アンバーグリス・ハイパースペース

高橋末期

第一章・伊波ハチ上級技術彫師

波と鯨の夢

 夢を見ている……という事は、私が再起動されたという予兆だろう。意識トラッキングが完全に立ち上がる寸前まで、簡易的な明晰夢を見せられるローディングムービーが再生される。恒星間航行を編み出したばかりの人類の、よくある暇潰し技術の一つだ。


「ああ……またかよ」


 目が覚めた時、私を処置した担当技術者が生きていたら、一発ぶん殴ってやろうかと思った。なぜなら、その夢は私がこれまで嫌という程、見せられてきた……太古の昔に存在していたと呼ばれる、地球の大海原の夢だったからだ。


 大海原といってもその海は、水平線が望める穏やかな海ではなかった。どす黒いコールタールを彷彿させるような、波が荒れ狂う大嵐の海であり、私は今にも壊れそうな木製の小舟に乗りながら、何度も何度も、自分の身長の五倍ほどある巨大波に巻き込まれ、ヤツを見失わないようにしていた。ヤツ……それは、鯨だ。八十……いや、百メートルを越すマッコウ級の、紅い中型鯨だった。


 私たちは、オールを必死に漕ぎながら、波間の向こう側へ進む鯨を追いかけ続けていたのだ。だって? 私は誰と小舟を漕いでいるのだろう。まさか……と、思いながら後方の人物へ振り返ろうと思ったら、波が覆いかぶさるように、舟ごと巻き込み、私は真っ暗闇の海の中へと叩き込まれた。


 息を吸い込むのを忘れ、私はうねり続ける海中で必死にあがき続けたが、そもそもこれが夢である事を思い出し、海中でゆっくりと深呼吸をしながら、波の流れに身を任せていると、先程、小舟を一緒に漕いでいた人物の、撫子色の髪色が特徴的な後頭部が私の目の前に現れる。


「ツネカ……」


 例えこれが夢の中でも、彼女と再開できたことがこんなにも嬉しい事だと実感していた。波で荒れ狂う真っ黒な海の中、今度こそ……今度こそは、彼女を逃がすまいと、私は手を伸ばす。しかし、ツネカは私へ振り返る事もなく、煙のようにフワフワと海中を漂い、海底の底へと吸い込まれて行った。せめて彼女の顔を……あの抱きしめたいくらいに、菩薩のような優しい笑顔をもう一度……拝みたかった。


 海の底へ、手と足をバタバタと掻き分けながら、ツネカを追い続けていたら、海の底から巨大な影が段々と近付いてきた。さっきまで、私たちが追っていた鯨だろうか。ギリキリギリキリキリという、鯨のエコーボイス……歌が私の耳小骨を震わせながら聞こえてきた。何を言っているのか判別できないが、鯨の感情だけは、なんとなく分かった。これは、怒りだ。誰に対して? 私? いや……ツネカにだろう。


 嫌だ! また……お前は……夢の中でさえもツネカを私から奪おうとしているのか!


 泳ぐ手と足のスピードを上げ続けるが、ツネカに追いつくどころか、徐々に私は海面へと引っ張られていく。海底では、あの鯨が大きな口を開けて、ツネカを丸呑みにしようとしていた。必死に足掻き、抵抗していた私は、あの鯨をどうしても止めようと、引き金に指をかけていた。そう……私は羽差機の同期嚢の中にいて、銛燈砲ハープーンを向けながら、あの忌々しき紅い鯨を……トーマトを仕留めようと、操縦桿の引き金を引いていた。


 慌てて撃ち放った銛燈は、トーマトの厚い胸びれの辺りをかすめ、歯牙にもかけない様子で、ツネカを……彼女が乗る羽差機ごと飲み込み、まるで……私へ見せつけるように、顎のあたりにあるその巨大な歯を使って、噛み砕いたのだ。


「やぁぁめぇぇろぉぉぉっ!」


「はあっ? 何言ってんだ、イハチ。今更、止めるわけねえだろ」


 目が覚めた時、見知った顔が目の前に現れた。情報ソフトウェアが立ち上がり、私の網膜には、私を以前、寝かしつけた担当技術者……大工メカニックである東浪見ミケの名前がデカデカと表記されていた。

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