第3話
「お願いしまぁす!」
片づけてきた食器類を厨房の洗い場に下げ、元気良く挨拶。
「了解。それにしても、今日は暇みたいだな」
厨房スタッフの〈前田〉さんが、そう言って、置かれた食器を淡々と洗い出した。
「こんな日があっても、いいと思いますよ」
もう一人の厨房スタッフである〈小林〉さんが、冷蔵庫を閉め、笑顔でそう答えた。
「ダメですよぉ、店が繁盛しないですよぉ」
私がトレイを抱えて不機嫌そうに、そう言うと……。
「うんうん! そうだね! 暇は良くない!」
小林さんが笑顔でそう返してきて、前田さんが、それを鼻で笑った。
……やっぱり、この二人は苦手。
ニヤニヤした男二人を交互に見ながら、そう思うと……。
「いやぁ、暇だねぇ~。まぁ、水香ちゃんのリハビリにはちょうどいいんじゃないかい? ははははは!」
カウンターの方から、店長の野太い笑い声が聞こえた。
確かに。今日は、珍しく暇な日。
さっきのカップルが帰ったことで、店内のお客さんがいなくなった。
そんな中で、店長の自虐ネタとも言える冗談。
「私はいいのかもしれないですけど……店的にはヤバい、じゃないですかね?」
トレイを片手にカウンターに戻ると、水香さんが困り顔で店長に答えていた。
「そうですよぉ、ヤバいですよぉ」
空かさず、会話に割り込んだことで、視線が私に集まった。
せっかくの暇な時間。
少しでも水香さんと話したいところ。
「お客さんが来ないと、ヤバいですよぉ」
水香さんと同じ意見。
本当にそうだと思った。
お客さんが来ないと、店は赤字。
この店がなくなるのは嫌。
……でも……今は、せっかくだし……。
トークタイム。
休憩以外の息抜きも必要だと思う。
話を続けるため、トレイをカウンターの上に戻し、水香さんの傍に向かった。
「水香さ~ん……水香さんが休んでいる間、常連さんが寂しがってましたよぉ」
水香さんの横に立ち、少し見上げる形で、話した。
「そうなんだぁ。でも、愛里ちゃん達がいるんだから問題ないでしょぉ?」
水香さんの謙遜。
やっぱり、〈イイオンナ〉なんだと思う。
私だったら、『そうなんですかぁ?』と調子に乗ってしまうところ。
「そんなことないですよぉ、水香さんがいないと大変なんですからぁ。ですよねぇ?
店長ぉ?」
カウンターの店長に振り返り、同意を求めた。
本当の話、水香さんが休んでいた二週間は、本当に大変だった。
店長はもちろん、他のスタッフも、同じ気持ちだったと思う。
「そうだねぇ。水香ちゃんにはかなり助けられてるからねぇ。この店にはなくてはならない存在だねぇ」
……ほらねっ!思った通り!
予想通りの店長の言葉。
内心、自信ありげに水香さんの方を振り向くと。
「私をおだてても、お客さんは来ませんよ!」
水香さんはそう言いながら、前髪をパサパサと払った。
この仕草は……。
照れ隠しだ。
……ちょっと、可愛い。
いつも大人びた感じを漂わせている水香さん。
でも、この照れた感じの水香さんは、可愛らしい。
……お客さんも、喜ぶわけだぁ……。
その水香さんの仕草を横目に、店長と顔を見合わせると、お互い微笑んだ。
ガラガラっ!
突如、入り口の引き戸が開く音。
……お客さんだっ!
「いらっしゃいませぇ~!」
三人の声がハモった。
その事に、少し嬉しさを覚えながら、お客さんの元に駆け寄った。
「いらっしゃいませぇ! 何名様ですか?」
店に入ってきたお客さんに、マニュアル通りの接客。
たとえ、常連さんでも、初めの言葉はコレ。
……柴崎さんだ。
慣れたように、二つ指を立てたお客さん。
狐のような容貌の男性。
このお客さんは、店の常連さん。
そして、水香さんが休んでいる時、寂しがっていたお客さんの内の一人。
この店がオープンした時から、週に三回は通っているみたい。
「柴崎さん! いらっしゃいませぇ!」
「愛里ちゃん! こんばんはっ!」
私の挨拶に、テンション高い声で返す柴崎さん。
このテンションは、水香さんに会ったら、もっと高くなると思う。
……すぐに分かる事だし、私から言わなくてもいいかなぁ。
カウンターで接客の用意をしている水香さんを横目に、心の中でほくそ笑んだ。
「今日はお二人なんですねぇ? テーブル席でいいですかぁ?」
「いいよっ!」
返事を聞きながら、柴崎さんの後ろに立つ男性に笑顔で会釈した。
……ちょっとカッコイイかも!
手入れをちゃんとしている、彫の深い顔。
この店では初めて見る人。
柴崎さんの友達かな?
私が知らないだけで、何度か来ているのかな?
水香さんは知ってるのかな?
後で、聞いてみようかな。
でも……。
……今は、ご案内が先っ!
「二名様! テーブル席にご案内しまぁ~すっ!」
「ごゆっくりどぉぞぉ~!」
私の言葉に、店長が威勢の良い声で返してきた。
みんなで仕事をしてる感じが、やっぱり嬉しい。
「こちらへどうぞぉ~」
高まるモチベーションを供に、お客さんを先導。
店の窓側の角にあるテーブル席に、男性客二名をご案内。
「柴崎さん! お楽しみにっ!」
そう言って一礼すると、キョトンとした柴崎さんを尻目にテーブル席を離れた。
……柴崎さん……絶対に、喜ぶはず!
カウンターへ向かうと、前から、トレイを持った水香さんが歩いてきた。
トレイの上には、おしぼりに水という接客二点セットが二組。
そのトレイを器用に片手で持つ水香さん。
すれ違う時、水香さんに。
「常連さんですよぉ」
そう耳打ちした。
……ちょっとだけ、意地悪しちゃった。
首を傾げながら私を一瞥する水香さん。
その姿を横目にほくそ笑みながら、カウンターへ向かった。
「あっ! 水香ちゃんっ! 復活したんだっ!」
後ろの方から、テンション高い柴崎さんの大声。
……ほらねっ!
微笑みを浮かべながら、カウンターにいる店長の傍に立った。
「柴崎さんかぁ……嬉しいだろうねぇ」
「絶対、嬉しいですよぉ!
店に来る度に、水香さんの事を聞いてきてましたからぁ」
「そうだねぇ。水香ちゃんがいない時は、本当にガッカリしていたからねぇ」
「そうですよぉ! みんな水香さんが好きなんですよぉ!」
「だねぇ……」
あれこれと、店長と〈水香さん話〉をしていると。
……あっ……注文だ。
噂の水香さんがカウンターに戻ってきて、髪をかき上げた。
そして……。
「生二つ入りましたっ!」
「ありがとぉございまぁ~す!」
水香さんから伝えられた注文に、感謝の言葉を返して、すぐに行動。
「生っ! 作りまぁす!」
そう言って、ビールサーバーの元へ小走りで向かった。
……ビールが七で……泡が三……。
クーラーからジョッキを二つ取り出して、サーバーに対峙する。
水香さん直伝のビール注ぎ。
慎重に遂行、見事完成。
「よしっ!」
ビールの注がれたジョッキを二つ持って、カウンターへ。
「ビール出来ました! お願いしまぁす!」
水香さんはすでに、お通しの枝豆をトレイに用意していた。
そのトレイに、ジョッキを慎重に載せた。
「ありがとう! それじゃあ、運びます!」
水香さんはそう言って、ビールと枝豆の載ったトレイを持って、柴崎さんが待つテーブル席へと向かった。
「さて……賄いを作るかな」
店長がそう言って、カウンターを離れた。
「今日は、店長がつくるんですかぁ?」
厨房に向かう店長に質問をした。
「ああ、暇だからねぇ、ははははは!」
そう言って、店長は笑いながら、厨房に入っていった。
…… 店長が作るとなると……今日の賄いは期待できそう!
店長が賄いを作る時は、たいてい、新メニューの試作品。
スタッフが賄いとして食べ、店長はその感想を聞いて、レギュラーメニューにするかどうかを検討している。
その試作品は、八割が絶品。
二割が駄作。
店長の料理の腕は本物。
けれども、創作意欲が有り過ぎるのが問題。
自信作の場合は、賄いに出すことなく、【今日のオススメ】と称して、メニューに並ぶことがあった。
・……今日は……当たりだといいなぁ……。
心で願いつつ、厨房に視線を向ける。
……あれ……この匂いは……。
厨房から、肉の焼ける音。
それと共に、漂い出す香り。
……もしかして……今日の賄いは……。
塩豚丼。
水香さんが大好きなメニューだ。
だけど、この塩豚丼はメニュー表には載ってない。
裏メニューというモノ。
だから、この塩豚丼を注文するのは、ほとんどが常連さん。
……水香さん、喜ぶだろうなぁ……。
水香さんの喜ぶ姿を想像し、早く教えてあげたい気持ちを抑えて、厨房に向かった。
本当に、塩豚丼が作られているのかを、確認するために。
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