第9話 動乱の文化祭⑦

 人ごみに疲れて声の少ない方へと動く。乱雑としながらも人の目を意識して取り繕われた表とは違い、手あたり次第に荷物の置かれた裏側は、普段教室として使われているはずの場所であるにもかかわらず、微かに路地裏のようなガラの悪さを感じさせる。

 立花と別れた僕は、早足で校舎へと向かった。胸騒ぎの原因を解き明かして安心したかったからだ。

 しかしながら、出店スペースとしても使われている教室もあるうえに、宝条の教室がどこなのかも分からず、無計画にうろつくことしか出来ていなかった。

 少しばかり休憩しようと、人気のない場所へと入り込んだ時、誰もいないと思っていたのに不意に人の声が聞こえた。

「うわ。また宝条から着信だ。でねぇって言ってんのに」

 知った名前が聞こえてつい足を止めた。チラシやポスターがべたべたと張られた壁の向こう、教室の中から話声は聞こえた。

「にしても、マジでステージ立つのかなぁ? 宝条!」

 複数人の嘲笑を含んだ声は、悪意を隠しもせずに交わされていた。

「え、無理っしょ。本読みの時も、ろくに喋れてなかったじゃん! 声小っちゃくて何言ってるかわっかんないし、めちゃくちゃどもってんの。うけるよねぇ~。ま、あの一回しか練習してないけど~」

「本読み? ああ。あの教壇に立たせて一人で読ませたときの?」

「あれ、チョーうけたよね。てか、あんとき、宝条さぁ――」

 頭がカッとなり、教室の扉を開けかけたが、うまく動かない左腕が引きつって手が止まった。そんな一瞬の間に、気になる会話が耳に入って、僕をその場へ引き留めた。

「でもさ、あいつ一人で練習してたみたいよ?」

「えぇ、嘘ぉ~。アイツほんと馬鹿だね。頑張っててもあたし達、今日の舞台には行かないのに!」

 舞台に、行かない?

 すっと、冷や汗が額に流れた。嫌な予感がして、腕時計へと視線を落とす。舞台出演者は一足先に集合しなければいけないと宝条が口にしていた気がする。それは、何時だっただろうか?

 かすかな記憶の中を探って思い出した時間を、時計は五分ほど過ぎていた。

 宝条は、一人で――。

 鈍く動く頭を、不快な音が通過していく。

「え。まじで、ほっとくの? 私らもなんか言われない?」

「言われないよ~。だって、宝条の名前でしか書類とか提出してないもん。だから、なんか言われるのもあの人だけ♡」

「そもそもセリフも覚えてないじゃん。行っても何もでき無くない?」

「え~、じゃあ、あの人の独壇場だ。見に行く?」

「はははっ。また本読みの時みたいになるだけっしょ!」

 反響するはずのない声が、なぜか響いて聞こえるようだった。呆然と理解できない会話が流れ出ていく。

 このまま、こんな奴らの所為で宝条の劇は終わってしまうのだろうか。あんなに練習をしていたのに。

 あの時、宝条が文化祭の役を押し付けられて泣いていた時、彼女は震えてしゃがみこんでいた。僕らに怯えた目を向けて、真っ青な顔をしていたくせに、兄である先輩に心配をかけまいとしていた。

 怖かったはずなのに、立ち上がって、僕らの言葉を信じて毎日馬鹿みたいに練習して、ステージに向かってくれた。彼女が、どうして報われないのだろう。

『ご来場の皆様方へ、実行委員よりお知らせいたします。体育館にて行われますクラス演目の開場を十分後より開始いたします。ぜひ足を運んで――』

 明るい音楽のあと、はきはきとした校内放送が流れ始めた。薄い扉一枚隔てた先で、どっと嘲笑が沸く。

 頭の中には、先ほどの宝条のこわばった笑顔が浮かんでいた。

 頑張りたいと、彼女は言っていた。

 僕は、頭を冷やすために静かに息を吸った。そして手にかけていた固い引き戸の金具から指を外した。

 足は体育館へと駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る