37 男の子の部屋

「じゃあ、案内するよ」


 おせちを食べ終わり、私は上月くんに連れられて屋敷を行く。

 2Fの角部屋が上月くんの部屋のようだ。


「なんにもないところだけど、どうぞ!」


 部屋に入る。私は初めて訪れる男子の部屋に、男の子特有の匂いでもするものかと思っていたが、そういうものはなかった。ベッドとクローゼット。それに勉強机の上には参考書が並んでいる。簡素な部屋だった。これならばまだ私の部屋の方が雑多な印象がある。


「寂しげなお部屋ですね……」


 私はつい感想を漏らした。


「そうかな? ごめん。つまんない部屋で……」

「いいえ、上月くんが謝る必要性はありません。座っても……?」

「あぁ……! ベッドでも机の椅子でもどちらでも!」

「では、失礼します」


 私はベッドへと腰掛けた。

 ふっくらとしたベッドが軽く反発してくる感覚が心地よい。


「僕も座ろうかな……」


 上月くんは勉強机の椅子に座ると、椅子を回転させて私に向き直った。


「藤堂さん……実はお話があるんだ……!」


 意を決した様子で上月くんが話始める。


「お話……ですか?」


 もしや、私達の関係性についてではないだろうか。

 もしかして、交際契約を解消するなんて話だろうか?

 そんな不安が私に湧いて出た。


「実は、僕たちの交際契約に関してなんだけど……」


 やはり……。

 私は話を聞きたくなかった。

 しかし、私の意に反して上月くんは話を進める。


「交際契約を解除しようと思うんだ」


 やはりそうか。


「それは……困ります」


 そうだ、困る。私は交際関係を解消されてしまっては困るのだ。

 大学の入学までにこれから新たに恋人を見つけなければならなくなる。

 できることならば交際関係を続けていきたい。

 最低でも大学に入学するまでは……。


 私はベッドから立ち上がり、談判するかのように上月くんへと詰め寄った。


「上月くん、私、いま交際関係を解消されてはとても困ります。

 せめて大学へ入学するまでの間だけでも待って頂けませんか?」


 真意を伝えようと顔を近づけてそう言った。


「ちょ……ちょっと待って藤堂さん。落ち着いて……!」

「落ち着いてなどいられません! 私、大学へ入学できなくなってしまいます!」


 私は鬼気迫る勢いで上月くんへと迫る。


「だから! 落ち着いてってば! 交際契約を解除しようってだけで、僕は藤堂さんとの交際関係を解消しようとは言ってないよ!!」


 上月くんが声を張り上げて立ち上がる。


「はい……? 交際関係を解消するつもりはない……?」

「そう! そうだから、どうか落ち着いて! さぁもう一度ベッドへ座ろう!」

「はい……」


 肩を抑えられ言われるがまま、私はベッドへと腰を下ろし、上月くんも私に続いてベッドへと腰掛ける。


「僕は交際契約を解除しようって言っただけだよ。あの時は都恋を退ける為に交際契約を持ち出したけれど、もうそれは僕らには必要ないかなって……!」

「それはつまり……」


 上月くんの目を見る。


「だから契約は解除して、正式に僕と交際して頂けませんか? 藤堂碧さん」


 上月くんが真剣な表情で、右手を私に差し出した。


「えっと……それは……はい。よろしくお願いします」


 私は少々の逡巡の後、上月くんの右手を両手で取った。


「良かった……!」


 上月くんが表情を緩める。


「あの、本当に私なんかで良かったのですか……?」


 私は手を繋いだまま上月くんへと顔を近づけて問う。


「もちろんだよ。藤堂さんじゃなきゃ駄目なんだ……!」


 はっきりと言い切る上月くん。


「そうですか……じゃあ、あのですね上月くん……いえ、零一くん」

「うん」


 私はまだ納得が行っていなかった。だから証拠がほしい。

 私は一歩、零一くんに詰め寄る。


「私、婚前交渉は否定派なんです」

「うん、知ってるよ。僕もさ」


 零一くんが私の目を見る。

 私もそれに対抗するかのように彼の目を見てはっきりと言うことにした。


「ですから……キス、してもいいでしょうか?」

「はい?」


 零一くんが目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。


「私、証拠が欲しいんです。零一くんが私を好きだと言う証拠が」

「そ、それは……それで藤堂さんが納得するって言うなら……!」


 零一くんがそう戸惑いながら言い、私は「それでは、失礼します……!」と彼に段々と顔を近づける。


 そうして、私と零一くんとの唇が重なり合う。

 ほんの一瞬。ほんの一瞬のことだった。

 でも、私にはそれだけで良かった。

 初めてのキスだった。


 私が体を離そうとすると、上月くんが唐突に引っ張る。


「考えたんだけど、証拠っていうくらいだからやっぱり僕の方からもキスしたほうが良いかなって……」

「それは……はい、確かにそうかもしれません……!」


 そして、ゆっくりと再び上月くんの顔が近づいてきた。

 また一瞬だけ、ほんの一瞬だけ私達の唇が重なり合った。

 そうして今度こそ体を離す。


 これ以上は駄目だ。

 ベッドの上だからといって、これ以上は駄目なのだ。

 そう私は自分自身に言い聞かせた。


「これで、交際開始だね。藤堂さん」

「はい。これで……交際開始です」


 二人で見つめ合って笑い合う。


 とはいえ、周囲には婚約まで済ませていると話をしているのだ。

 私と零一くんとの間には事実との乖離がまだある。

 それでも、私は交際契約を解除し、正式に交際をスタートしたことが嬉しかった。

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