第6話 春の悪夢②

 あの人物は誰なのだろうか。結城、宝条先輩、佐原部長……いや、彼らは平均身長以上あるからあの人物の背格好と被らない。僕と同じぐらいの身長、百六十センチ代となると、身長の低い男性か、高い女性が当てはまる。

 ……考えるだけ無駄か。夢の中の人物に知り合いをいくつか当てはめて、僕はすぐに諦めた。そもそも、この一年の間に出会った人物で忘れている可能性もある。無意識的に一部分だけ思い出しただけかもしれない。

 はあ、とため息を吐いて、僕は起き上がった。時刻は早朝。すっかり目も覚めてしまっていたし、起きるにはちょうど良かった。

 昨日、映研へと顔を出して、記憶を失う前の僕がよく見ていたという動画を見た。何の変哲もないキャンプ中の風景を撮ったものだ。

 動画自体に特色すべき点は無かったけれど、家に帰ってからキャンプ場の場所を調べると気になることが分かった。

 僕が、記憶を失って目覚めたあの不自然な穴とキャンプ場は同じ山の中にあった。これをただの偶然で片付けることは僕にはできなかった。

 今日は、あのキャンプ場と穴について玉井と調べる事になっている。

どうして彼女が僕へ献身的に付いてくるのかは分からないけれど、無下にすることもできず一緒に行くことを了承してしまった。

「っくしゅ!」

 くしゃみで一旦思考が止まった。汗で濡れた体を放置していたから、冷えたのだろう。

 玉井との約束の時間にもまだ余裕がある。朝の支度を整えるため、僕は布団から出て脱衣所へと向かった。

 脱衣所は、風呂のすぐ隣にある。

 隣で着替えていると、どうにも夢の内容が気にかかった。すぐ傍にあの人物がいるような気持ちの悪い気分になる。落ち着かない気持ちを抑えるため、着替えを手早く済ませる。磨りガラスの向こうには流石に人影は見えない。

 でも、何もないという安心が欲しかった。

 僕は風呂場の扉を開けた。昨日使ったまま放置していたから浴室の床は濡れていた。靴下を脱いで中へと入った。

 風呂の天井を見上げると、一部が四角で区切られている。……いや、区切られているわけじゃない。僕は気付いて、浴槽の縁に上ってそこへ左手を当ててみた。予想通り、少しの抵抗を残して蓋が持ち上がり、真っ暗な天井裏へ繋がっていた。もしも頭を入れても照明が無いから中は見えないだろう。

 ちょうどあの人物が右手で掻いていた辺りと同じ場所。

 腹の中にざらりと、冷たい感触が走る。

『ここ』に何かがある気がする。

ただの妄想に近い想像を、なぜか僕は確信していて、そこに存在する何かに恐怖していた。

 僕は息を飲んで、手を延ばす。指先に固い感触があたる。袋に入っているその何かへ指をひっかけると、思ったよりも重い感触を返しながらも簡単に動く。

 そのまま引きずり出すと、鼻先に物が落ちてきて、僕は咄嗟に体を引いた。不安定な足場でバランスを崩して、手を突き出すが、強く体を打ってしまった。

 ドサッ、バサバサ、ガチャン!

「――っつ~~」

 痛みに悶える自分の声よりも先に、金属の混じった雑多なものが落ちる音が響く。体を引いて、落ちたものを眺める。

 痛みなんかもう気にならなかった。

 床にぶちまけた、ロープ、ブルーシート、糸鋸に、包丁。濡れたまま詰め込まれていたのか、カビの匂いが鼻孔へ入る。

 なんだこれは。

 しゃがみ込んでまざまざと見る。

 何でこんなものがあるんだ。

 自分の物じゃないみたいに冷えた指先が震える。カビの汚れも気にせずに、ブルーシートを捲る。とある一か所にカビが密集していた。鉄の匂いがする。

 血の匂い。錆じゃない。いや、匂い自体は錆のものかもしれない。でも、僕は知っている。思い出した。

 これは、死体を解体する為に使用されたものだ。

 断片的に手にした記憶に震えながら、脳裏には最悪の想像が浮かんでいた。

 立花は、どこに行った? 僕は何をしたんだ。


 ――僕が、殺したのか?

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