第4話 ようこそ映画研究会へ①

【現在:大学二年の春】 

 ピピッ。無機質な電子音が繰り返す。

 僕はそれへ苛立ちながら、布団の中から手を伸ばし掴み取る。スマートフォンのアラーム機能を切りながら、寝ぼけた頭でディスプレイを見る。

20××年3月19日。

 およそ実感の湧かない一年後の日付。しかし、おかしいのは携帯ではなく、僕の頭の中だ。

 記憶喪失。高校の卒業式の帰りから丸一年間の記憶が僕からは抜け落ちている。

 昨日、医者にかかったが、自然に思い出す他に方法はないと言う。

 ため息を吐きながら、気怠い体を起こす。久々に……かはどうだか分からないが、懐かしい夢を見た影響か、どうにも脱ぎきれない焦燥感があった。

 17日。幼馴染の結城が飛び降り自殺をした。僕へ当てつけるように、恨み言を残してから。記憶の中での彼は、僕にとっては親友で、恨まれるような心当たりはなかった。今となってはそれも僕の独りよがりだったのかもしれないけれども。

 玉井が帰ってから、祖母から連絡があった。結城の訃報を伝えるそれと、遺言だから通夜にも葬式にも来ないで欲しいと、彼の家族からの伝言があった。

祖母が何を言っているのか、理解したくはなかった。

親友が亡くなったことも、それほど恨まれていたことも、理解しがたい苦痛と喪失感で昨日は頭がおかしくなるかと思った。

何もする気が起きなかったけれど、『一年間の記憶』を取り戻せば、せめて理由が分かるかもしれないと、縋る気持ちで病院に言ったけれど結果は芳しくなかった。

それに、立花にも電話が繋がらなかった。立花しおり、僕のもう一人の幼馴染だ。結城の恋人で、彼女なら事情が分かると思ったのに、電話をかけても無機質な自動音声が『この番号は現在使われておりません』と繰り返すだけだった。

携帯に何かメッセージのやり取りでも残っていないかと見てみても、彼女とは卒業式以降何一つやり取りしている形跡がなかった。

 ピピッピピッ。再びスヌーズになっていたアラームが鳴り始めた。呆然とした頭は鈍く、何もする気が起きない。体と頭が切り離されているみたいだ。アラームを切る気力すら出ず、放置していると、突然携帯から別の音が鳴り響いた。

 電話の着信音だ。ディスプレイには、玉井ルリと表示されている。僕の知らない、一年間の間に出来た知り合いらしい。

結城が死んだ日、なぜか結城の電話からではなく、彼女の電話から着信は来た。不審な同級生は、おそらく何かの鍵を握っていると思われた。

僕にはもう、彼女に頼るほか、記憶を取り戻す術も、結城が僕を憎んでいた理由を知る術もない。

恐る恐る、僕は通話ボタンを押すと耳をつんざくようなハイテンションな男の声が鳴り響いた。

「もしもーし! 俺やであずやん!」

 僕の予想に反して電話口に出たのは、玉井ルリではなかった。うさん臭い関西弁の男が、陽気によく回る口で続ける。

 誰なんだこいつは。

「玉ちゃんかと思た~? 愛しの俺からのモーニングコールや。ブイブイ」

「は?」

 寝起きの不機嫌な声音に怯む様子もなく、カラカラと笑い声が続く。

「ちょちょ、怒らんといてーな。玉ちゃんの携帯拾うたから、あずやんにかけただけやん! どうせ休みの間もおおとるんやろ? 俺という相棒を置いてどういうことや! 遊ぼうや~俺とも遊んで~」

「……」

 頭の痛くなるような能天気な語り口に、僕は閉口してしまった。僕の大学の知り合いはこんなのばかりなのか?

 そういえば、玉井は携帯を失くしたと言っていた。冷静に考えれば、彼女から電話がかかってくることはないのだ。何といっても彼女の携帯は、結城が持っていて――。

「……なんであんたが玉井の携帯を持ってるんだ?」

 すっと体の芯が冷えた気がした。途端に電話口の男の得体が知れなくなってくる。

「なんでって、拾うたからやけど」

 しかし、帰ってきたのはきょとんとした、なんてことない声だった。

「一昨日亡くなった他大の結城っておったやろ。あいつの大学に用事があって行ったら、校舎裏に落ち取ってん。玉ちゃんの居どころなんて知らんし、あずやんならと思ってな?

今日は俺もサークルに顔出すから、玉ちゃんにおうたら俺が携帯持ってるって伝えてな! よろしゅ~」

「あ、おい!」

 電話口の男は言いたいことを言い終えると一方的に通話を切った。ツーツーと無機質な切電音だけが残る。

「なんなんだ、いったい……」

 苛立ちと徒労感に苛まれ、僕は頭をかきむしった。通話ボタンを押してみても、電源を切ったようで一向に通話は繋がらない。

 たった一年間の記憶が無いだけで、まるで世界が変わってしまったかのように感じられる。知らない人間、変化した環境、壊れた何か、焦燥感だけが募っていく。   

 暫くすると、呼び鈴が鳴った。玄関口まで行き、のぞき穴を見ると、少し緊張した面持ちで玉井が立っていた。玉井のこの訪問は予想していた。昨日も同じ時間に来たが、気分がすぐれないと追い返したからだ。

 正直、誰かと顔を合わせて話す気分ではなかったが、あの電話の相手の事が気にかかる。共通の知人のようだから、玉井なら相手の事を知っているはずだ。

 扉を開けると、少しホッとした様子で玉井が話しかけてきた。

「良かった。今日はちょっと元気そうだね」

 あまりに素直に心配され、僕は少しばつが悪かった。つい曖昧に言葉を濁して返事をしてしまう。

「まあ、な。……さっき、お前の携帯から着信があったぞ」

「え? 私の携帯から東くんに? また? 誰が?」

 玉井は不思議そうに首を捻っていた。思い当たる節はないようだった。僕はあの電話口の相手を思い出しながら、苦々しい思いで彼女へ伝えた。

「知らないやつだった。関西弁の男で、お前のこと『玉ちゃん』って呼んでた」

「あ~……河西君かぁ」

 玉井はどうやら相手の察しがついたらしく、露骨に嫌そうな顔をした。そして、僕が顔を見ていることに気付くと、取ってつけたように慌てて誤魔化し笑いを浮かべた。

「ま、まあ、サークルの同期だよ。ちょっと、いや大分変な人だけど」

「ふ~ん。……その河西君から、携帯を預かってるから今日のサークルへ顔を出せって」

「え。はぁ~……」

 玉井はその『河西』という相手に大分苦手意識があるようで、気が重そうな様子でため息をついていた。

 少しの間、玉井は俯いて嫌がる素振を見せたが、意を決したように顔を上げた。

「でもちょうどいいよね。東くんもサークルに顔を出しに行こうよ。何か思い出すことがあるかもしれないし!」

 渡りに船の提案だ。僕は玉井の頼みを承諾し、大学へ向かうことにした。

 僕が頷くと、玉井はほっとした表情をしていた。

 ……一体、河西という人物はどんな人間なのだろう。大きな不安と期待を抱きながら、僕は家を後にした。


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