第6話

「思ったより、遅かったね」

 1DKのアパートの一室。

 黒縁眼鏡をかけ、髪を後ろに束ねた、ラフな部屋着の女性。

 私の幼馴染。

【杉沢翔子】

 その翔子ちゃんが、私を部屋の中に通しながら、そう言った。

「水香さんと途中まで、一緒に帰ってたんだぁ」

 翔子ちゃんの後に続きながら、そう答えると、部屋の壁に掛けられた時計を見た。

……もう、夜中の十二時を過ぎてる……。

 日付は変わってしまったけど、翔子ちゃんと話したい事がたくさんあるし、ずっと前から聞かせてもらう事があった。

「はいはい、水香さんねぇ。良い女の、でしょ?」

 翔子ちゃんはそう言いながら、私をダイニングに促すと、キッチンへと入っていった。

「そうそう! その水香さん! やっぱり、水香さんはスゴイよぉ、今日なんか……」

……ん?何だろう?手紙?

 椅子が二脚付いたダイニングテーブル。

 その椅子の一つに何気なく腰掛け、傍らにショルダーバッグを下ろした時、気付いた。

……青い封筒が……いくつも……。

 木製のテーブルの上には、青い封筒がたくさん置かれていた。

 さっきまで、翔子ちゃんの方を向いていたから、気が付かなかったけど……。

 テーブルを青く染める大量の封筒。

 少しばかり、気味が悪い感じがした。

……こんなにたくさん……なんだろぉ……。

 何気に、封筒の群れに手を伸ばし、軽く漁った。

「……あ、そうかぁ」

 封筒に書かれた文字を見て、納得し、そう呟いた。

【先生へ】

【翔子先生へ】

【杉沢先生へ】

 翔子ちゃん宛の封筒。

 おそらく、いま、翔子ちゃんが携わっていることに関係している。

 そして、それは、私が翔子ちゃんから聞かせてもらいたいことでもあった。

 今日は、そのために、翔子ちゃんの家に来たと言っても、過言ではなかった。

「翔子ちゃん! これって、実習先でもらったんでしょぉ?」

 キッチンの方を振り返り、翔子ちゃんに質問した。

「ん~? ……ああ、そうだね~」

 翔子ちゃんはこちらを見ることなく、マグカップにお湯を注ぎながら、返答してきた。

「やっぱりね~」

 そう言いながら、テーブルを埋め尽くさんとする、青い封筒の数々に視線を戻した。

……でも……何で、青いの?……全部……。

 翔子ちゃんの実習先は中学校だったと思う。

 その学校が指定している封筒なのかな?

 そんなことってあるのかな?

「愛里? ……ほら、これ」

 キッチンから戻ってきた翔子ちゃんが、そう言って、スプーンが添えられたカップを差し出してきた。

……あ……この匂いは!

 濃厚で、パンが欲しくなるような、ほんのり甘い香りを漂わせている。

 コーンポタージュだ。

 私の大好きなスープ。

「やったぁ!」

 声に出して喜び、カップを受け取ると、スプーンを数回かき回し、両手に包み込むように持って、ゆっくりと一口飲んだ。

 熱過ぎない、ほど良い温かさと、味わい。

 飲みやすい私にとっての適温。

 味は濃いめ。

 いつものように、粉末スープを一袋と半分、使っていると思う。

……分かってるなぁ……翔子ちゃんは……さすが!

 幼馴染だけあって、私の好みを把握していた。

 私にとって、翔子ちゃんはお姉ちゃんのような存在。

 お互いの親同士が仲良かったこと。

 そして、私が一人っ子だったこと。

 だからなのか、私は、小さい頃から、何かと翔子ちゃんの後について回っていた。

 翔子ちゃんも、そんな私を嫌がらずに面倒を見てくれていた。

 そして、今も変わらずに付き合いが続いていた。

「美味しい~!」

「良かった良かった」

 翔子ちゃんは私の感想に、そう返すと、もう一つの椅子に座りながら、カップに口をつけた。

 多分、カップの中身は、ココアだと思う。

 私も、翔子ちゃんの好みは把握しているつもり。

 ミルクを濃いめにして作っていると思う。

「それで? 水香さんがどうしたの?」

 翔子ちゃんは、テーブルの上の青い封筒をいくつか端によせ、空いた場所にカップを置くと、そう言った。

「え? 何だっけ? ん~と……」

「水香さんはスゴイよぉ~、今日なんかぁ~」

 私が腕を組んで考えていると、翔子ちゃんが声色を変え、おどけた顔でそう言った。

 多分、私のモノマネ。

「もぉっ! 似てないっ! ……もぉ……思い出しましたっ!」

 ニヤニヤと笑っている翔子ちゃんを、抗議の眼差しで見据えながら、そう言うと、ポタージュを一口飲んだ。

「で? 何がスゴかったの?」

「もう教えませんっ!」

 翔子ちゃんの質問に、頬を膨らませて、そう言い切ると、またポタージュを一口飲んだ。

「はいはい、わかりました。じゃあ今度、その良い女の水香さんを見に行こうかな……」

「えっ?! ホント?! 店に来るの?! 」

 翔子ちゃんの言葉に、思わず声を大きくしてしまった。

 それもそのはず、翔子ちゃんはいくら誘っても、私がバイトしている店には来てくれなかった。

 学校やバイトが忙しいせいもあるけど……。

 なにより、翔子ちゃん自身が、お酒を飲むような所には、ほとんど行かないせいもあった。

「まぁ、たまにはね。教育実習も明日で最終日だし、息抜きも必要だからね。近い内に、愛里の働いてる様を見に行くわ」

 翔子ちゃんの話を聞き終えるや否や、傍らに置いていたショルダーバッグを開け、中からスケジュール帳を取り出した。

 そして、手際良く、目当てのページを開くと。

「え~と……次の私の出番は明後日! 土曜日! ……あっ! 水香さんも出番になってる! 翔子ちゃんっ! この日ねっ!」

 スケジュール帳を片手に、一気に捲し立てた。

「はぁ。はいはい、わかりました。土曜日ね」

 翔子ちゃんは溜め息を吐くと、苦笑しながら、そう答えてくれた。

……やったぁ!土曜日が楽しみ!

 スケジュール帳をバッグに仕舞うと、笑顔でポタージュを飲み干して、立ち上がり、キッチンの流しにカップを下げに向かった。

「ところで、翔子ちゃん? 教育実習はどんな感じだったのぉ?」

 キッチンから戻りながら、翔子ちゃんに質問した。

「ん~と、そうだねぇ。簡単に言えば、大変だったな~。明日で最後かぁ……」

 翔子ちゃんはそう言いながら、テーブルの上のカップに両手を添えると、視線を宙に浮かべて耽り出した。

「もぉ! 簡単すぎるよぉ~! もっと、こう……授業の事とかぁ。生徒との事とかぁ。なんか、こう……あるでしょ? それを聞かせて欲しいのっ!」

 翔子ちゃんの答えに、唇を尖らせた。

……もぉ……わざとだぁ……いじわる……。

 翔子ちゃんに会いに来た、一番の理由。

 教育実習について、その話を聞くことだった。

 私も、翔子ちゃんと同じ学校、教育大学に通う人間として……。

 教師を目指す人間として……。

 すごく興味がある事だった。

「そうね~。何を話そうかな。生徒との事と言っても、特に生徒達と仲良くしていたわけでもないしね~。実習内容に沿って、ただ、授業をこなしてただけだからね~」

 翔子ちゃんはそう言って、カップを口に運んだ。

……翔子ちゃんらしい……面倒見は良いのに、素っ気ない……だけど……。

 テーブルの上にある大量の青い封筒。

 生徒達からの手紙。

 これらが物語っているのは……。

「翔子ちゃん? 仲良くしてなかったって言っても、生徒達からは信頼されてたみたいだけどぉ? こんなに、手紙をもらってるもんね~?」

 そう言って、青い封筒を数通ほど取り、目の前でユラユラと振って見せた。

「ああ、それ? 何か、流行ってるみたいね。ラブレターみたいなモノなのかな。どれも遠回しな内容だったけど……」

「えっ?! ラブレター?! こんなにっ?! 」

 思わず、大きな声を出してしまった。

 それも仕方がないこと。

 てっきり、実習に関しての、お礼や、応援の手紙かと思っていた。

……あ……明日が最終日……だったよね?

 そういえば、そうだった。

 その手の手紙は、最後の日にもらう……というのが一般的だと思う。

 一日前にもらうということも考えられるけど……。

 それに……。

……生徒一同から……って感じで、一通だけもらうのが普通かも……。

 携帯メール等が普及している現在。

 ラブレターは少し古臭い感じがするけど……。

 翔子ちゃんが嘘を言っているということは考えられない。

 それに、ラブレターとして、この封筒の数を見ると、なんだか納得してしまう。

……翔子ちゃんは……何だかんだで、キレイだからなぁ……。

 翔子ちゃんは眼鏡を取ると、見違える。

 水香さんとは、また、違った魅力の外見を持っている。

 だけど、似合わない黒縁眼鏡が大きな原因として、その素質が隠されてしまっていた。

 そして、本人はその事に気付いていない。

 どこか、鈍感な部分があった。

「まぁ、年上の女性に憧れた中学生が、流行りにまかせて送ったモノでしょ。内容も中途半端だし、そういう遊びなんだと思うよ」

「そうなのかなぁ。でも、ラブレターなんでしょぉ? ラブレターを渡す遊びって……なんかなぁ……」

 ちょっとばかり残念な気持ちを抱き、テーブルに視線を落とした。

 青く鮮やかな封筒の数々。

 遊びの道具として使用されたと思われるモノたち。

……遊びで……ラブレターかぁ……いいのかなぁ……それで……。

 その青い封筒たちを眺めていると、思わず溜め息を零してしまった。

「だから、みたいなモノって、言ったでしょ? 好きとか、どうとか、そういう言葉は一切書かれてないの。遠回しな、中途半端な内容だけ……読んでみる?」

「えっ?! ダメダメ! 翔子ちゃんのための手紙なんだから、私が読んじゃダメっ!」

 翔子ちゃんの言葉に、両手を突き出して、拒絶した。

「まったく。愛里は真面目なコだね~。それじゃあ、実習の話を……あっ! 忘れてたっ!」

「な、なに? どうしたのぉ?」

 翔子ちゃんが話途中に、いきなり大きな声を上げた。

 それに、ちょっと驚き、質問で返した。

「お風呂。用意してたんだった……愛里、冷める前に入っちゃって」

「え~? でもぉ、実習の話がまだだよぉ!」

「はいはい、話は後でね! ちゃんと話してあげるから、さっさと入っちゃって!」

 翔子ちゃんは制するように片手を上げて、そう言うと、椅子から立ち上がり、隣の寝室へと入っていった。

……もぉ……シャワーだけでいいのになぁ……。

 渋々と立ち上がり、風呂場へと向かった。

「愛里! ……ほらっ!」

 風呂場への途中、翔子ちゃんの声に振り向くと。

「わっ?! とと、ビックリしたぁ」

 いきなり、バスタオルを投げ渡された。

「それ、使っていいよ。洗面所の下の棚に身体を洗う用のタオルが入ってるからね」

「ありがとぉ!」

 翔子ちゃんにお礼を言うと、風呂場へと入って行った。

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