第6話 春の悪夢⑦
アパートに帰る頃には外は真っ暗になっていた。金属製の階段は足音がよく響く。
鍵を開けて家へと入ると、強い疲労感が襲ってきた。
あの後、玉井はひどく傷ついた顔をしながらも、僕の頼みを聞き入れてくれた。あの死体はそのままに、僕らは無言で家路についた。
あの死体はなんだったのだろう。
思い出すだけで、腹の中に氷を押し込められてかき混ぜられるような感覚がする。
靴を脱ぎ棄てて、狭いワンルームへと足を踏み入れる。今日はこのまま眠ってしまおうか。そんな誘惑にとらわれながら上着を脱ぐとポケットに固い感触を感じた。
不思議に思い取り出すと、そこには立花の学生証が入っていた。
しまった。間違えて持って帰ってしまった。後悔したが、死体のもとにも戻すわけにもいかない。持っておくしかないだろう。
……立花。彼女は今、どこにいるのだろう。連絡のつかない彼女の事を思いながら、ガードレール下の崖にあった死体が立花でなかったことに安堵する。
僕は学生証をもう一度、上着のポケットに戻すと脱いだ上着を掛けるべくハンガーを手に取った。部屋干し用の物干しざおの端っこへとかけて、部屋の中央の万年床へと腰を下ろす。
不意に携帯が震えて、僕はカバンから取り出して画面を見た。通知を見ると佐原部長からで、明日は新入生勧誘の事で話し合うので全員もう一度部室に来てほしいとの連絡だった。
もしかしなくとも、僕の記憶喪失話の所為で流れてしまった話だろう。何となく察してしまって申し訳ない気持ちを抱える。
それにしてもあの死体はなんだったのだろう。疲れた頭にそれでも自然に思い浮かんでしまうのは、不自然に感情を乱されたあの死体の事ばかりだ。どうして僕はあの死体のことを周りに隠していたのだろうか。本当に僕が殺人を犯してあそこに死体を遺棄していた。
嫌な考えはあまりにも腑に落ちる。家から出てきた凶器のようなもの、そして僕が繰り返し見ていた動画に映っていた場所の近くに死体まであったのだ。人を殺して、隠ぺいのためあの山で処理したと考えるのが自然だろう。
僕は自分が恐ろしくなった。この一年のことを、本当に思い出してもいいのだろうか。どうにもできない取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。
嫌な考えには出口がなかった。堂々巡りになる思考には、その答えになる記憶がないのだから。
映研のメンバーからはここ一年についての手掛かりは今のところ引き出せていない。他に、誰か、知っている人物はいないのだろうか。野球部……のメンツとは肩を壊してからはあまり連絡を取っていた記憶がない。立花の彼氏だった結城とだけ親交が残っていた。仲の良いクラスメイトが居ないわけではなかったけれど、大学に進学してからも連絡を取り合うほどでもなかった気がする。
他に。靄が懸かったような記憶の中、一人の人物が思い浮かぶ。
――宝条。そうだ、どうして今まで思い出さなかったのだろうか。野球部の先輩である宝条晃の妹で、高校一年の頃に出会った友人の一人。
一筋の光明に僕は急いで彼女に連絡を取ろうと、連絡先をスクロールした。彼女なら無くした記憶の手掛かりを持っているかもしれない。それに、立花とも連絡を取り合っているかもしれない。
暗く沈んだ気持ちが浮き上がったのも、つかの間のことだった。意外にも多い連絡先の数々へ目を滑らせても、目当てのものが見つかることはなかった。
そこにはあるべきはずの、宝条の名前は何故かどこにも見当たらなかった。
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