第三百次豊漁期

「随分とうなされていたなイハチ。他の連中を目覚めさせる時の参考にしたいから、その夢を忘れる前に、あっしに話してくれないか。夢は貴重な唯一無二の情報資源だからな」


 相変わらず、化け猫が人へ中途半端に変身したような顔をしているような顔だった。ミケは、悪夢を見せられ、怒っている私の様子など気にもしないで、幻燈端末を操作している。


「イハチって名前は止めろ、って言ったよな!」


 私はミケに平手打ちを食らわせたが、ミケは叩かれた衝撃で仰け反りながらも、端末から目を話そうとしなかった。それどころか、あまりにもミケの頬が固すぎて、私の掌がビリビリと痺れた。


「うん……神経に欠陥は無し、無事に両手は動かせてるみたいだな。痛覚はあるか? 大事にしろよ、その手は彫師であるハチの大事な仕事道具みたいなものだからな……」


「っ……寝る前に言ったよね、ミケ。どうせ、悪夢を見るだけだから、この機能は切っておけって言ったでしょ」


「切ったさ。だけど、二百年も寝ていたんだぞ。省電力とはいえ、脳は非晶質のようにゆっくりと活動してるんだ。寝ていた分の、余計なキャッシュ情報が排出されるのは、大工の端くれであるハチでもよく知っている筈だ」


「だけど! っていうか、今……ミケ……私……何百年寝ているって言った?」


「はあ……」と、ミケは懐から、骨煙草を取り出し、火をつける。


「二百年。正確には百九十九年、八ヶ月二十三日間ね。ハチに睡眠処置を施されたのは第八十七次飢餓期で、そこから八十年間の不漁期間があって、そこそこ小物の鯨が捕れ続けて百年ばかり……八十八次の飢餓が訪れようとしたら、このさ」


 艦内のネットワークシステムに繋がった瞬間に、今まで経験した事のない情報の洪水が、がらんどうの頭の中を駆け巡る。睡眠処置を施す鯨蝋槽の情報だけではなく、部屋の壁を透過し、おびただしい程の情報量が、網膜内へ一斉に表記された。アクティブになっている私やミケのような、柔殻ソフトシェルや、二十メートルを超す巨大な羽差機などの硬殻ハードシェルらの生体情報が、数百、数千へと膨れ上がり、その生体情報に紐付いた企業体の広告情報が、まだら模様状の虹色のゲロになって、私の頭へ滝のように浴びせ続けた。ゲロ……。


「吐くならここに吐けよ、ここの鯨蝋は共有物なんだからな」


 よくある事なのか、ミケは目の前にバケツを差し出し、私は盛大に胃の中に溜まった鯨蝋の白いミルクを、レーザービームのように吐き出した。


「うっぷ……こんな、狂ったような情報量……人の数は見た事がない……」


「驚いただろ。二十年程前、りゅうこつ椀海域ではぐれ鯨を追っていた時に、たまたま、重力異常痕跡がある場所を調査艦が見つけてね、そこを辿っていたら、見事に……大当たりだ!」


 ミケは短くなった骨煙草を口の中に入れて、ボリボリと噛み砕く。


「今現在の我々、弩級型勢子艦勝山は、鯨の群体が移動している独自の海流ルートを発見したんだ。その数はいくつだと思うイハチ? 予測ではその数は、五万尾ともいえる。一尾を捕るだけで、二、三年は鯨を捕らずに、艦が運用できるほどの資金が手に入るっていうのに、それが五万もいるんだ! 所謂、第三百次豊漁期というやつさ! イハチ! お前には、今すぐにでも、その優秀な彫師としての腕を借りて、今すぐにでも、新しい羽差機を掘って欲しいんだ」


 ミケは相変わらず私の事をイハチと呼んでいたが、きっと今後、誰にでも……網膜内に表記されている膨大な人物たちから、そう呼ばれ続けるような気がして、私はミケを殴ろうとするのを止めたのだった。

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