50層 ゴールデンナマズ戦
50層はどの層よりも水に溢れていた。エキドナの中は基本的に洞窟だったが時折遺跡の一部が垣間見える。洞窟だった場合は道の端に小川が、遺跡の場合は水路があり、そのどちらにも独自の生態系が生まれていた。中には地上では見られない魚や甲殻類も生息していた。
そして50層。ここはどこよりも美しい湿原が広がっていた。
「のどかな場所ね……」
マチルドの背丈ほどあるスゲ原を蛇の体躯のように何度も湾曲した小川が縫うようにして伸びる。地上でも滅多にお目にかかれない見渡す限りの広い景勝地。見る人によって死後の世界にも映るだろう。
しかし忘れてはいけない。ここは洞窟の中。
「……どれも実態がある。見えている景色は幻じゃなく本物ね。驚いた、マナが濃ければ洞窟の中でも巨大なこんなビオトープを作れるのね」
そういうビクトリアの鼻先を蝶々がひらりひらり舞う。
「ビオトープね……なるほど、言い得て妙だ。自然の中で育った俺はここがどうも気に食わないわけだ。作り物だからな」
「自然たって湿原じゃなく森林で山でしょう?」
「それは言いっこなしだ」
湿原の上には橋が掛けられていた。一本道で奥まで伸びている。
「どうする? ここしか道はなさそうだが?」
「行く! 俺行きたい!」
聞くまでもなくテオは突き進もうとする。
「ちょっとは罠の可能性を考慮しようぜ……」
「でもこれしか道はないのでしょう? あたしは嫌よ。流れる川の上を氷魔法で橋を作るなんて。魔力がいくらあっても足りないわ」
「同じく。バフをかけても水の上を走る芸当なんて無理だかんね」
「金貰えたってやらねーよ」
仕方なしに一本道を歩いていく。
木製だったが頑丈な作りで壊れている箇所はない。いくら踏み込んでも抜ける心配ないのだがしかし不気味な点が一つ。
「まるで作りたての橋だな……熱心にメンテナンスしてるってわけじゃなさそうだ」
「これもマナの力なのかしら……」
ビクトリアが突然マチルドの袖を引き、小声で話しかける。
「……五時の方向。敵がいる。たぶん大きさからしてボス」
「……嘘でしょう? あたしの魔力探知に全然引っかからないんだけど」
ちらりと見るが水面に影らしい影はない。
「……根拠は言えないけど……でもこれだけで信じろなんて」
「……わかったわ、信じる」
「えっ」
マチルドはすぐに魔力の集中を始めた。
女性陣の声を聞いていた前衛二人も勘付かれないように襲撃に備える。
「……いち、にの、さんで走り出すわよ」
「……じゃあそのタイミングでバフも行う」
「……わかった、お願いね」
そしてカウントダウンを始める。
いち──。
ザパアアン!!
不意打ちの強烈な波しぶきが一行を襲う。
「大丈夫か!? 川に落ちたやつはいないか!?」
「俺はいるぞ!」
「あたしも!」
「身体強化!」
ビクトリアは返事代わりにバフをかける。
「あいつ、お見通しだと言わんばかりに不意打ちしてきたな!?」
「師匠! それよりもどこ行ったかわかるか!?」
「水の中じゃねえのか!?」
またもビクトリアがいち早く察知する。
「上!!!」
黄金色に輝く巨大ナマズはさながら上り龍のように空中を舞っていた。
「パークパクパク!」
沼を飲み干すというよりも沼そのもののような口を広げる。
「あいつ! あのまま俺たちを食う気か!? 俺の盾じゃ塞ぎきれないぞ!?」
「そうならないためにもあたしがいるわけ!」
ビクトリアの忠告のおかげで魔力は充分溜まっている。それを象牙の杖に乗せる。
「トリプルファイアーアロー!!」
文字通りに火力の上がった炎魔法。レベルを上げて武器もアップデートした。自信満々に放った一撃だったが、
「パークパクパ……」
口を閉じたゴールデンナマズはその黄金色の鱗で炎の矢を容易く弾いた。
「そんな、あたしの矢が!?」
リチャードも忠告していた。これが50層の恐ろしさ。ここを境に難易度は一気に上昇し、絶望が常に付きまとう。
「ぼうっとしてんじゃねえぞ! マチルド!」
ロビンが盾を構えるがどうしようもない。
「……身体強化!」
ビクトリアは身を縮ませて祈るようにバフを唱える。
「パークパクパク!」
ゴールデンナマズが飲み込もうと口を開いた瞬間、
「でええええええりゃあああああああああ!」
テオの横薙ぎの剣が数十倍の体格の差があるゴールデンナマズをかっ飛ばした。
「助かったぜ!! テオ!!」
落ちてきたテオをロビンはキャッチする。
「でもなんでテオクラッシャーを使わなかったんだ? あれだったら一発で仕留められたろうに」
「え? だって食い物に困ってたんだろ? あれだけデッカいナマズ生け捕り出来たら当分食い物に困らないと思ってさ」
テオはきょとん顔で答えた。
「食わねえよ! ビクトリアさん! いつものお願いします!」
ロビンはビクトリアの馬鹿テオというお馴染みの罵倒を待つが期待通りには行かなかった。
「テオ。いきなりだけどテオクラッシャーはもう使わないで」
「えー!? なんでだよ!!」
「ちょいちょいビクトリアさん!? それ今言う!?」
突然の提案に二人は動揺する。
「理由は後! あんたはもう充分強くなったんだから、大技に頼らずにボスの一匹二匹倒してなさい!」
「うう、ビクトリアが言うならそうする……」
圧の強い幼馴染に気圧されるテオ。
「いい子ね。私の言うことを聞いてたら悪いようにはしないから」
ビクトリアは純粋で従順な少年に慈しみのある眼差しを向ける。
「にしてったよ! テオクラッシャーなしにあのナマズどう倒すんだ!? マチルドの魔法を弾いたんだぞ!? 今だってどこにいるかわかんねーし!」
「安心して。私が追えてる。あいつ、今は奥に沈んで様子を窺ってる」
「魔力探知できねえのに!? どうしてそこまでわかんだ!?」
「私が嘘ついてるとでも思う?」
「答えになっちゃねえ!」
「ロビン、ずいぶんと焦ってる様子ね? 今回の敵が大きすぎてタンクとして役割を全うできないから?」
「うぐ」
いつになく取り乱すロビンの図星を突く。
「それと見渡す限りの水辺だし、ご自慢の盾が使えないものね」
轟沈しかける無能のタンクを、
「ビクトリア! やめろよ!」
テオはわざわざ大の字になって庇う。
「それ以上本当のことを言って師匠をいじめるのは許さないぞ!」
その優しさが
「ほ、ほんとうのこと……テオにまで……」
ロビンは自信喪失状態になった。
「どうしたんだ、師匠!? 師匠ー!」
「さてと男二人は放っておくとしてマチルド。あなたまで自信喪失にはなってないわよね?」
静かなマチルドに話しかける。自慢の炎の矢三連弾を容易く弾かれ相当ショックを受けていたと思われたが、
「まさか! あんにゃろうをどう倒すか考えてところよ!」
マチルドはけろっとしていた。
「そう。さすがね。落ち込んでるようだったら尻を蹴飛ばしてやるところだった」
「まあ考えてみたはもののこれっぽちもアイデアは浮かんでこないんだけどね。どう倒したらいいか見当つかないわね」
お手上げといった様子で笑い飛ばす。
「蹴飛ばそうか?」
ビクトリアは爪先で橋を二回小突く。
「相談だけど氷魔法効くと思う?」
マチルドは手をヒラヒラさせる。
「効くんじゃない? ダンジョンに生息する魔物って炎よりも氷に弱いことが多いし」
ビクトリアは頷く。そして顎の端を撫でた。
「ところでビクトリアちゃん、釣りはしたことある?」
「何よ突然」
「いいから」
「ないけど?」
「じゃあコツを教えてあげるわ。くいっくいっと来たら一気に引くのよ」
「くいっくいっ……ね。わかった」
二人が会話していると橋の直下に黒い影。死角となる絶好のポイントにゴールデンナマズは潜んでいた。
わざわざ目立つように一度大きく飛び出したのはブラフ。
ナマズは分け隔てなく何でも食べる。それは橋だろうとお構いなしに。
一気に浮上し、口を広げる。悠長に会話する人間共を丸呑み……したはずだった。
「やべええ! 本当に下から橋ごと襲い掛かってきやがった!」
テオたちは素早く不意打ちされたポイントから離れていた。ナマズの素早い動きに反応できたのは直前に受けたバフ、クイックのおかげだ。
「ゴールデンナマズ……あんた、聴覚も良ければ人語もある程度は理解できるようね……」
ビクトリアは違和感に気付いていた。最初のフライングの攻撃も人語を理解できていなければ不可能。
「だけど相性が悪かったわね。耳が良いのはあんただけじゃないの」
「パークパクパク!!」
それがどうしたと呼応するように橋の上を這い、
「うおお!? 追いかけてきた!?」
「走れ走れー!」
「きゃああああ!?」
ビクトリアたちを追尾する。
「ビクトリア! もっと速く走れよ! 追いつかれるぞ!」
「ビクトリア、かけっこではいつでもビリだったよな!」
必死で走るが徐々に距離は縮まる。
髭をオールのようにして水を掻く。黄金の鱗を帯びた魚でありながら足の生えたビクトリアよりも足が速い。
「ちょっと! 陸に上がっても素早いのは反則でしょう! マチルド早くして!」
マチルドは別行動で橋から降りて浅瀬に立っていた。
「用意はできたんだけど照準が定まらない! 一秒でもいいから動きを止めてくれない!?」
「おーし、そういうことなら!」
再びテオが剣を握り、転身する。
「どおりゃあああ!!」
脳天に一撃お見舞いする。テオの怪力をモロに受けたのだが、
「いっでー!? こいつかってー!?」
ダメージはテオに返ってくる。黄金の鱗は伊達じゃない。剣の下で傷一つない光沢が煌めく。
「おいおい、やっぱりテオクラッシャーを使ったほうが」
「素人は黙ってなさい! マチルド! 動きは止めたわよ!」
「上出来! さっすがあたしのビクトリアちゃん!」
象牙の杖の先に魔力が集中する。今度放つ魔法は少しばかし特殊。
「ウォーター! アイスアロー!」
水魔法と氷魔法の同時発射。
放たれた魔法はゴールデンナマズの顔の側面に当たる。
「もういっちょ! ウォーター! アイスアロー!」
もう片方にも同じセットを当てる。
じわりじわりと顔を氷が覆っていくが、
「パークパクパク!!」
口を動かすとあっさりと氷の面は剥がれ落ちる。
「うおお!? 効いてねえぞ!?」
「どうする? 動かなくなるまで殴り続けるか?」
「ロビン、テオ。あんたたちの出る幕はもうないわよ」
異変はすぐに起きた。
「ぱ、くぱ、く……」
ゴールデンナマズが苦しそうにもがき始める。目と鼻の先にビクトリアがいても慌てて水中に戻る。
「パクパク!? パクパク!?」
なおも苦しそうにもがき続ける。自身も混乱しているようだった。
「苦しい? 苦しいわよね……どうして苦しいか教えてあげたいけどあなたは人語がわかるからやめとくわ」
ロビンはゴールデンナマズのエラに挟まる緑色を見て、ようやく何をしたか理解する。
「なんとまあ、えげつねえことを……」
ゴールデンナマズのエラにはスゲの草が詰め込まれていた。これではエラぶたが正常に動かず、呼吸ができない。人間で例えれば口と鼻を塞がれたようなもの。
(酸欠で魔物を倒すなんて聞いたことがねえぞ……)
ゴールデンナマズは次第に弱り、やがて水中に力なくプカリと浮かび上がるだけになった。
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