第1話 大学二年の春③

 僕は玉井に、ここ数時間の状況を説明した。目が覚めると、一年が経っていたこと、突然玉井の携帯から電話がかかってきて、結城が出たこと、おそらくそれが自殺の瞬間の会話であったこと、慌てて自宅に帰ってきて玉井に会ったこと。

 玉井は初めこそまるで趣味の悪い冗談に付き合っているような渋い表情をしていたが、話が進むと徐々に神妙な顔をするようになっていた。

「えーっと、つまり、東くんはここ一年の記憶が無くて、私の事も覚えてなければ、何の事情も知らないってこと?」

 にわかに信じ難い、そう言いたげではあったけれど、玉井は複雑な様子で今の状況を受け入れたようだった。

「そうだ。僕はどうして結城が自殺したのかも、どうして彼と険悪だったのかも、どうして玉井さんを家に呼んだのかも知らない」

 自身の間抜けな状況説明に頭を抱えたくなりながらも、僕はいかに自分が何も知らないかを懇切丁寧に話していた。

「冗談止めてよ、って言いたいところだけど……東くん、そういう冗談言うタイプじゃないもんね。今日ずっと様子がおかしかったのも納得できるし。うん、信じるよ」

 玉井は眉根を寄せながらも頷いた。

「素性が知れない、か。そうだね。じゃあ、まず自己紹介するよ。私は玉井るり。東くんの同級生だよ。同じ学科、同じサークル、の仲良し。東くんの家にはよく来てるよ。家から近いし、東くんが私の家には来たがらないからね」

 玉井は不敵に笑いながら、自らの素性を明かした。しかし、胡散臭い。彼女の言う通り、状況的に見て、彼女が僕の友人(あまり考えたくないが、もしくはそれ以上の存在)だったのは疑いようがない。すぐばれる嘘を吐いても仕方がないし、携帯には連絡先の登録もある。それでも、僕の脳裏に、結城が彼女の携帯を持っていたこと、そして異常な言動が浮かぶ。疑うには十分な材料ではある。

 けれども今の僕には彼女しか頼る相手がいないのも事実だ。

「……僕は西山にしやまあずま。おそらく大学一年……いや、この時期だともう二年になるのか? このアパートと同じ市内にある中高一貫の××校出身で……、その卒業式以降の記憶が無い」

 つらつらと今分かっていることを口にする。玉井に教えるというよりかは、自分自身の頭の中を整理するためという色合いが強かった。

「ここ一年の僕については君が知っている通りだ」

「それって教えて欲しいってこと? まあいいけど。東くんと初めて会ったのは、入学式。ホールで隣の席が空いていたから座ったんだよね。学科が同じで、オリエンテーションは一緒に過ごしたかな。サークルは最初から決めてたみたいで、映画研究会に入るって聞いたから、一緒に入会したんだ」

 話している間、玉井は笑顔ではあったが、どうにも不自然に目が泳ぐところがあった。多少脚色しているところがあると踏んだ方が良いだろう。

 ただ、ひっかかるところがあった。『サークルは初めから決めていた』。わざわざ誤魔化す必要のない内容だ。これはきっと混じりけの無い真実だ。

「……どうしたの? やっぱりちょっと無理があったかな。実は、初めて会ったのは入学式じゃなくて」

 黙り込んだ僕に、玉井が誤魔化し笑いを浮かべて訂正を入れようとした。しかし僕はそれを遮り、質問をぶつけた。

「そこはいい。サークル、初めから決めてたって本当か?」

「え? そこは本当だけど」

「最初から、『映画研究会』? それに結城も、別大学の映研に入っていたってことだよな」

「何かおかしいの?」

「おかしい事しかないだろう!」

 急に大声を出したことで、玉井は目を真ん丸にしていた。僕はハッと我に返って彼女に謝罪したが、どうにも消化できない気持ち悪さを抱いていた。

 別に自分が、『映画研究会』に入ったこと自体には疑問を抱いてはいない。ただ、『初めから』となると話は別になる。

 僕は、別に映画にも演劇にも特別な感情を抱いていない。

ただ、知り合いに一人、演劇部の人間がいて、その人の劇を観に行ったりはしていた。演劇部へ勧誘を受けたこともあった。

 ……しかし、それは僕が、肩を壊してからの話だ。

 僕が卒業した××高校は、中高一貫の私立高だ。スポーツ育成に力を入れていて、甲子園の常連校だった。

 リトルリーグに所属していた僕は、野球の強かったこの学校へ進学を決め、中学で肩を壊し、高校は体育科ではなく、普通科へと進学した。

 結城はそこのスポーツ特待生だった。リトル時代からの付き合いで、ずっと野球部に所属していた。

 去年、いや、一昨年。うちの学校はとある事情で夏の選抜を辞退していた。結果、ドラフト指名は無し。もしプロ入りを目指すのなら、大学の野球部で実績を残そうとするはずだし、結城もそのつもりで進学先を決めていたはずだった。

 結城から大学野球の話を聞いた僕は、久しく遠ざかっていたが同好会程度なら、と考えていた。

 それが、二人そろって、映画研究会?

 僕だけならまだしも、結城まで。いや、兼部という可能性もある。しかし、そうは言っても『もう彼女はいないのに』?

「いない? 誰が?」

 頭に浮かんだ奇妙な考えに、反射的に口を挟んだ。

「え、な、何が? さっきからどうしたの? あ、いや、ずっと変だけどね」

 玉井が困惑の声を上げる。僕自身も、自分が何に反応したのかさえ分からない。強張った表情で首を横に振ると、玉井は僕の肩を優しく叩いた。

「よく分かんないけど、多分疲れてるんだよ。今日はもう休もう。私も今日は帰るからさ」

 そう言って、彼女は荷物をまとめ始めた。時計を見ると、午後九時になろうとしていた。

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