第7話 異質な夏休み⑥

 音無拓海おとなしたくみは僕の中等部時代の後輩だ。一つ年下の中学三年生で、三か月だけ野球部に所属していて、その時に知り合った。

 細身で背丈は低い。僕と同じくらいだろうか。ただ僕と違って、あか抜けた容姿をと明るい性格をしており、背が低いからか異性に警戒心を抱かれにくいようで、女子の知り合いが多い。

 しかしながら、ちゃらんぽらんな性格の所為か、同性からの評判はあまりよくない人物でもあった。

 ……特に、入学して三か月ぽっちで野球部を止めてからの彼はクラスでも孤立している様子だったのを覚えている。学年が上がってからはましになったようだったけれども、卒業してからは会う機会も気に掛ける余裕もなくて、その後の様子を知ることはできなかった。

 そんな後輩が、記憶の中と違わない調子の良い笑みをぱっと浮かべた。

「あずま先輩! お久しぶりです!」

 地面に正座をしたままこちらを見上げる後輩に困って、僕は説明を求めて立花を見た。彼女は僕の視線に気づくと、ちょっと拗ねた様子で口を開いた。

「だから後輩の男の子だから心配いらないって言ったじゃん」

 どうやら以前、ストーカーの話題になった際に父が現れたことで中途半端に話が終わってしまったことを、僕が納得して引き下がったと解釈していたようだ。自分の言葉を信用してくれていたのではないかと、非難の視線を向けてくる。

 危機感がない立花の反応と、反省の色のない後輩に挟まれて、僕はどっと徒労感で力が抜けるようだった。

「付きまとってるのは演劇部の後輩だって言ってただろう」

 せめてもの抵抗に、立花の過去の発言を掘り起こすと、しれっとした顔で立花は音無を見た。

「嘘じゃないよ。演劇部にも入ったことあったよね?」

「はい! 二年の半ばに。ま~、一か月で辞めましたけど!」

 元気よく返事をする音無を見て、ほらねと言わんばかりに立花は笑みを浮かべた。

「はぁー……」

 頭の痛くなる会話にため息しか出ない。

「とにかく、付きまとっていたのは音無なんだな。まったく人騒がせな奴。結城が心配してたから、伝えておくからな」

「えっ!」

 とりあえず結城に連絡を入れようと携帯を取り出す。立花の事だから、彼にも本当の事は言っていないのだろう。彼氏にぐらい相談すればいいものを、と思ったけれど、このことで喧嘩もしていたようだから言いづらかったのかもしれない。

 ロックをかけていないスマホはすぐに開いて、連絡先の画面が開く。画面を操作しようとすると、右足のズボンのすそが引っ張られれる。

「ちょ、待って! 結城先輩に言うのだけは勘弁してくださいよ! 俺、殺されちゃいますって!」

 音無が右足に縋りつき、みっともなく懇願を始めていた。操作しようにも自分と同じぐらいの体格の男が纏わりついていればまともにできない。そんなに困るのならば、元々こんなことをしなければいいのに。呆れと面倒くささに、もう放っておこうかとも考えながらも、中学時代に仲の良かった後輩の痴態を見て、何とも思わないほど薄情にもなり切れず、ともかく理由だけでも把握しようかという気になった。

「なんだってこんなことしたんだ。立花に付きまとう理由なんてないだろう」

「え。いや~」

 携帯を操作する手を一旦下げ、そう問い質すと音無はぴたりと硬直し、視線をそらした。

 ごまかし笑いを浮かべ始めたので、もう一度スマホへと向き直る。

「ちょっと! 無言で通話かけようとしないでくださいよ! 言います! 言いますからぁ!」

 目ざとく再び縋りつく音無を引きはがすと、彼はやっと観念した様子で話し始めた。

「あの……怒んないでくださいね~」

「内容による」

「そ、そんないじわる言わないでくださいよ……」

 ここまで来て歯切れの悪い後輩を睨みつけると、音無は叱られた子供がするように指をいじっていた。

「立花先輩に話しかけたかっただけですよ。ただ、勇気が出なかっただけで……。今回も、直接話をする勇気がでなかったんで、もう下駄箱に手紙でも入れて済ませようと思ったんですよ。あの人ちょっとおっかないし。俺の事、すぐに睨むんですよ!」

「お前が付きまとい行為なんてしてるからだろ」

「誤解ですって!」

「大体、そんな緊張して話さないといけない話ってなんだよ」

「それは……」

 音無は言葉を詰まらせると、もう逃げ道もないと悟ったのか、がくりと肩を落とした。

「あの人、あずま先輩が肩壊してすぐに結城先輩と付き合いだしたじゃないですか。それって酷いし、ちょ、ちょっとぐらい怖がらせようって思ったってのは正直ありました……」

 音無は僕の表情を見て肩を竦ませたが、それはつかの間のことで、すぐに小さく首を振った。

「そ、それだけじゃないです。それと、きっと知らないと思ったから教えておこうって思っただけです」

「知らない?」

 不可解な言葉に眉をしかめる。わざわざ音無が立花に伝えておきたいことなんて考えつかなかった。中学時代に、音無と立花の間に親交なんてほとんどなかったことは知っている。結城と音無に関しても、野球部を辞めてから接点なんか無かった。彼が野球部を辞める際にひと悶着があって、彼らの間には確執があったからだ。音無と結城達にある接点なんて、それこそ僕くらい――。

 そこまで考えて、やっと僕は音無が何を言おうとしているのかに察しがついてしまった。中学最後の試合に、気まずいだろうに応援に来てくれた気の良い後輩が、何を知っているかに。

「……俺、あの、決勝戦の日、結城先輩が――」

 僕は、咄嗟に彼の口を手で覆った。後ろ、たった数メートル先に立花がいる。夏にも関わらずに、汗がすっと引いて、体が冷えていくのが分かった。

もしかすると声が聞こえてしまうかもと思うと、どうしてもその話の続きを音無から聞くのは憚られた。口を覆われた音無は戸惑った様子を見せながら、話を止めて僕の様子を伺っていた。

「……あの」

「分かった! 分かったから言うな!」

 焦る僕の様子に、音無は静かに頷いた。冷や汗が額を伝っていった。

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