第4話 ようこそ映画研究会へ②
春先の大学は華やかだった。新入生を歓迎するために咲き誇る桜並木を、僕は新鮮な気持ちでくぐっていた。
春休みだというのに人が多い。大学とはこういうものなのか。上を見ながらおのぼりさん然とした僕を、ちらちらと通りかかる学生たちが眺める。
集まる視線を不思議に感じていると、玉井が呆れた様子で声をかけてきた。
「東くん、あんまりきょろきょろしてると勧誘されるよ~」
「わ、悪い」
新入生だと思われていたのか。恥ずかしさに顔が熱くなる。
玉井に案内されるまま、大学の端の方へ向かう。一際賑やかな一角は、賑やかさに似合わず、学部棟などに比べると粗末で薄汚く小さな建物だった。
立ち並ぶ狭い部室の薄い壁からは、隣の音が丸聞こえで、それにもかかわらず無遠慮に楽器の音や人の声が鳴り響いている。
近所迷惑なんじゃないかと玉井に言いかけて止める。そもそも気にするべき近隣が『大学』という場所にはないのだと気付いた。
特殊な場所だ。なんだか今まで持っていた価値観を、突然ハンマーか何かでぶち壊された気分だった。
「ほら、ここだよ」
古びた木でできた看板が掛けられた一室。一目で素人が作ったと分かる稚拙な看板には『映画研究会』という文字が書かれている。
そこだけやけに新しいアルミ製の扉を開けると、狭い部室には壁が見えないほど備品が積み込まれていた。その中、無理やりねじ込まれるように作られた隙間に、テーブルとパイプ椅子が置いてあり、そこに三人の男女が座っていた。
その中の一人が、一際早くパイプ椅子を蹴って立ち上がった。
「おっ! あずやん! 玉ちゃん! 待ちくたびれたで~! 待ちすぎて首が伸びるかと思て、ろくろ首の練習しとったところや!」
馴れ馴れしくこちらにくるその態度よりも、まずその容姿に僕は面食らっていた。ピンクの髪に青色のメッシュが入った頭に、ヴィジュアル系バンドのようにド派手な服装、それに何より、にこやかに開けた口には、二又に割れた舌が覗いていた。
蛇ににらまれた蛙のように僕が硬直していると、河西は僕の周りを愉快そうに回り始めた。
「ん~? どないしたん? おかしな反応やね~」
「ちょっと、河西くん! 東くんを揶揄うのは止めて」
玉井が険しい顔で僕の前に立ちふさがる。
「どうせ事情は聞いてるんでしょ」
冷たい口調で玉井に叱られたにも関わらず、河西は楽しそうな様子のまま下がっていった。
その後ろから、静かに見ていた女子学生がため息をついて、僕らに中に入る様に手招きした。
「ええ。話しておいたわよ。本当、馬鹿みたいな厄介ごとだわ」
後ろ手に扉を閉めて、勧められるまま空いていたパイプ椅子の一つを取って座った。ため息を吐いた女子学生は愛想笑いの一つも浮かべず、冷えた瞳で僕を睨み付けている。
「あなた、いつもそうね、西山さん。本当にこの部の疫病神だわ。昨日玉井さんに会った時に聞いたけど、記憶が無いんですって? この大事によくもまぁ……」
「ま、まあまあ落ち着いてよ。南條さん」
立て続けに僕を詰ろうとする女子学生を長身の眼鏡をした男子学生が止めに入る。見覚えのある人物に僕は目を見張った。
「さ、佐原部長?」
そう、そこには、かつて立花が所属していた演劇部の部長、佐原和彦が立っていた。かつての記憶と変わらず、どこか情けない雰囲気を漂わせている。
「あれ? あ! そうか、僕は高校時代に会っているから覚えてくれているんだね! はは、今は会長になってしまったんだ。よろしくね」
名前を呼ぶと、佐原部長、いや、佐原会長は感激した様子で僕の手を取り、激しく上下に振った。
顔を知った人物がいたことで、僕はほっと息を吐く。佐原会長は朗らかな笑みを浮かべて、とりあえず周りに落ち着くようにとりなしていた。
南條と呼ばれた女子生徒も会長には素直に従い、冷たい姿勢は崩さないものの、とりあえず口を閉じた。
ひとまず、佐原会長は簡単にそれぞれのメンバーの紹介をしてくれた。なんでも映画研究会のこの大学で所属しているのは、この部室に集まった人間で全てらしい。四年生は既に引退し、三年の佐原会長と南條美也子女史、二年の玉井ルリ、河西昭仁、そして僕の五人だ。
南條女史は、僕と河西を睨み付け、玉井と会長にだけお茶を出すと、フンと鼻を鳴らした。
佐原会長は、弱弱しい笑みを浮かべながら話を切り出した。
「事情は玉井さんから聞いてるよ。一年の記憶がないんだってね。勿論、僕は君の力になるとも!」
「佐原会長! この男を甘やかさないで」
南條女史が吐き捨てるように言う中、隣に座る河西が擦り寄ってくる。
「あずや~ん、俺とのスイートなメモリー本当に忘れてしもたん? 悲しいわぁ」
睨み付けると、割れた舌でにやりと上がった口角を舐めていた。一欠けらも悲しくなさそうな様子だ。
僕は濃い面子に胸焼けしそうになりながら、佐原会長に問いかけようとした。どうしても知っておかなければならない事があったからだ。
意を決して口を開くが、どうにもぎこちなく動く。まるで僕自身がもう嫌な事実を知っているように、体が強張って身構えていた。
「あの、立花は今どうしていますか」
捻りだした言葉は思っていたよりも、か細く縋り付くようだった。
けれど、それだけで十分だった。名前を聞いた瞬間、佐原会長の凍り付いた顔を見て、望む答えが返ってこないことが確信できてしまった。
「……立花君は」
躊躇う素振りに、嫌に時間が長く感じる。
「卒業式を最後に行方不明で……もう一年間、手がかりが掴めていない」
嫌な予感ばかり当然のように当たるのは、僕が一度体験しているからだろうか。卒業式以降、一切やり取りの無かった理由を知り、気分が沈む中で、予想外に自分が傷ついていない事に気付いた。結城の死を経て鈍くなっているのか、記憶が無くても経験済みの事象だからなのか。
「なんだか不思議な気分だな。僕に立花君が行方不明なのを教えてくれたのは君だったから」
佐原会長は苦笑しながらそう零し、付け加えた。
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