第5話 基本にして便利な生活魔法④

 マルクトはゾッとした。山賊の話は聞いたことがあっても、実際に出会ったことはなかった。それが今、目の前で、師匠と会話をしている。

 それも、下手をすれば自分の命と引き換えに……。


 師匠は杖底をトンっと床に叩くと、信じられないことに、優しく微笑んだ。


「嘘じゃないよ? やってみる? 命の保証はしないけど」


 言い返されるとは思わなかったのだろう。統領の人相が鬼のような形相に変わった。


「おのれ……! 取り押さえるんじゃ」


と言った瞬間、統領の座る足元に、大きな魔法陣が出現した。


「!!」


 全員の動きが止まった。師匠に手を出せば、統領の命もないことを本能的に察したのか、誰も手を出そうとしなかった。


 師匠の時だけが、動いていた。


 不敵に笑ってみせる。しかしその目は、笑っていない。


「やってみる? ——自然の摂理への叛逆を」


 どういうことかはわからない。でも師匠の言葉は、暗にこう言っているように聞こえた。


 その魔法を使えば、人間じゃなくなる。

 それでも使うのか?


「…………追い出せ、気味悪い」


 統領は声を震わせながら、奇跡的な自制心でそう命令した。「やっつけろ」とは言わなかった。


 魔法使いとそうではない人間の力量差を、まざまざと見せつけられた気分だった。魔法使い相手では、槍が何本あっても、人が何十人いても、蟻を踏みつぶすように蹂躙される……ここにいる誰もが、そう感じただろう。


 槍ぶすまから解放された。

 師匠も、魔法陣を消した。


「賢明な判断だと思うよ。じゃ、行こう」


 マルクトに呼びかける。


「は、はい……」


 二人が大広間を出るまで、誰も声を発さなかった。


 入った時と違って、案内もいない。家は閉ざされ、周りに人が見当たらない集落で、日が暮れようとしている。

 師匠は暗くなってきた周りを見て、頭をかきはじめた。


「あー……、『万全の準備を整えて明日やります』って一泊して、ごちそうももらってから、とんずらした方がよかったかなあ」


 人聞きの悪いことを呟き出した。


「師匠、さっき何やろうとしてたんすか……」


 それでも外に出て、ようやく息ができる心地がした。

 それで、質問してみた。さっきまでのすごみある雰囲気は消え去り、いつもの師匠が、隣を歩いている。


「暖房魔法。魔法陣の上の空気が温かくなる魔法でね、冬場に重宝する」

「……え?」


 耳に入ってきた内容が、信じられなかった。だって師匠はあの時——。


「まあ年配の弱った人と喧嘩するのも、ね」


 気まずそうに言ったけど、その気まずく感じるべきところが、だいぶズレている気がした。


「じゃ、じゃあ、さっき言ってたことって本当だったんすか」

「何が?」

「変化をとめるとかなんとか……」


 人体の変化をとめるってどういうことなんだ、とマルクトは聞きたかった。師匠は「ああ」とやっと理解したような様子を見せた後、マルクトの意図とは違うことを答えた。


「老いるし病気にもなるし死ぬから、人間味があるんだ。それをなくしたら、何をもって人間だと言いはればいい?」


 質問とも意見ともとれるようなことを呟きながら、マルクトをまっすぐに見る。


「さ、さあ……?」


 人の形をしてたら、それが人間じゃないんだろうか。ああでも、石像は違うか。手足が2本ずつあって……でも片腕を事故でなくした人が人間じゃなくなるわけじゃないし、師匠は魔法使いだけど、それでも人間の一人だ。


 じゃあ人間って、なんなんだ?


 そう思っていると、斜め前の木の幹に、ヒュン——と矢が突き刺さった。


「——へっ!?」


 マルクトは我に帰り、バッと後ろを振り向く。


 そこには男がキリキリと歯ぎしりをたてながら、2本目の矢を弓につがえようとしていた。


「統領様とオレ様の恨みを受けろぉ!」


 その声と姿で、師匠が背中に冷水を流し込んだ人だ、と思い出した。服は着替えたようだった。


 師匠は杖を回すと、


「私は何もしていないはずだけど?」


面倒くさそうに振り向きざま、杖から水鉄砲を放った。


「ギャ!?」


 男は驚いて手を弓から離し、そのまま矢が明後日の方向に飛んでいく。


 ……いや、何もしてないこともないんじゃないっすか。


「ひ、卑怯だぞ魔法なんか使いやがって!!」


 自分から武器を手放していながら、わめき出した。

 その言葉に師匠は固まってから、突然腑に落ちたように口を開いた。


「ああ、使えるようになりたい?」


 師匠、多分違うと思います。


 師匠の言葉に、さらに男は狼狽して、


「そ、そんなバカ言うなよ、使えるわけねえだろ」


 ツンデレみたいな発言をしだした。可愛くはない。


「できるよ。魔法が使えないんじゃなくて、使えないと思っているだけだよ。大多数の人は」

「オレ様はな! 村で一番頭悪いってバカにされているんだ」


 会話が噛み合っていないし、なんの自慢にもならないことを言ってきた。


 師匠、こんなのと付き合ったって、バカが移るだけっすよ……と思った。当然師匠も適当にあしらうものだと思っていたら、


「やってみないとわからない」


面白がっているふうに好意的な笑顔を見せた。


「え、し、師匠……?」

「そういえばマルクトに水の出し方も教えようと思っていたんだ。一緒に教えればちょうどいいよね」


 なぜか教える流れになっている。


「お、オレ様にも出せるっていうのか!?」


「うん、水汲みから解放されたら、村の英雄になれるよ」

「英雄……」


 フラフラと体を揺らしながら、近づいてくる。完全に、言葉の響きに騙されている。


 いや、確かにそうっすけど……マルクトは納得いかなかった。水を出すだけの英雄って、なんかだいぶカッコ悪い。


 そのまま青空教室が始まった。

 なんともいえないカオスな絵面だと思った。


「まあ、マルクトには改めて説明するけど、魔法には『火・水・風・土』の四属性が一番基本的な要素だと言われているんだ。それ以外にも色々属性はあるけど、この四つがなぜ基本なのかというと、マルクト、わかる?」


「えっと……大事だから?」

「そうそう。生命が生まれたり生きていくために必要になるから。この中でも、水は一番わかりやすいね。誰もが必要だってわかる。

 だけど魔法っていっても、何も無から出しているわけじゃない。体の中にある精神エネルギー、魔力に方向性を与えて、形にするんだ」


「さっぱりわからねえ」


 師匠の説明もそこそこに、男は頭を抱えてまわし始めた。


「イメージすればいい」


 師匠は自分の杖を渡した。男は受け取ると——一目散に走り出した。


「あっ!?」


 マルクトが叫んでいると、師匠は指パッチンをする。


「なんだかよくわからねえけど、この杖がなけりゃあ何もできな——ビャー!?」


 また背中に冷水を注ぎ込まれていた。男は杖を落として逃げていった。

 師匠が何も持たずに魔法を使っていたのを、見なかったのかこの人……?


「行儀の悪い生徒だったな」

「いや、そういう問題っすか」


 師匠は杖を拾うと、今度はそのままマルクトに渡そうとする。

 え、このまま続けるんすか……?


「まあ、結論としてはイメージだ。やってみようか」


 マルクトは差し出された杖を丁重に受け取ると、その重みを感じ取った。


 ここで続けていいのかとか色々不安に思ったけど、師匠が大丈夫だと判断したならいっかと飲み込んで、そのまま目を瞑る。


 水。

 ……。


 井戸の水を毎日くみにいった記憶がよみがえってくる。重いし大変だけど、それが当たり前だと思っていたあの日々。それから水と言えば、川、池——。


「飲み水がいいな」


 師匠は注文してきた。


 飲み水なら山の湧き水とか……飲んだことはないけど、物語でよく出てくる、清らかでおいしい水……それを自分も飲んでみたい。


 火を出す時の経験でコツが掴めてきたのか、そんなに時間はかからなかった。


 杖の先から、ポタポタと水が垂れてくる。その音を聞いて、


「あっ……」


マルクトは思わず声が出た。


 いつの間にか師匠がコップを出して待っていたのだ。

 そして5分の1ほど溜まった水を、そのまま口につけた。


「え、ちょ、師匠——」

「お、いけるいける」

「殺菌しなくて大丈夫なんすか!?」


 いつか食あたり起こさないか、心配になってきた。


「水を出すって単純に言っても、中身は複雑なんだよね。使い手の性格とか気分によってだいぶ味が変わるんだ。私のは不純物が多いから、一度沸騰させないと安心して飲めないんだけど」

「へえ……?」

「よし、今度からウォーター係に任命するよ」


 勝手に任命してきた。井戸水をくむ労働から解放されたと思っていたマルクトは、


「それって、ていのいいパシリじゃ——」

「マルクトの水が飲みたい」


まっすぐな目をぶつけてくる師匠に、何か本気なものを感じた。パシリとかじゃなくて、本気でそう思ってくれている……それだけで、マルクトは胸がじんわりと熱くなるのを感じた。


「師匠——」

のため、と言いかけて、マルクトは急に気恥ずかしくなった。


「光線魔法のためっすよ」


 ぶっきらぼうに言う。


「うん、そうだね」


 師匠はニコニコしていた。その笑顔を見ていると、今日は二つも魔法が使えるようになったんだと、実感が湧いてきた。

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