第2話 高校一年の梅雨①
幼いころから続けていた野球を、故障により辞めた僕は鬱屈とした日々を送っていた。
もともとこの中高一貫の学校を選んだのも、野球が強豪だったからで、スポーツ特待で入った身として肩身の狭い思いだった。
グラウンドからは今日も、元チームメイトたちが練習に励む声が聞こえる。
補習の合間、僕は窓からグラウンドを見下ろして、白い練習着をわざわざ泥で汚していく様子をじっと眺めていた。上級生の打つノックを同級生たちが必死の形相で追いかけていた。その中には、僕の友人結城悠馬も混ざっていた。
複雑だ。苦い思いを抱えながら目を背けずにいると、軽く僕の机を誰かが叩くのが聞こえた。
「西山く~ん。補習中だよぉ」
数学教師の清水先生の声に、僕はビクッと肩を震わせた。まずい、集中しなければいけないのだった。
野球部を辞めた僕は、高等部のスポーツ特待クラスに進むわけにはいかず、普通科への転科を余儀なくされた。学校側からの温情ではあったのだけど、クラスメイトとの学力の差は明白で、僕は連日、補習に追われている。その日も、数学の補講を受けていた。
冷や汗をかきながら、急いで前を振り向くとそこにいたのは清水先生ではなかった。
「ふふっ、びっくりしたでしょ」
「……た、立花」
「清水先生なら、プリント置いてどっか行っちゃったよ。今日はもう補習終わりみたい」
そこには、華奢な少女が立っていた。くるくると動く感情豊かな大きな目が印象的で、平均より少し背が高い。髪は短く、どこかボーイッシュな印象を受けるが、仕草は柔らかく女性的である。
しかし、彼女なら、男性的な仕草も女性的な仕草も、舞台の上で完璧に演じ分けるのだろう。
立花しおり。一年生ながら演劇部のエースであり、僕と結城の幼馴染だった。
「随分ぼーっとしてたね。そんなに窓の外が面白かった?」
立花は揶揄う様子で、ちらりと窓の外を見た。視線の先に、結城の姿を見つけたようで目を細める。
「女房役を見てたの? アツアツだね」
「……はぁ。それはこっちの台詞だ」
呆れた声で僕は彼女がそう彼女へ返すと、グラウンドにいた結城が視線を感じ取ったのかばっと頭を上げた。立花の姿を見つけて、彼は笑顔を浮かべ、ブンブンと手を振っている。つい三か月ほど前から、付き合い始めたらしい。
幼馴染三人組の一人であった僕としては、なんだか仲間外れのようで寂しくもある。
「言っとくけど、元々仲間外れだったのは私の方だからね」
まるで、僕の頭の中を読んだかのように、結城へ手を振り返しながら彼女はそんなことを言った。
「ずっと二人は野球をしてて、私だけ除け者。投手と捕手は夫婦に例えられるでしょ? 私、すっごくジェラシー感じてたんだから」
「そうですか。じゃあ、丁度良かったんだな」
つい、故障した肩をさすった。子供の様に拗ねている自分がただただ情けなかったが、どうしても割り切ることが出来なかった。
「……もー、ほんと、悠馬と正反対で東は暗いよね」
「ああ、そうだとも。ほっといてくれ」
「開き直らないでよ~」
二人してグラウンドを眺めて、目も合わさず会話をする。肩を故障してから、周りの人間すべてと気まずい。結城と立花が付き合いだしてからは、一層まるで腫れ物に障るような扱いを僕は受けている。当事者の立花との溝は、分かりやすく深い。
口調だけ取り繕っても、僕はもう彼女と気安くは会話できなくなっていた。
きっと、立花もそれを感じ取っているのだろう。最近の彼女はまるで元の関係性を無理やり取り戻そうとするかのように、僕の傷口に近いところへ触れようとする。僕にとっては耳が痛い事ばかりだ。
グラウンドにいる結城が先輩から怒鳴られている。慌てて練習に戻るが、その顔はだらしなくにやけていた。
「ふふ、馬鹿だねぇ~」
似た顔を隣の彼女もしていた。
なんだかいたたまれない気持ちだ。
これ以上惨めな気分になりたくなくて、数学のプリントを掴んで席を立つと、立花から引き留められた。
「あ、ちょっと! 東。今って暇だよね」
「暇じゃない。勉強漬けだ。今までサボってきたつけが回って来てるからな」
「そんな事言って、本当は情熱を持て余してる癖にぃ」
ふざけた様子の立花を突っぱねようと逸らしていた目を彼女へ向けると、何やら不思議と悪い顔をしていた。
見たこともない予想外の表情に言葉に詰まると、立花は窓ガラスを二回叩いた。グラウンドを見下ろしながら、口角だけを上げて笑う。
「ね。今度は悠馬を仲間外れにしてやろうよ。私と一緒に。演劇部に入ってさ」
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