事も忙しいでしょうから……余計な心配をかけてはと……」

「そんなこと! 言ってくださればいくらでも相談に乗りましたよ私……!

 そもそも零一くんを碧に紹介したのは私なんですから、私にも一定の責任はありますから!」

「操にそこまで心配して貰えるなんて思っていませんでした。ありがとうございます」

「それで、零一くんがどうなるかを碧は知っているのですか?」

「それは……いえ、私もあのあときらりさんと学園長が話し合ってどうなったのかは知りません」

「そうですか……明日はもう卒業式ですものね。学園長がご進退を明らかにするにしてもそれ以降でしょうか」

「はい。そうなるかと……」

「何にせよ、碧と零一くんが無事交際継続していて良かったです!」

「はい。私もそう思います」


 そこで、私達の話に横で聞き耳を立てていた雷電先生が、「学園長にそんなことがあったとは……まぁ坂柳さんとのことは、怪しいとは皆感じてたとは思うけどね……」と微妙な表情をして言った。


「やはり、そうなのですか?」


 私が聞くと、「まぁ職員室まで情事の音が聞こえていたとまでは言わないけど、みんなあの二人の関係を近すぎるとは思っていたってとこさ」と雷電先生が言う。


「なんにせよ、学園長の進退となると、大きく人事が動いて注目だね。

 まぁ卒業していく君らには関係のないことさ……!

 おっと……将来学園のご令息と結婚するかもしれない君には関係のある話かな?」

「いえ……まだまだ先のお話ですから……」

「そうかい?」

「はい。二人共勉学を修めた後でと話しています。零一くんは大学院にも進みたいらしいので、まだまだ何年も先の話になりそうです……そうだ操は……?」

「はい? 私ですか?」


 操はびっくりした表情で私達を見る。


「操は五所川原さんと結婚する予定はないのですか?」

「それは……」


 操が右頬にマスカットティーを、左頬に自身の左手を添えて恥ずかしがる。


「実は、私も大学を卒業した後に結婚しようという話になっています。

 私の声優としての人気を考えて、公表せず隠すことも検討はしたのですが、やはりファンの皆さんに嘘をつくわけには参りませんから……」


 操が真剣な表情で結婚について語る。


「それは……おめでとうございます操」

「まだ早いですよ碧……!」


 操がしきりに恥ずかしがり、雷電先生が「若いのは良いねぇ私にも御鉢が回ってこないものかね?」と自嘲を交えながら反応した。


 そうして、上月総合学園演劇の会最後の日は過ぎていった。

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