行きたいところに行けないストレス

島尾

宿に泊まりたいが、どうしても値段が高いと思ってしまう

 私は、牡鹿半島の先端付近にある宿に泊まりたいと思っている。そこから海と山と空を見渡して、鮮烈な感情を味わいたい。というのも、以前福井県美浜町にあるホテルの大浴場から眺めた山々と砂浜、海が信じられないほど美しく、そして湯の温度も最適で、さらにその上その地域はアニメ「中二病でも恋がしたい!」の聖地であり、とにかく感激した経験があるからである。

 牡鹿半島を含む三陸沿岸、若狭湾沿い、伊勢湾沿い、長崎などのリアス式海岸はギザギザとして地形に変化があり、山と海がきわめて近い。荒々しい磯と穏やかな砂浜、ポコポコ浮かぶ島や、波消しブロック。歩くとグネグネした道や高低差のある道ばかりで疲れるものの、「これこそがリアスだ!」と言い聞かせて己の脚でリアス式海岸を堪能すれば、疲労も全然許せる。単なる木、石、海、空。それらが美しく見える場所、それがリアス式海岸沿いの地域だと私は感じている。将来は、日本の全リアス式海岸をこの足で踏みしめたいと思う。


 だがお金がない。


 話は変わるが、数年前、私は福井県の山奥にある宿(楽天トラベルで1泊5,000円くらいだった)に泊まったことがある。日も沈んだ18時ごろ、見ず知らずの土地で道に迷って、バス停も見つからず、延々続く田んぼ道を重たいリュックを背負ってたった一人で歩いていた。その経験は悪いものではなく、むしろ非日常的で良かった。偶然見つけた古めかしいラーメン屋で(確か)醤油ラーメンを頼み、ずるずるすすっていた。少し向こうのほうの席で一人の爺さんが店員の婆さんと、方言でべらべら政治について語っていたように記憶している。会計を済ませて店を出ると、真っ暗だった。移動に車両を使うとなればもはやタクシーを頼るしかなくなったわけだが、タクシーを使うのには高いお金が必要となる。棒になった脚ではあったが、根性を出せば無料で宿まで行けるかもしれない……と思ってスマホで調べたら、距離的には滅茶苦茶頑張れば行けそうな距離だった。しかし、なんとなく嫌な予感がして(周りは真っ暗、しかも見ず知らずの土地)、結局タクシーを呼んだ。1社目は「そんな遠いところまで今から行くのは無理や」と断られた。ふざけんなと思いつつ2社目に連絡したら、迎えに来れるとのことだった。

 それでタクシーに乗って険しい山道をずんずん上って行った。熊が出るかもしれないと思えるほど不気味な道で、木々が生い茂っていたりトンネルが連続していたり、田んぼ道とは危険度がけた違いだった。タクシーを呼んで正解だったのである。

 そして支払いの時を迎えた。私はクレジットカードを呈示。すると


「クレジットカード? 使えませんよ。ここ田舎なんで」


 と運転手が言う。


 私はとある方法でその難局を乗り切った。


 宿の部屋に到着してほっと一安心し、風呂に入って、部屋にあったお茶を飲み、漆塗りの湯呑入れを撮影し、テレビを見て、そのほかグダグダ何かをして、寝た。


 翌日。眠たい頭のままおもむろに障子を開けると、昨日はまっ暗くて何も見えなかったホテルの外の全景がいきなり目に飛び込んできた。山が間近に迫ってもこもこと連なり、そんなに標高は高くないはずなのに矢鱈と巨大に見え、自分は今まさに山の中にいるんだという感覚を抱いた。山なんて何度も見てきたはずなのに、圧倒されてしまったのである。それは明らかに距離の近さが関係していた。障子を開けたら突然山々に至近距離で囲われていた状況と分かって、恐怖めいたもの、そして謎めいた安心感がごちゃごちゃになった意味不明な感情が湧いて、とりあえず「美しい景色だな」という言葉で表するしかなかった。


 苦なる日が終わった翌日に扉を開けたら、そこには予想だにしない美があったのである。


 そういう体験をもう一度したい。が、お金がない。


 お金がないなら想像するしかないが、予想もできないものを想像することは土台不可能である。


 私がやっているのは、マップの航空写真を眺めることだ。牡鹿半島、若狭湾などのリアス式海岸を中心に、じろじろ眺める。それが貧乏人のもう一つの旅行方法だと思っている。

 同じ三陸でも、岩手のギザギザ度合いと宮城のそれは異なっている事実を発見した。岩手のほうは粗い感じがして、自分の好みではない。宮城県内においても、気仙沼から雄勝地区に至るギザギザの感じはまだまだ粗いのでそれほど好きになれない。女川町あたりから牡鹿半島先端にかけて、一気にギザギザが繊細になっているので好きである。また、牡鹿半島先端を回って石巻の渡波という地区に至るまでの区間のギザギザ度合いもなかなか面白い形状だと思う。それ以西は海岸線の変化が乏しくて面白くない。しかし宮城には松島という日本三景に選ばれている非常に美しい場所があるので、ずーっと海岸線を西に辿っていくと松島にぶつかる。松島はギザギザというより、もはや意味不明な形状だ。私のような凡人ではなく、松尾芭蕉などの「本物」でないとその美を表現するのは困難と思える。松島より南はリアスではないので特に何とも思わない。

 こんなことを若狭湾でもやったし、長崎でもやった。なぜか伊勢湾ではやっていない。リアス式海岸ではないが、琵琶湖、田沢湖、十和田湖、洞爺湖、サロマ湖などの湖でもやってみた。また、日本各地の広い田園を発見するのも面白い。アメリカのセンターピボットの連鎖を眺めるのも確かに面白いが、やはり私は日本の田園地帯のほうが好きだ。

 そんなことをやっているとその土地に行きたくなってきて、いざ宿を検索してみたらやっぱり高い。数千円台でも、うーん、となってしまう。関係ないが、宅配ピザを頼もうとして値段を見たら、メニューを何十分も見てカートに入れたのにもかかわらず、やっぱり高すぎると思ってウィンドウを閉じる。


 私は美と新発見、ならびにそれらを発端としたイマジネーションを膨らませることを求めている。お金がそれを阻む現代であるが、それゆえに、少ない体験の一つ一つから多くのことを吸収し記憶するという私のマインドが生まれる。お金という障壁は、私にはある意味必要なのだろう。

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行きたいところに行けないストレス 島尾 @shimaoshimao

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