31 夢
翌朝。登校して教室で文音を発見した私は、昨日の話をした。
「そっかーそれじゃ正式に上月くんと婚約したんだね? おめでと碧」
「はい。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
「でも結婚はいつになるのさ?」
「それは……お互いに勉学を修めた後かなと……」
「えーじゃあ大学卒業まで結婚はお預けってことー!?」
「はい。そうなるかと……」
無論、そうなる前に交際契約を解消されてしまう可能性もある。
あるにはあるが、私はあまりそのことを考えたくない。
「それって上月くんも了承済みなわけ?」
「はい? それは私が勝手に思ってるだけですが……」
「だってさ、碧はあれじゃん? 婚前交渉否定派でしょ?
つまり、上月くんは後4年以上も碧のことをその手に抱けないわけじゃない?」
「それは……そうなります」
「そんなの男子って我慢できるのかなー? こんなに可愛い碧が目の前にいてさ!」
文音はくるくると私を催眠術にでもかけるかのように、私の目の前で人差し指を回す。
しかしその表情は私をからかって来る時のそれだ。
「……上月くんと私ならば大丈夫です……きっと」
私が冷静に言葉を絞り出すと、文音は「なんだよもーからかい甲斐がないよ碧ー」と笑う。
私は逆に文音をからかってやりたくなって話を振った。
「そういう文音こそ斉藤さんとどうなのですか?
まさか近日中にでもその処女を散らすなんてことになったりするのですか?
それとも私の知らない内にもう既に……? あぁなんてことでしょう……」
私はできるだけ大仰に皆に聞こえるような声で言った。
「ちょ……碧! 声が大きいって!」
「あぁ……私の大事な大事な文音の……なんてことでしょう……よよよ」
「だから波瑠兄とはそういう事はまだだってば!
クリスマスの日だって波瑠兄の家族みんなでやるパーティに家族まるごと誘われただけだし! 変なことは起きないってば!」
文音が力説し、私の口を塞ごうと必死だ。
この辺りで勘弁してやろう。
「……そうなのですか。良かったです文音がまだで」
私はいつもの淡々とした様子に戻り言った。
「まぁお互い様ってとこだね!
したらしたってはっきり白状しなよ碧! 私も白状するからさ!
抜け駆けはなしだよ!」
「はい。ではそのように」
私がそう答えた時、クラスのドアが開かれ担任の女性教諭がやってきた。
私達の朝の談笑は終わりを告げた。
∬
私は、夢を見ていた。
ハリウッド女優になるという夢ではない。
眠るときに見る夢を見ている。
これが夢だと言うことははっきりと感じられ、私は何をしても良いんだという思いに動かされるが、しかし、夢のほうが私の自由を許さなかった。
「藤堂さん……好きです! 俺と付き合ってください!」
あぁ……そうだ。このときはそうだったのだ。
私は夢である自覚がありながら、この日のことを思い出していた。
この日、バレンタインデーが数日後に差し迫ったあの日。
中学2年生だった私は、放課後の教室で一人の男の子から告白を受けた。
男の子の名前は進藤
同級生の男子だった。
ナチュラルショートの黒髪でどこにでもいそうな彼は、数ヶ月前の席替えで私の左隣になったばかりだった。
私はといえば右端最後部席の一つ手前の席だった。
本当は後ろを気にしなくて良い最後部席が良かったのだが、じゃんけんで負けて仕方なくその席となったのを今でもはっきりと覚えている。
それから2、3回、彼とやり取りをしただろうか。
私はどうしようか、なんて答えたらいいだろうかと言葉を探していた。
これは夢なのだからあの時と同じように答えなくたって良いのだ。
「その……どうして私のことを好きになったのですか?」
だから私からはあの時と違う言葉が口を衝いて出た。
これは夢なのだから、そんな事を彼に聞いても無意味というものだ。
「それは……その、藤堂さんの丁寧な感じがなんとなく好きで……。
そう思っていたら一挙手一投足が気になり始めて……」
「そうですか。なるほど……」
私は自分の丁寧で淡々としている姿勢が自分では好きだったが、他人にそう言われたのは初めてだった。いや、文音や操辺りが言ってくれたことがあるかもしれない。
だから男の子に言われたのが初めてなのだ。
とはいえ、これは私の夢なのだから彼の台詞も私の脳が生成したもので、彼自身が思って口にした言葉ではないのかもしれない。
近年、良く量子脳理論という言葉を耳にする。
脳の持つ量子力学的性質が意識の問題に深く関わっているというのだ。
またそれに関連して、もしかして夢というのは別世界で起きている現実なのかもしれないのだという。
多世界解釈とかパラレルワールドとかいうそれらが今この夢で起こっているのかはさておき、私は自分の丁寧な姿勢を好きだと言われたのは嬉しかった。
だから私は今回は彼の思いに答えてあげようと、口を開こうとした。
しかし、急速に周りの景色が薄れ、現実へと引き戻されるように光りが消えていく。
私の夢はそこで終わった。
スマホのアラーム音で目覚めて時計を確認する。
朝7時。2053年12月24日。水曜日。
今日はクリスマスイヴだ。
私は寝ぼけ眼で、夢の中の世界ではあのまま行けば彼と付き合うことになったのだろうか? と馬鹿馬鹿しいことを考えていた。
だって夢は夢なのだ。
今まで生きてきて、良くない夢だってごまんとある。
それなのにそれらを多世界解釈やらパラレルワールドやらという論理で認めてしまっていいだろうか? 良くない。全然良くないのだ。
殺される夢だって何回見ただろう。あれらが別の世界とはいえ、現実になってしまうなんて認めることは許しがたいことだ。
だから私は忘れることにした。
今日見た夢も、そして過去に進藤明くんに告白されたという事実も、だ。
私はそれらを忘れ、今日も学校へ行く準備を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます