第2話 高校一年の梅雨⑤

 演劇部の練習を眺めていると、いつの間にか窓の外は暗くなっていた。校内に居られる時間も残りわずか。ちらほらとジャージ姿の集団が校門から出ていく姿が遠目で確認できた。

 演劇部も佐原部長が号令をかけ、連絡事項を伝達していた。

「大会の日程はまだ遠いが気を緩めることなく練習に励むこと。努力は如実には現れないけど、怠けはあからさまに分かるからね。日々の行いこそ、細部に宿るってことを意識してくれ。それじゃあ今日は解散。みんな、お疲れ」

 部長の締めの挨拶が終り、部員たちが散らばっていく。

 部外者で話に入れず呆けていた僕は、挨拶が終わったのを見て慌てて見学の礼を方々に伝え、帰り支度を終えた立花と視聴覚室を後にした。

「……」

 入部を断ったこともあり、気まずい沈黙が流れる中、先に口を開いたのは立花の方だった。

「……帰ろっか。悠馬はまだ時間かかるでしょ?」

「あ、ああ」

 曖昧な返事を返して、足早に歩く立花を追いかける。その態度に戸惑いながら、僕は恐る恐る質問を投げかけた。

「怒ってるのか?」

 立花が立ち止まった。そして、困惑した様子で振り返った。

「怒ってる? なんで。私が東に怒る理由なんてないでしょ。逆ならともかく」

「逆? 僕が立花にか?」

 予想外の返しに、つい調子はずれの声がでた。

 驚いた様子の僕に立花は少々胡乱気な目を向けたかと思うと、呆れた様子で肩を落とした。

「……本当に気にしてないんだ。私、怒ってるのは東の方だと思ってたんだけど」

 とぼとぼと隣へと並び、彼女は僕を急かすように裾を引っ張った。仕方なく、彼女の早足に合わせて歩き出した。

「はぁ、早く帰ろう。今日は喧嘩しちゃったから、悠馬とは顔を合わせず帰りたい」

「いいけど、早めに仲直りしろよ」

「あはは。でも、あれは悠馬が悪いんだからね。デリカシーが無いんだから」

 すっかり普段通りの彼女に内心胸をなでおろす。

「痴話げんかなんて、結局どっちも悪い事がほとんどだろ」

「……した事ない癖に言うよね~」

「お前な! いいから早めにカタ付けろよ!」

 言い合いをしながら、早歩きで構内を通り抜け、グラウンドを避けて裏門から出る。遠くでグラウンドの照明設備が煌々と光るのが見える。今頃、結城はグラウンド整備を終えて、野球部の仲間たちと談笑でもしているだろう。

 ……思えば、裏門を使ったのは初めてかもしれない。今まで、グラウンドを見るために帰りは正門から帰ることが多かった。

 ボールを弾くバッドの金属音も、走り込みの掛け声も聞こえない。あの緑のフェンス越しに見る景色が、自分へ大きな感情を湧き起こしていたことに気付く。

 もう、マウンドがこんなにも遠い。

「東! はーやーく! 何立ち止まってるの! 帰り道で悠馬に会ったらどうしてくれるの!」

「仲直りしろっつってんだろ!」

 感傷に浸るのもつかの間、立花の怒声が飛んできた。仕方なく、後ろ髪をひかれる思いでグラウンドへ背を向けて走り出した。

 学校を出てからも、不毛な口論を繰り返し、互いの体力が尽きるころには帰路のほとんどを通り過ぎていた。

「あーもー疲れた……東ったら頑固なんだから」

「こっちの台詞だ」

 憎まれ口を叩きながら、街灯だよりに川沿いを歩く。時折、寿命の近い灯がチカチカと瞬いていた。校舎を出るまでは辛うじて夕陽が差していたものの、すっかり日が暮れてあたりは暗くなっていた。

 この通りは住宅地が近いものの、大きな通りが近くにあるせいか人通りはあまり多くなかった。街灯の間隔も広く、静まり返った道は少しばかり嫌な雰囲気がある。

「いつも思うけど、ここって出そうだよね」

 立花が揶揄う口調で話しかけてきた。彼女は昔から肝が据わっており、心霊の類は信じない性質だった。逆に、結城は滅法その手の話題に弱いので、小学校時代から立花が面白半分に揶揄い、結城が怖がり、僕がそれを仲裁するのが常だ。

「こんなところに出るのは不審者ぐらいだ」

 彼女の悪癖に辟易としながら、そう返すと、立花は愉快そうに笑みを浮かべた。

「その割にはさっきより足の進みが遅いような?」

「……不審者でも怖いだろ」

 昔から、結城を庇いながらも内心ビビっている僕へ追い打ちをかけるのも彼女は楽しみの一つとしていた。

 僕は質の悪い幼馴染の態度へ、せめて物申そうと横を見ると立花は僕が思っていたよりも後方へと立っていた。

 彼女は不思議そうな顔をして辺りを見渡していた。不可解な態度に足を止めると、すぐ彼女の行動の理由が分かった。

 ――何かがすすり泣く音が聞こえる。

 さっと血の気が引いた。一度気付けば、小さな嗚咽音は確かに周囲に漏れ出ていた。

 立花の方を見ると、引きつった顔で一点を見つめていた。

 街灯の明かりから外れた影の中、さほど遠くない距離に、うずくまっている人影が見える。

 ふらりと立花がそちらへ歩き出そうとしたので、急いで僕は引き留めた。立花が咎めるように小声で話しかける。

「ちょ、ちょっと。放って行く気?」

「……僕が行くから待ってろ。本当に不審者だったらどうする気だ」

 納得いかない顔ではあるけれど、立花は立ち止まった。彼女に代わって、僕はそれへ歩み寄る。

 心臓が早鐘を打つ。目が慣れてきたおかげか、影の中にいる人物がうっすらと見えてきた。長い黒髪が顔を覆い隠し、細い肩が震えている。

「あ、あの。大丈夫ですか?」

 声をかけると、大げさなほどその人物の体が震え、強張った。俯いていた顔がゆっくりと前を向く。その仕草はこちらを酷く警戒しており、怖がっているようだった。

 その一方で、顔を上げた少女の姿を見て、僕は警戒を解いた。見たことのない制服だったけれど、そこにいたのはいたって普通の同年代の女の子だった。

 けれども、僕は彼女の足元を見て、目を疑った。

 スカートの陰から覗く足元に靴はなく、伝線して血がにじんだストッキングだけだった。

 どうみてもただ事ではない状況に僕が次の言葉を紡げないでいると、痺れを切らしたのか立花が後ろから声をかけてきた。

「ちょっと、東。何してるの?」

「……あ、東?」

 立花の言葉に反応して、少女が初めて、恐れ以外の感情を見せた。なぜか不思議そうに、僕の鞄、正しくはそこにつけられた名札を凝視していた。

 そして、突然はっと息をのみ、立ち上がった。

「に、西山、東さん?」

 不意に名前を呼ばれ、動揺する。

「えっ、どうして僕の名前を……」

「わ、私、ほうじょ、宝条です」

 嗚咽交じりに、彼女は僕へにじり寄った。明かりの下に出た泣きはらした顔は僕のよく知る人物に微かに似ていた。

 彼女は、あの宝条晃の二歳年下の妹だった。

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