第3話 宝条先輩の妹②
ぎこちない僕の笑いに宝条は気まずそうだったが、ぽつぽつと話し始めてくれた。
つい数か月前、新しいクラスになったはいいが、宝条は何故かクラスの中心人物に目を付けられたらしい。
何が癇に障ったのか。理由も分からないまま、嫌がらせの類が始まった。新しいクラスで、ある事ない事噂を流された宝条は頼る友人も出来ないまま、孤立してしまったらしい。
それで、今日、夏休み後の文化祭に向けて、クラスの出し物決めがあった。
宝条たちのクラスは、あまりクラスでの行事には乗り気ではなく、出し物がステージでの演劇に決まったはいいが、担当の押し付け合いになった。その流れで、宝条の事をよく思 っていない件の人物が口を開いたそうだ。
推薦で決めたらどうだろう。
にやにやと笑うその人物の意図をくみ取り、その提案はすぐに通った。宝条は言い返すことも出来ないまま、劇の主役に決まってしまったらしい。
立花が怒りの形相で絶句している横で、気分の悪い話に僕は自然と顔が強張るのが分かった。
そして、何となく宝条が兄にこの話をしたくない理由にも察しがついていた。
クラブの試合の応援で度々、彼女を見かけたことが有る。気の強そうな両親の横で、まるで召使いみたいに付き添っていた。応援席に似つかわしくない幽霊のような少女。彼女がいる時だけは、宝条先輩の性格の悪さは鳴りを潜めた。落ち着きなく、妹へ視線をやり、口数少なく両親の様子をつぶさに観察していた。時折、ご機嫌を取るように両親へ手を振る一方で、その目はちっとも笑ってなんかいなかった。
――クソ共め。さっさとくたばれ。
ベンチへ戻れば、普段はクラスメイトへの罵詈雑言をまき散らす先輩が、両親が来ている時はブツブツと彼らへの恨み言をつぶやいていた。やけに高級そうな私物の野球用具に先輩は囲まれていたが、その反面、応援に来る両親や妹はみすぼらしい恰好をしていた。
『甲子園に行き、プロになる』という、先輩の名前で書かれた絵馬を初詣で見つけたことがある。その筆跡は、いつも見る先輩の字とは違っていた。
あの人は、僕を強く嫌っていた。突っかかってくる先輩に反発して、張り合うこともあった。
けれど、僕が先輩の代わりに登板すると、なんだか先輩の妹の表情は一層暗くなっているような気がした。いつも長袖を着ていた彼女が気にかかって、いつしか僕は先輩と張り合うのを止めた。
相も変わらず、目の前の少女は長袖を着ている。まだ自然な時期だけど、きっと夏になってもそうなのだろう。
ともかく、クラスメイトの嫌がらせに耐え切れなくなった宝条は、衝動的に兄に助けを求めてやって来たけれど、冷静になってくるにつれて兄に心配を掛けられないと立ち止まってしまったのだろう。そして、家に帰る事も出来ないまま、電柱の影で泣いていたのだ。
「ゆ、許せない! なんて嫌な奴らなの!」
立花は宝条のクラスメイトへ怒りを燃やしていた。僕は立花に宝条の家の事情を話すか悩んだか、口にしない事にした。
家庭の事情を他人に知られたくない気持ちは痛いほどよく分かる。
「主役を降りることは出来ないのか? 先生とかに相談して」
僕は宝条へ解決案を口にしたが、立花は小さく頭を振った。
「……先生に言って大事になって欲しくないんです」
大事になれば親にも話が行くかもしれない。宝条に取って、それが一番恐ろしいのかもしれない。一番簡単な解決方法が封じられて行き詰まってしまう。
宝条への嫌がらせ、いや、靴が無くなっている事を見れば、もう事態はいじめへと発展しているんだろう。宝条は家にも逃げ場がない。やはり、先輩に相談するか? でも宝条の意思を無視していいのだろうか。
いい考えが浮かぶことはなく、同じ考えばかりがぐるぐると頭を回る。
「……劇の主役か」
行き詰まった思考の中、僕はぽつりと立花を見てつぶやいた。もし、宝条と立花の立場が逆であれば、事態はあっさりと好転したのかも、なんて浅い考えがよぎったからだ。立花は演劇部のエースだ。その演技を馬鹿になんてそうそう出来はしない。無理やり主役に仕立てられた舞台であろうと、クラスメイト達への意趣返しにしかならないだろう。
僕の視線に気づいた立花が、ぱあっと顔を明るくした。
「それだ! それだよ、東!」
立花は一人テンション高く宝条に駆け寄ると、がっしりと手を握った。困惑する宝条を他所に、彼女はその手を上に掲げる。
「劇を完璧に仕上げて見返せばいいんだ!」
「は、はぁ? 簡単に言うなよ」
間抜けな声が僕から漏れる。宝条も涙目でブンブンと首を横に振っていたが、立花が止まることはない。
「そんじょそこらの素人どもと一緒にしないでよ。やる気のないクラスメイトどもに、ろくな演技できっこない。私は十数年演劇に携わってきたのよ? 宝条ちゃんの一人ぐらい、むしろ周りが笑い者になるぐらいに上達させてあげるわよ」
自信満々の立花の瞳は、強く揺らぐことのない意志が燃え盛っていた。強いまなざしに見つめられ、宝条は硬直していた。
「そんなの……」
できっこないだろう、と口にしかけて止めた。出来るかどうかは僕が決める事じゃない。宝条の事は宝条が決めなくてはいけない。口にしなかったのは、そんな些細で当たり前の理由だけだった。
だから僕は困惑したまま、宝条へと視線を向けた。視線の先の宝条は、なぜか驚いた顔していて、僕と立花の顔を交互に見ていた。
そして、まごまごと小さな声で言った。
「……お、お願いします」
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