第7話 異質な夏休み⑤
知り合いだから心配ないと、立花は言っていたけれど。以前話した内容を思いかけしたが、それも僕に心配させないための方便のように聞こえてきた。
不安になって、携帯を手に取ってちらりとその画面へと視線を落とす。立花からの連絡は来ていないが、練習を始めて思ったより時間が過ぎていた。午前だけの練習はそろそろ終わっていてもおかしくない時間だ。
どうにも集中できない台本を閉じる。宝条が不思議そうにこちらを振り返った。
「どうしました?」
「……立花のこと、迎えに行かないか?」
「え、もうそんな時間ですか?」
「す、少し早い気もするが、合流して昼飯を買いに行くならちょうどいいぐらいかな」
しどろもどろと口ごもりながらも、その場でこじつけた割には理にかなった理由が口から出た。本来なら、昼食を終えてからの集合だったので調達の必要はなかったのだけれども、偶然の遭遇からその必要が生じてしまっていた。
「今日は衣装もあるし荷物も多いはずですもんね! 運ぶの手伝わないと」
宝条は特に怪しむ様子もなくいそいそと荷物をまとめ始める。どことなく楽し気な様子でもある。
宝条には立花の付き纏いの話はしていない。無駄に不安にさせたくなかったのと、立花が相手が知り合いだと話していたことやあれからそれらしき人物に遭わなかったことで油断していた。
もちろん今だってただの考えすぎの可能性もあるし、さっきの話だって立花にも聞いてみればあっさりと解消される些細なおかしさなのかもしれない。しかし、疑念として放置しておくには、どうにもひっかかる。少なくとも立花には、もっと詳しく話を聞かなければいけないだろう。
久々に歩いた学校から河川敷までの道はいつもより長く感じるようだった。少し足早な僕の歩調に、宝条が小走りについてくるのが申し訳なかった。
裏門を潜り抜けて、校舎へと向かう。宝条は他校の様子が気になるのかきょろきょろとあたりを見渡しながら後を追ってきていた。
下駄箱付近まできて、「あっ」と宝条が小さく声を上げた。
「立花さんだ。ほら、あそこに」
すっと彼女が指さした方を見ると、廊下を歩く姿が見えた。少し距離があるが、立花もこちらに気づいた様子で小さく手を振っていた。両脇には結構大きな荷物を抱えていて、例の衣装が入っているのが分かった。
僕は立花の姿を見つけて、ほっと息をついた。
安堵して、彼女に対して手を振り返そうと視線を上げたとき、後ろの靴箱から、ガコンと不自然に音が鳴った。
今は夏休みで、今日は演劇部ぐらいしか校舎内にはいないはずなのに、練習が終わったばかりの他の部員たちが来ているはずがないはずなのに、なぜ下駄箱の方から音がするのだろう。
宝条に待っているように声をかけて、僕は一人で恐る恐る靴箱の方へと向かった。嫌な予感を否定したくて、足早に立花の靴箱がある方へと向かった。
角を曲がって、視界が開けたとき、フードを目深に被った背の低い男子生徒が、ちょうど立花の靴箱を開けて何かを入れようとしていた。
彼は、突然出てきた僕に驚いた様子で、咄嗟に手を引っ込めた。そして、はっと何かに気づいた様子でこちらを見ると、あたりを見渡した。動揺しているのが伝わってくる。
彼は少しの間逡巡すると、踵を返してこちらへ背中を向けて走り出した。
驚きで硬直していた僕は、呆然とその様子を見届けた後に、やっと事態を把握できた。
「おい! 待て!」
ワンテンポ遅れて、男を追いかける。うろたえている彼は、何度も躓きかけ、足も速くなかったのですぐに追いつけた。
少々、呆気にとられながらも追いついてすぐ、僕は彼の肩を掴んでひぱった。しかしながら相手の抵抗は弱く、僕の手を振り払う様子も見せないまま力に逆らいきれずに体勢を崩して後ろに倒れこんだ。
もっと激しい抵抗を予想していた僕は拍子抜けして立ち止まると、相手が尻もちをついたはずみで被っていたフードが落ちた。
「お前……」
露わになったその正体を見て、僕は息をのんだ。
「音無?」
名前を呼ぶと、相手は冷や汗を滝のように流しながらぎこちなく振り向くと、視線が合った瞬間に震えあがって頭を下げ始めた。
「す、すいませぇん。すいません! か、堪忍、堪忍してください! あずま先輩ぃ!」
涙目になりながら情けなく何度も頭を下げる後輩から手を放して数歩後ずさる。遠くから僕らの姿を見つけて駆けつけてきた立花が、少し息を切らしながら心底面倒くさそうなため息を一つこぼしたのが聞こえた。
「だから大したことないっていったのに」
ぶすくれた様子の立花がすぐ後ろでつぶやいていた。
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