第4話 基本にして便利な生活魔法③

 二十分ほど歩く間に、なぜか一緒に歩く人が一人、二人と増えていく。最初は待ち合わせしていたのかなと思っただけだった。


 でも、マルクトたちを囲むように歩くのを見て、逃げ出さないようにしているのだと、さすがのマルクトもわかった。


 大事になってきたのを、ようやく認識した。


「ちょ、師匠、いいんすか」


 師匠に近づいて、小声で耳打ちする。


「まあ、どうにかなるよ」


 師匠はあっけらかんとしている。かと思うと、マルクトに耳打ちし返した。


「それに、もし売られた喧嘩だったら、買わないと失礼だ」

「師匠……?」


 今、なんて言った?

 売られた喧嘩を買う? 買わないと失礼……?


「おいそこ、こそこそするな」


 男性にとがめられる。師匠はニコニコしながら、これにも言い返した。


「統領に会えるのが楽しみだなって話だよ」


 師匠の耳打ちを聞いた後では、全然違う意味に聞こえた。


 しばらくは、ほとんど森のような自然道を歩いていたが、視界がひらけると生活感ある集落に入った。小麦畑が広がり、茅葺き小屋、木造の家がポツポツと見える。


 さらに進むと家が増えてきて、好奇の目でマルクトたちを見る住人もいた。それを見てマルクトは、自分が出発する時のことを思い出した。

 周りに住んでいる人が、自分と関わりがある人も大してない人もみんな出てきて見送りに来た。娯楽の少ない彼らは、旅人を見ること自体が娯楽なのだろう。


 そのうち、一番立派そうな家が見えた。塀に囲まれた木造の屋敷だ。


「ここが統領様の屋敷だ」

「ふーん」


 男性の説明に、師匠は屋敷を見上げる。


 こうした状況でも平然としていられるのか……マルクトはどうしてそんなに余裕があるのか、わからなかった。


 でも、それは外面的にそう見せているだけなのかもしれない。中へ入る瞬間、師匠の杖をにぎる手が強くなったのが見えた。


 入口以外の採光がない大広間は、薄暗かった。左右の壁に、剣や盾、槍、弓矢、いろんな武器がかかっている。そして地面の左右にも、表情を隠した人間たちが片手に槍を持ってずらりと並んでいる。

 ここの土地は武力で守っているということを示すように。

 来訪者に威嚇するように。


 でも、なんとなく彼らの気持ちもわかるような気がした。


 魔法は人間の常識をこえる圧倒的な力だ。

 そしてそれは、魔法が使えない人間にとっては脅威になり得る。


 防衛する手段を持たない人間にとっては、遠くから見れば英雄や超人かもしれないけど、実際に出会ったら、完全な降伏か、逃走、無謀な敵対かという選択肢しか残っていない。


 警戒、好奇、諦念、敵意、無関心——さまざまな目があった。マルクトはあまりにも多くの視線にさらされて、身がすくみそうになった。

 師匠に声をかけた男性が、


「連れて参りました」


型通りの礼をこなしながら、報告する。


 朱色の布がかかった椅子に、豪奢な服を何十にも着飾った人が座っている。首の上は皺がれた老人の顔がのっていた。

 男性? 女性? ぱっと見わからなかった。


「ご苦労。こいつはわしの甥でのう」


 感情をそのまま言葉に乗せる話し方で、ようやく老婆だと分かった。甥を道案内役にしたということは、かなり信用を置いているんだということを示したいのかもしれない。


「うぬがセシリアと申す者か」


 統領は言った。大勢の視線が師匠に集まった。師匠は黙ったまま統領を見ていたが、そのうち何を考えているのか、苦笑いを浮かべた。


「ずいぶん警戒されているね」

「歓迎のつもりじゃが、気に入らんかったかな」


 統領は師匠に向けて、口角を釣り上げた。それは野良猫が餌をもらいにくる時のような、媚びが入っているようにも見えた。


「ご噂はかねがね、何年も前から聞いたことがあってのう。それはそれはすごい発明をじゃったと、何人もの魔法使いから聞いたわい。わしがまだここから立って動き回れた頃からじゃ。今はまだやらんといけないことがたくさんあるのに、時間も体力も足りん」


 繰り出されるお世辞に、師匠ってそんなに有名なのか……と、一瞬思いかけたけど、統領が今話しているのは、全く別の魔法使いの話だ。

 マルクトは固唾を飲み込んだ。


「それより昔は集落一の美女だと言われたもんじゃ。信じられぬだろう、その目で見ぬ限りは」


 顔をしわくちゃにしながら乾いた笑い声を立てたかと思うと、ゴホゴホと咳き込んだ。話すのもしんどそうだった。

 しかし目の鋭さだけはいやなほど増していった。マルクトはその正体がわからず、自分に向けられているはずじゃないのに背筋が凍るような恐怖を感じた。


「わしが何を望んどるか、わかるじゃろ?」

「……」

「他でもないおぬしの魔法じゃ」


と言い出した。マルクトはびっくりした。


 え、師匠の光線魔法をぶっ放せってこと? ここで?

 と思ったら、全く違った。


「人を若返らせる魔法——礼はいくらでも出す。わしにそれを使ってくれんか」


 目の輝きが執念の塊で黒々と光った。

 

 ……。

 なんだそれ。


 それがマルクトの感想だった。そんな魔法があるのも初耳だし、それに対していくらでもお礼をするなんて、大げさに感じた。


 師匠を見ると、眉をひそめていた。マルクトと同じことを思ったから? いや、そうじゃなかった。


「……勘違いしているよ」


 そう言い出した師匠に、マルクトは肝が冷えた。


 まさか、セシリアじゃないとか言い出すんすか、ここで——!?


 師匠は少し硬い声色で説明をはじめた。


「あの論文……セシリア・フェルツの論文には、若返らせる魔法じゃなくて、人体の変化をとめる魔法って書いたはずだけど。読めばはっきり書いてあったはずだよ。だから使っても今の状態が続くだけ。過去に戻る偉業なんて、まだ人類史上誰も果たしていない。——それに、生老病死があるから、人間でいられる」


 魔法に論文なんてあるんだ。

 マルクトにとってはそこも、初耳だった。


 本当なのか、わからない。

 でも、師匠が嘘をついているようにも見えない。


「論文……?」


 そもそも、最初から若返る魔法なんて発明されてなかった——。

 少なくとも、師匠はそう主張した。


 自分の望みを真っ向から否定されたことに、統領は自分の勘違いではなく、目の前の師匠に怒りをぶつけた。


「ふざけたことを抜かす余裕があるのかえ?」


 老婆が手を挙げると、槍が一斉にマルクトたちに向けられた。


「——ひっ」


 マルクトは穂先の鈍いきらめきに、えぐられるイメージに襲われて叫びそうになった。実際に幾つかの視線からは、殺戮を望むかのような狂喜を感じた。


 たった二人に、これだけ大人数で敵対するっていうのか——だけど、これが山賊の本性、やり方なのだろう。統領の甥は奥の方で、硬い表情で黙ったまま腕組みをし続けている。


「嘘をつくのも大概にせい。可愛い子どもごと失うぞ」


 統領はすかさず言う。

 その通り、マルクトの命も人質に取られたようなものだった。

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