第×話 終わりの始まり
【×年前:キャンプ場近くの山道にて】
「は?」
嫌な衝撃が手に伝わって、咄嗟にブレーキを踏みこんだ。その衝撃から体は前へと進むが、体に巻かれたシートベルトがそれを拒んで、痛いほど腹や胸に食い込んでいく。
悲鳴のような音をタイヤが立てているのが分かった。諤々としながらも、車が道路を滑りながら急停止する。止まったことに安堵するよりも、何が起こったのかを頭が拒否していた。
――映画研究会所属で三年生の吉田は、嘘みたいに激しい動悸とそれに不釣り合いに冷たく固まった手でハンドルを握りしめていた。汗で湿った手が嫌な感触を返していた。
車のライトが目の前を照らす。ロクに街灯もない山道では、このライトだけが周囲を見る手がかりだった。フロントガラスに小さく黒い水滴がついている。いや、暗い中見るから黒く見えるだけで、それが本当は黒色をしていない事を車に乗っていた四人は知っていた。
「おい。おいおいおい……」
事態を飲み込めていないのか、平坦だが、焦った声音が後ろから聞こえた。
運転席に座っていた吉田はフロントガラス越しに見える光景が信じられなかった。
白いガードレールの前、ぐったりと先ほどまで追いかけていた男子高校生が横たわっている。頭からはだらだらと血が流れているのに、その体は動く気配が全くと言っていいほどなかった。よく見れば後ろにあるガードレールには大きなへこみが出来ていて、同じく、男子高校生の頭にも出来ていた。
バタン、と乱暴に後部座席の扉が閉められる音が鳴っていた。吉田が振り返ると、後ろに乗っていた二人が車外へと出たことに気づいた。
「な、なぁ、俺らも、降りる?」
助手席に座っていた同級生の桑野が不安そうに問いかけていた。吉田はそれに返事ができないまま、うわの空で車の扉を開けた。
外は真っ暗で、秋の夜らしく冷たい空気が流れ込んできた。固い感触を返すアスファルトの上に立つと、何故だか不自然によろけてしまった。まるで自分の体ではないような感覚がする。夢の中にいるようだと、その時の吉田は感じていた。
「うーわ」
「これって死んでんの……?」
「いや。……まぁ、そうなのか。おい、俺、内定決まったばっかりなんだけど」
「俺だってそうだって」
後部座席に乗っていた先輩二人、四年生の谷淵と井沢がどこか軽い口調で死体を前に話し込んでいた。
くるりと、谷淵が吉田を振り返った。その表情には少しの動揺は見られたが、それ以上にどこか面倒くさそうな様子が勝っていた。
「おい、何やってんの。これ、捨てるぞ」
「は、はい……?」
言われた言葉の意味が分からず、吉田は聞き返した。しかし、谷淵は至極当然といった様子で、顎で指図した。
「だーかーら、ココからこれ落として捨てるって言ってんの」
「す、捨てるって!」
「山の途中でさ、不法投棄見つけたじゃん。と、いうことは山の中に死体があったって見つかんないって」
「いや、いやいやいや! 先輩正気ですか! 人を轢いたんですよ!?」
「はぁ? だからだろ。てめぇが酒飲んでたから、ばれたら俺らだってしょっ引かれんの。内定取り消し、いや、大学も卒業できねぇかも。俺らの人生パー。嫌っしょ?」
「い……いやって……。嫌ですけど……」
吉田が震えて立ち尽くす中、井沢が桑野へと大声で声をかけた。
「桑野ぉ!」
「は、はい!」
突然、名前を呼ばれた桑野は視線を正して、彼へと向き直った。井沢は嫌に汗をかきながらも平然を装いながら、車を指さして怒鳴り散らした。
「ミネラルウォーターあっただろ。こっちもってこい!」
「へ? そんなの何に使うんですか……?」
「車についた汚れを流すんだよ! こんなので街中を走れねぇだろ。早くしろよ! 他に車通ったらどうすんだよ!」
乱暴に車の後ろを開けて、キャンプで残ったあまりのミネラルウォーターのボトルを下ろしていく。どかどかと置かれるそれを桑野は一瞬ためらいを見せたが、拾い上げてキャップを開けた。
「く、桑野! 本気かよ! 本気で……!」
「うるせぇ! じゃなきゃどうするんだよ! 捕まるか? 刑務所なんて絶対嫌だ! 黙ってれば何も変わらないのに、馬鹿正直になったって損しかないだろ!」
ひっくり返されたボトルから細く水が落ちていく、水が下に流れて、じわじわと何かを洗い流して地面を濡らしていった。細い口から、じれったく落ちる水へ、桑野が半狂乱でボトルを揺らす。
「早く出ろよ!」
正気じゃない。吉田は二人して車の血痕を落とし始めた光景を見て、後ずさりをした。足に、こつんと物が当たって、飛び跳ねる。振り向けば死体は少し先にあり、足元にあったのはただの木の枝だった。
うまく呼吸ができない中、谷淵がしゃがみこんで死体のポケットをあさり始めたのが見える。携帯を取り出したかと思うと、暗い中、電源をつけた。携帯の画面の光が谷淵の顔を照らしだしていた。
「何、してんです?」
谷淵の行動が理解できず、吉田が問いかけると、顔を上げることもなく操作を続けながらもおざなりに答えが返ってきた。
「いや、携帯使えねぇかなって。やっぱロックが懸かってんなぁ。誕生日とか……ん? お、身分証あるじゃん」
再びポケットから、カードのようなものを手にする。そこに書いてあった生年月日らしきものを入力すると、谷淵はにんまりと笑った。
「お~。開いた。よし、これ持って帰るわ」
「え……」
「連絡に返しとけばさぁ、死んだとは思わんでしょ。俺ってツイてんな。スペアの携帯手に入れちゃった。どうせ親が料金払ってるだろうし、はは、無料プラン付き。ラッキー」
ぐいっと、自分の尻ポケットへと携帯を押し込む。カード状のものは、コートのポケットへと戻していた。
「……おい。お前、さっきから何で他人事みたいなの?」
「え……」
「言っとくけどさぁ。お前が一番、罪が重いんだからな」
コキコキと、肩を回して音を鳴らしながら、谷淵は薄く笑みを浮かべた。ふわふわとした感覚の中、その笑みだけが目に焼き付くように嫌な予感を沸き立たせる。
「お前のためなんだよ。これは」
ぽん、ぽん、と肩が優しくたたかれる。柔らかな口調は甘く、悪魔のささやきのようだった。
一気に、肩が重くなったような気がした。手のひらにはじっとりと汗が張り付き、吉田はまるでまだハンドルを握っているような錯覚を覚えた。
俺だ。俺が殺した。
シートベルトが食い込んだ痕が痛い。震えが止まらない。
「大丈夫だって。知ってるだろ? 俺の父親、議員なんだよ。きっとお前の事、守ってくれるよ」
忍び笑いが横から聞こえる。気づけば、死体の両脇を抱えていた。見かけによらず、やけに重い。いや、重いのではなく持ちづらい。持っているその体はどこにも力が入っていないせいか、ぐにぐにとして重心がとれない。
「ちゃんと持てよ!」
苛立たしそうに降りかかる怒声に焦って力を籠めると、何とか持ち上がった。そのまま、勢いに任せて、ガードレールの外へと押し出した。
木の葉のこずれる音、鈍く肉の塊がぶつかる音、そんな音が重なって聞こえて、すぐに終わった。
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