第9話 動乱の文化祭⑧

 にぎやかな廊下の中、息を切らして走る僕をたくさんの人が迷惑そうな視線を向けた。体育館の前に来れば、人だかりは特に多くなった。どうやらもう、開場したらしく人の出入りが激しくなっていた。

 あともう少しすれば、一番手の舞台が始まる。ぼやぼやしていればすぐに宝条のクラスの出番になってしまうだろう。

 肩を上下してあたりを見渡すと、体育館横にいくつものテントが並んだ場所が目に入る。幕にぐるりと覆われて中の様子の見えないそれは、関係者以外立ち入り禁止と張り紙がされていた。

「ちょ、ちょっと君!」

 人の流れに逆らって、強引に列からでると、後ろから実行委員らしき生徒の注意の声が聞こえたが、他の観客たちが邪魔でこちらに駆け寄れないのをいいことに、僕は幕を持ち上げて中に入った。

 中は、外と違って人がまばらだった。ブルーシートが敷かれ、演目に必要な道具がクラス別に区画を作られ置かれている。演目を控えた生徒たちは忙しなく行き交って、こちらを気に掛ける余裕もなさそうだった。

 そんな中、いくつもの大道具に囲まれて隅にいた人物と目が合った。

「に、西山さん……」

 制服姿のまま、目を見開いて棒立ちになっている。急いで靴を脱ぎ駆け寄ると、困惑の色を彼女は強くした。

「な、なんでここに……」

 どこか委縮した様子で話しかけてきた彼女に、僕は躊躇いながらも本当の事を言うことにした。

「……宝条のクラスメイトが話してるのを立ち聞きした。劇に出ないって」

 宝条が息をのんで、目を伏せる。まるで怒られるのを待つ子供のように頭を下げた。

「……ご、ごめんなさい」

「なんで謝るんだ!」

 つい口調が荒くなり、はっと口を押さえる。宝条は項垂れたまま肩を揺らし始めた。

「あ、あんなに付き合ってもらったのに、げ、劇、で、出来なくてっ、わたっ……私……い、言えなくて……」

 手に持っていた端の擦れた台本を宝条が握りしめる。使い古していたのに折り目の一つもなかった表紙に、いくつもの皺が寄る。

 遠くから開演を告げるブザーが鳴り始める。一番手の出し物が始まったらしい。宝条のクラスは一学年の中では後ろの方だが、まだ余裕があると言っても今から一から演者探しなどできるわけがない。それに、音響も照明も、誰一人としていないのだ。

 準備に忙しく行きかう人々は騒がしいはずなのに、膜が張っているように現実味がない。

 宝条は制服が汚れるのも構わずにしゃがみ込み、顔を伏せた。声を殺してはいるが、隣にいれば嫌でも嗚咽の音が漏れ聞こえてくる。

「……宝条」

 声をかけても返事は無かった。

 けれど僕は構わずに話し続けた。

「劇は出来る」

「え?」

 間の抜けた声を上げて、宝条が顔を上げる。長い前髪の隙間から涙で濡れた顔が見えた。

「でも、本当にするのかどうか。それは君が決めてくれ」

 緊張で乾いた喉から、掠れた声が絞り出される。

 自分でも手が震えているのが分かった。これから僕が、彼女へと提案しようとしていることが、どれだけ馬鹿げたことで、沢山の人を巻き込んで迷惑をかけるかを理解していたからだ。

 ポケットの中で振動していた携帯を取り出す。立花からの着信に僕は耳を当てる。

『東! さっきからずっと鳴らしてるのに遅いよ!』

 少しばかり腹を立てた様子の声が電話口から聞こえてくる。

『言われた通り佐原部長達を連れてきたけど、どうするつもり?』

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ムジナの穴 見切り発車P @miki-P

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