第6話 山の上にも三百年①

 マルクトと師匠は、小さな町に入った。


「あそこに大きな山があるだろう。あれが黒山」


と緑に茂っている山を、師匠は指して説明した。


 黒く見えないなあ、とマルクトが思っていると、師匠も同じことを言い始める。


「何度か通ったことがあるけど、一度も黒く見えたことがない。ああ、あと、あの山にはね、山賊・野党が珍しく住み着いていないらしい」

「へえ」

「つまり……それ以上に恐いのが住み着いているということだ」


 そう言いながら、師匠の目がキランと光った。雲行きがあやしい。


「なんっすか、それは」

「マルクト、自分の目で確かめたくないか」

「俺は別に……」


 確かめたいのは師匠の方じゃないんすか、と思った。表立って感情を明らかにはしていないけど、どう見ても師匠は気になって仕方がなさそうだった。


 すると突然、


「そこの若いもんの言う通りや」


 町の老婆が会話に参戦してきた。腰が曲がり、杖をついているが、したたかな面構え、普通のおばあちゃんじゃなさそうだ。

 え、なに、突然……?


「あの黒山を登って国越えできたもんは一人もおらんよ。数百年前にそれはもうおそろしい精霊が棲みついて、入ったら恐い精霊に四肢を分断されて喰われるんじゃそうじゃ。戻ってきたもんは一人もおらん」

「へえええ……」


 普通に恐い話だった。マルクトはチラッと師匠を見ると、目の輝きに変化はなかった。


 ……知っている上で、行きたいと思っているらしい。


「精霊の名前は」

「名前も言うのも恐ろしいんじゃが……」


 老婆は言いながら、師匠の耳に耳打ちした。聞いた瞬間、師匠はニコッとした。

 それがどういう感情なのか、よくわからなかった。


「ありがとう」

「気をつけなあよ、変な気起こして行ったらあかんよ」


 変な気を起こして黒山に登りに行きそうな雰囲気があったのか、老婆はたしなめてきた。


「アドバイス大切にするよ」


 嘘か本気かわからない返答を、師匠はした。


 老婆と別れた。マルクトはどうしても師匠がどう思っているのか気になって、口をひらく。


「……で、師匠、行きたいんすか」

「ん、三百年引きこもっている心境がどんなものかは聞いてみたいな」

「喧嘩売ってるじゃないっすか!?」


 マルクトのツッコミに、師匠の眉が一瞬上がった。

 いやいや、その発想はなかった、みたいな表情しないでください。


「そっか、そんなに長く一つのことをできるのはもう才能だと思うから、話を聞いてみたかったんだけどな」

「なんで悪い奴と仲良くなろうとしているんすか」

「会ってみる前から他人を決めつけるのはおすすめしないよ。でもいっか、マルクトがそんなに嫌なら大人しく迂回路を取ろう」


 なぜか俺のせいにされてる……。

 というか、反対しなかったら登りに行く気満々だったのか。


 でもそのおかげで命拾いしたから、つべこべ言うのはやめておこう、とマルクトは思った。


 別に師匠の実力を疑っているわけじゃない。でも避けられる危険はできるだけ事前に避けるべきだって、思う。

 ……別に師匠が心配だからとかじゃ、ない。


「この街を出て西北に進むと、ギブアリブズっていうそこそこ大きな街があって、私の知り合いもいるんだ。回復魔法の使い手でね。君も勉強になると思うよ。しばらくそこに滞在して、夏が過ぎたら涼しくなるから、その時に国越えしよう」


 師匠は、頭の中にある旅の予定を話した。

 すごくスケジュールのゆったりした移動計画に聞こえたけど、国越えしたことないから、こんなものなのかわからない。


 回復魔法……また光線魔法じゃないもの覚えさせられそうだなあ、とあまり興味を持てなかった。


「ああ、あと、マルクトがまっとうな魔法使いになりたいんだったら、ソフィア魔導学院に入学する方法もあるけど」

「なんすかそれ」


 魔法を教える学校があるというのが初耳だった。

 あと、まっとうな、という言い方も気になった。それってつまり、師匠はまっとうじゃない自覚がある——。


「そこで3年間みっちり勉強すれば、好きな魔法を学べて、ライセンスも取れて職業の紹介もあるから生活には困らな——」

「師匠、もっと早く言ってくださいよ!」


 最後の方は聞いていなかった。

 師匠が全然光線魔法を教えてくれなくて、マルクトは気持ちがくすぶっていた。その欲求不満が大声になって出てきた。


 水をお湯に沸かすとか掃除とか料理とか、こまごまとした生活魔法を「マルクトの方がうまいから」とか言って押し付けようとされていた。最初はそりゃあ自分に才能があるんだと褒められて嬉しかったけど、さすがに……師匠が面倒臭いだけだろ、と思うようになってきた。


 提案したのは師匠のくせに、驚いた顔をしていた。


「マルクトはそれで本当にいいのか?」

「いいっすよだってその方が……」


 学校で正式に教わった方が師匠の後ろ姿に、あの光線魔法に近づく早道だと思った。

 だって師匠が全然教えてくれない。だって足手まといになりたくない……マルクトが理由を言おうとすると、師匠は、ほとんど被せるようにして意外すぎることを言ってきた。


「ほとんどの学校が光線魔法は教育科目から外れているけど」

「え——っ」


 マルクトは絶句する。


 それって、それなら、師匠は光線魔法をどうやって——その前になぜ外されているのか。


「なんでなんすか」

「昔、やたらと人に向けるバカがたくさん出てね」

「ああ……」


 なんとなく想像できた。

 教わったんだぞ、ほら見てくれよこれ、バーン。そして勢い余って……うん。そういうことがあったんだろう。


 マルクトの反応に、何か感じるところがあったらしい。師匠は急に先生気取りで、説明し始める。


「いいかい、世間知らずのマルクト君は聞いたことない話かもしれないけど、攻撃魔法を公共の場で使うのは法律で禁止されているんだ。もちろん光線魔法もそれに含まれている」


 夢もロマンもない話に、マルクトはまたもや絶句してしまった。


 そんな、世知辛い……ってもしかして師匠って、極悪犯罪人?


 ふと、脳裏に変なことが浮かんでしまった。


 法律で禁止されているということは、そして法律を破ったということは、それは犯罪人だ。


 ……って言っても師匠、毎日のように魔物を狩ったり、高所の木の実を落とす時とかに使っているけど。


「というのは隣の国の話で、ここはからね。自主防衛とみなされる」


 師匠は自分で説明しながら、顔に笑みが広がっていった。その笑みが、やったことありますみたいなふうに見えた。


「じゃあ……」


マルクトはまた別のことが気になってしまい、じっと師匠の様子を見つめる。好戦的な師匠なら、もしかしたら……あるのかもしれない。


「そういうのも覚えておくと損はないよ」


殺ったことがあるともないとも答えないあたり、この時の師匠からはすごみを感じて、ちょっと恐くなった。

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