繊虫

 今現在、この勝山には捕鯨に従事する関係者及び、観光客を含めて五万人もの人々が乗艦していて、その内の死亡、及び行方不明者などは年に平均二百人程だった。意外だとよく言われるのが、船外で羽差機に搭乗しながら捕鯨業務を行う人数よりも、艦内で鯨の解体などに従事する者たちの方が、圧倒的に死亡率が高いのである。鯨が出す有毒ガスや、感染症にやられたり、死んだふりをしていた鯨が解体場で暴れ出すということも稀にあり、特に鯨の中に潜伏していた有害な寄生虫が艦内に逃げ出したとなると大惨事だった。


「こちら、四四四……応答どうぞ……ったく、駆除部の連中、ちゃんと仕事してるの……」


 混線か、あるいは電源が復旧しないせいか、有線電話を使っていても何も応答はなかった。いっそのこと、大工房の外にあるシェルターに避難しようと思い立ち、避電小屋から出ようとした時だった。


 ドチャ。と、何か重い液体のようなものが滴り落ちる音がした。網膜のフィルターを赤外線へ切り替えながら、そっと、真っ暗闇の窓の外を覗いてみたら……白蛇を彷彿とさせるそいつはいた。私が彫っていた羽差機の足元から測るに、大きさは大体、四~五メートル程だろう。百メートルを越えるツチクジラ級の胃の中などに寄生している繊虫と呼ばれるものが、よりにもよって私の大工房に、排気ダクトを通じて侵入してきたのだ。


 繊虫とはいえ、所詮は虫だ。幸いにも私は小屋内にいて、大方の繊虫は視覚器官ではなく、音の振動などを察知する鼓膜器官のようなものが発達している。何か大きな音を立てずに、仰向けに倒れながら、繊虫がここをやり過ごすのを待つのが、得策だったが……。


 ジリリリリリ! と、さっきまでうんともすんとも反応がなかった有線電話が、震えながら、けたたましくベルをかき鳴らしていたのだ。


「ば……虫糞バグソが!」


 魚雷の直撃を受けたような衝撃音と、地響きが小屋内を揺らす。窓の外には、繊虫の三つに割れたグロテスクな顎口がへばり付いており、今か今かと私を食べようと、ガラス窓を突き破ろうとしていた。元々、プラズマ放電を観測する為のガラスなのだ。突き破られるのも時間の問題だろう。


「落ち着け……落ち着いて……伊波ハチ……」


 逃げ出した繊虫に襲われるのはこれが初めてではなかった。マニュアルを思い出しながら、私は腰に付けている工具ポーチから小型のレーザーカッターを抜いて、床の板材を切り抜く。そこには、様々なケーブルなどが通る狭いダクトがあって、私はそこの中へ、猫のように入り込みながら、繊虫から逃れようとした。その直後、真上でガラスを突き破った音がして、間一髪……かと思いきや……。


「嘘でしょ!? 嘘、ウソ、嘘、ウソ!」


 なんて、がめついヤツだろう。繊虫は、その巨大な身体を萎縮させて、私が逃げ込んだダクトにまで追ってきてのだ。恐るべき柔軟性と融通が利く肉体だ。伊達にアンバーグリスの元素材なだけはあると、半ば呆れ、感心していた。ダクト内を這いつくばり、繊虫の口元が足に触れそうになったとき、外に出られそうな脆い板版の箇所を見つけて、めいいっぱいに、柔殻ソフトシェルの拳に力を込めて、殴り飛ばした。


 外に出てみると、電力がやっと復旧していて、大工房内の照明が煌々と照らされていた。よし……電力があれば、こっちのもんだ。私の背後から、ダクトを突き破りながら、五メートルの長さを誇る繊虫が、塔のような。直立不動の姿勢で、私を見下ろす。


「今度はこっちの番よ!」


 羽差機を彫っていたレーザーノミと無線接続し、そのままレーザーの出力を最大まで上げて、繊虫に向けて振り下ろした。だが、繊虫はそれを避けたかと思えば、長い尾を振り回し、巻き付きながら、レーザーノミを根元のクレーンごと薙ぎ払ったのだ。

 

「あ……ツネカ……」


 万事休す、といった所だろう。私はツネカと過ごした幸福な日々を、まだやり残している事を、出来るだけ思い浮かべ、走馬灯を見ていた。繊虫の巨大な口が私を丸呑みにしようと目前に迫り、覚悟を決めた、その瞬間だった。


「お姉様に! 傷を付けるなぁぁっ!」


 聞いた事のない怒声と一緒に、今さっき吹き飛ばされたレーザーノミが、横から猛スピードで飛んできて、繊虫の腹部を突き破り、串刺しにしたのだ。何が起きたのだろうかと、私は見上げると、さっきまで燈入れを行い、私が彫った羽差機がいつの間にか起動していて、繊虫の油血まみれになりながら、私を源氏蛍石レンズ越しに、見下ろしていたのだ。


 それが、私、伊波ハチと、ノミ第三十三号……ノミミと呼ばれる羽差機との最初の出会いだった。

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