第2話 基本にして便利な生活魔法①

「マルクト、今日はいろいろ魔法を教えよう」


 晴れて弟子入りできたある日、師匠はそう伝えてきた。


 マルクトはそれを聞いただけで飛び上がりたくなった。ついに光線魔法が教えてもらえるんだ。ついに師匠みたいに撃てるんだ。


「よし、じゃあ、まずその辺で座って」


 楽しみになりすぎて、街道のすぐ脇にある木陰に座るように指示されたことの意味がわからなかった。


「……?」


 マルクトはおとなしく座る。この流れはもしかして……?と思っていると、師匠はリュックから小鍋と金属製のコップを取り出し、その辺の枝と石を集め始めた。


「便利だから覚えておくと楽だぞ。まずこれから……これが水を出す魔法、で、火を出すのがこれ。で、沸騰させて飲み水にできる。それから先にやっておこうか、石けんの代用魔法……」


 説明されていくうちに、マルクトはだんだん耐えきれなくなってきた。

 そして込み上げてきた感情をそのままぶつけた。


「師匠! 俺は光線魔法が学びたいっす! ないんですか!?」

「……マルクト、物事をうまくこなすには何事も順番がある。それにこういうのもバカにならないよ。旅をいかに快適に過ごせるかがかかっているんだ……」


 なんだか、断崖絶壁の命懸けでよじ登っているような必死さで訴えられた。

 昔、何があったのだろうか。

 そこまで真剣に言われると、納得しないと悪いような気がした。


「そ、そうなんすか……」

「そうだよ」


 師匠は力強くうなずく。

 話しているうちに、水の入った小鍋がコトコトと音を立て始める。しばらく沸騰したら飲み水に使える。


 それを見ていて、思った。


「師匠、お湯を出す魔法はないんすか」

「……水がお湯になっていく過程がいいんじゃないか」


 言い訳にしか聞こえなかった。


「この音いいだろう? それに魔法に頼りすぎると、人間らしさが失われてくる」


 さっきまで魔法の快適さを話していたはずなのに、真反対のことを言い始めた。でも師匠の中では矛盾していないらしい。


 風が時々吹き、茂みがガサガサと揺れる。上の木から、丸い葉っぱが一枚、マルクトの服の上に落ちてきた。マルクトは半ば無意識に払いのけた。


 師匠は、小鍋から師匠特製の茶の入った金属のコップにお湯を移す。動きが手慣れていて、入れ方が一つ一つ、様になっている。


「マルクトも飲む?」


 小瓶に入った乾燥した葉っぱを、マルクトのコップにも突っ込もうとする。


「水でいいっす」


 慌てて即答した。

 この前、味見したことがあるけど、これでもかってくらい渋くて苦かった。「なんすかこれ」と言ったら、「その辺の食べれる葉っぱを煎った」と説明された。師匠はそれを「甘くて美味しい」とか言いながら飲んでいる。


 ガサガサと茂みが揺れ続ける。風が吹いていないのに? ——気がつくと、藪にはさまれたせまい道から誰かが出てきた。

 ところどころ服が破れていて、繕った跡が見える。そして手に、棍棒を持っているのが見えた。

 ヒョロリと背の高い男は絶え間なく体を左右に揺らしながら、


「へい、てめえら、ここが統領様の土地だって知ってて入りやがったな? あ?」


 マルクトたちを見下ろし、荒っぽい巻き舌で威嚇する。そのまま棍棒で殴りかかってきそうな勢いがあった。

 なんだかよくわからないまま、マルクトは怖くなった。


 師匠は苦いお茶をすすりながら、男に質問した。


「誰?」

「はあ!? 知らないっていうのか!? カトリーナ様だぞ!!」


 マルクトの知らない名前だった。

 ふと師匠の顔を見ると、師匠の反応も薄かった。一瞬面倒そうな表情が浮かんだあと、急に何かを思いついたように右半分の口角が上がった。


「それを言うなら、その口の聞き方は私が大魔法使いセシリアだと知って言ってるのか?」


 意気揚々と言い出した。


 あれ、師匠の名前ってエヴィじゃなかったっけ?という疑問と、お茶を飲みながら言っているせいで全く緊張感が生まれていなかった。しかも自分で大魔法使いとか言っちゃうのか、言っちゃうのか……。


 しかし相手には効果があったのか、しばらく固まっていた。それから冗談だと思ったらしく、


「へっへっへ。ふざけた口利きやがって。オレたちを舐めたらタダじゃ済まなビャーー!?」


 突然奇声を上げて逃げ出す。後ろ姿がよく見えた。背中がびしょ濡れになっている。

 ふと隣を見ると、師匠が指パッチンしていた。


「……何したんすか」

「背中に冷水流し入れた。便利だろ? 生活魔法」

「光線、撃たないんすか」

「そんな簡単に撃つものじゃないよ、あれは」


 なるほど、やっぱり特別な魔法だから、あんなやつに見せるほど安いものじゃないってことっすか。マルクトは納得した。


「なんだったんすかね、さっきの人」

「豪族か山賊かわからないけど、まあこの辺に住んでいるんだろうね」


 師匠は肩をすくめて見せる。

 面倒にならないうちに進もう、という師匠の呼びかけで、休憩は終わった。手早く火を消して鍋を片付けると、また歩き出す。


「師匠、さっきの大魔法使いって……」

「ああ、そういう有名人がいるらしいんだよね。こう言いたかったんだ。『君がやっているのはこういうことだよ』って」


 カトリーナか何かわからないけど、お偉いさんの名前を振りかざして脅そうとしている。それは虎の威を借る狐だ、ということなんだろう。


 ……師匠って、売られた喧嘩は買う方なんだろうか。

 一抹の不安が生まれてきた。

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