羽差機彫

 アンバーグリスは、マッコウ級鯨の腸内で消化されなかった不純物の結晶体の事である。龍涎香とも呼ばれる鯨が産み出す宝石のようなものだ。といっても、イカを食べている地球の鯨と違って、深宇宙の超潮流ハイパースペースを往来する三千鯨たちは何を食べて、どこで糞をしている事ですら、多くの謎に包まれている。だが……この結石を解析してみた所、名状しがたき、未知なる寄生虫の死骸の集合体クラスターだという事が分かっていた。


「丁度、彫師が一人欠けていて、大工だいく房が一つ空いたんだ。件のアンバーグリスは、丁重にそこへ運んでおいたよ」


「どうでもいいけど……その彫師は、何で欠けたんだ?」


「よくある話さ、指羽になって、相棒共々死んだよ。ツネカちゃんといっ……はあ……すまない」


「いいさ、ミケ。彼女は好きな事を死ぬほどやって、好きに死んだ。ただ、それだけよ……」


「……納期は一年ぐらいでいいか? 期待しているぞ、波のイハチよ」


 波のイハチ……そのあだ名で私を最初に呼んだのも、ツネカだった。


「まったく、ミケのヤツ……一年で、こいつを彫れだって? 冗談じゃない、半分の六カ月で終わらせてやる」


 この、三十メートル規模の未登録かつ未加工のアンバーグリスは、閉鎖されていた倉庫区画の片隅で、ひっそりと保管されていたものらしい。鯨による被害だけではなく、反捕鯨団体の妨害工作による爆弾テロや、この希少な結石を狙う海賊の強襲、領海侵犯を一方的に主張するならず者星間国家の侵略的要撃などなど、この勝山を襲撃する連中は後を絶たない。きっと、このアンバーグリスも襲撃の混乱の中、倉庫の度重なる修繕、改築、配置換えなどによって、たらい回しにされたのに違いないだろう。


 まず、羽差機を造るには、龍骨と呼ばれる骨組み作りから行われる。龍骨とは元々、船底などを支える構造材の名称だが、龍涎香しかり、羽差機を生み出した設計者は、なるべく龍に関係しているものを取り入れたかったみたいだ。なぜなら、龍骨の素材は、鯨の骨から作られているから。


 九十九重機社のマニュアル通りに、私の手先と連動しているクレーンマニピュレーターを駆使しながら、大工房の停滞場ステイシスに、骨組みのマウント部分をせっせと接合していく。二カ月経って、二百ある龍骨の全ての接合が完了した時、全身が二十メートル近くある、巨大な骨格標本が、空っぽの眼窩から私を見下ろしていた。この骨に、どうやって肉を付けていこうかと、簡易的な三次元の設計図を組み立て、悩みながら一か月。


 アンバーグリスを製炉でゆっくり溶かしながら、ピコポリマーと呼ばれる修復機能を持つ有機合成微少機械群が詰まった人工樹脂を炉の中で、アンバーグリスと一緒に攪拌合成処理をする。すると、アンバーグリス内の、寄生虫の死骸たちが半蘇生し、再活動している巨大な粘土が出来上がり、それを先程の龍骨の骨組みへ、筋肉のように盛り付け、粘土同士の癒着防止にポリマー液を塗ったシートを幾層にも張り重ねていき、徐々に形を整えていく。そこから、レーザーノミを使った羽差機彫と呼ばれる作業に入っていくのだが――。


「羽差機の建造を見ていると、ある話が思い浮かぶ。古事記において、イザナミが火の神を産む際に、死に至る大火傷を負ってしまい、その際、苦しみながら垂れ流した大便から、ハニヤスビコ、ハニヤスヒメと呼ぶ、土を司る夫婦神が生まれる話をね。三千鯨の糞の一種でもあるアンバーグリスから、こんな神秘的なものが生まれてくるなんて、未だに信じられないし、まるで一種の神話の光景のようにも見えないか? 伊波ハチよ……」


 羽差機彫へ夢中になっている私の背後から、突如、誰かが声をかけた。先程言ったように、このアンバーグリスは、海賊が狙っている程、高価かつ希少なものであり、私が一人籠もって作業を行っている大工房へ入場する為には、五十以上もある厳重なセキュリティシステム審査を通らなければならなかった。それを私への通報も無しに入ってきた人物となると、ミケを除いて一人しか思い浮かばなかった。

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