第21話 紅鐵号

 ……男は、もう自分の名前さえ忘れていた。覚えているのはもうどこにもいない家族の名前だけだ。

 ぼろぼろの身なりで、今日も家族のことを探して彷徨い歩いていた。

「ケイリー、カトリーナ……いったいどこにいるんだ……」

 男がふらふら歩いていても、誰も声をかけることはなかった。眼を見れば、男がすでにまともではないことは一目瞭然だったからだ。そういうやつは良くも悪くも、ここでは誰も相手にしない。

 そして、それは本当に突然のことだった。

 大きな揺れと共に地面が膨れ上がり、火山が噴火するような衝撃と爆発が、突如としてイースト・エンドのまっただ中で発生した。

 地上にあったものは、その爆発によって文字通り根こそぎ吹き飛んでしまった。

 男は爆風に吹き飛ばされて、ごろごろと転がった。

 頭を強打して、意識が遠くなる。

 だが、奇しくもその強い痛みが、男にわずかだが正気を取り戻させてしまった。

 目の前に燃え盛る業火。

 その巨大な火柱が、男の意識を過去あくむの中へと引きずり込んだ。

「あ、ああ――」

 その禍々しいまでの真っ赤な炎は、まさに12年前に見たのと同じものだった。

 あの日は何でもない一日になるはずだった。

 たまたま買ったばかりの車で、家族とドライブに出かけただけだったのだ。

 そして、あの炎に全てを飲み込まれてしまった。

 次々と鮮烈に記憶がよみがえってくる。

 これまで虚ろなまま生きてきた男にとって、いま目の前で起こっている光景が、過去のことなのか現在いまのことなのか、そんな区別はつかなかった。

 男はの姿をその目で見ていた。

 あの凄惨で忌々しい事件を引き起こし、大勢の命を奪い、大事な家族を奪った元凶――燃えるような赤い鎧を全身にまとった、破壊の化身とでも言うべきあの恐ろしい姿を。

 やがて、炎の中から人影がゆっくりと出てきた。

 まるで炎がそのまま人の形になったかのような姿だった。

「――」

 男は、再びその目ではっきりと目撃した。

 恐ろしい破壊者の姿を。

 全身がわなわなと震えだした。

「こ、紅鐵号――」

 紅鐵号。

 12年前、この王都に出現し、数万人の死傷者を出した史上最悪の魔人。

 その魔人が――いま、確かにそこにいた。

「あ、ああああああぁぁッ!? こ、紅鐵号だ!? 紅鐵号が出たぞぉッ!? 逃げろ、みんな逃げろぉおおおおおッ!!」

 男は喉が張り裂けるほど叫んで、その場から必死で逃げ出した。

 この時、まだほとんどの人間は何が起こったのか何も理解していなかった。

 ただ、突如として起こった巨大な爆発と、天を穿つ巨大な火柱を、誰もが呆然と見上げていただけだった。

 故に、男が叫び回ったとある言葉に、誰もがすぐに反応した。

 イースト・エンドに流れ着いた人間の中には、男のようにあの事件に巻き込まれた人間は他にも大勢いる。それに直接巻き込まれていなくとも、王都にいる人間であの事件のことを知らない者はほぼいない。

 恐怖はすぐに伝播し始めた。

「おい、さっきの爆発は魔人のせいらしいぞ!?」

「魔人!? また魔人が出たのか!?」

「しかも紅鐵号らしいぞ!」

「紅鐵号だって!?」

 ――魔人。

 ――紅鐵号。

 その単語は、人々を恐怖と混乱の渦にあっという間に引きずり込んでいった。

「に、逃げろおおおッ! みんな早くここから逃げろおおおッ! 死んじまうぞッ!! 紅鐵号が、紅鐵号が出たぞぉおおおおッ!!」

 ……男はもう完全に正気を失って、ただ叫びながら走り続けた。

 恐怖は火の粉のように飛び散り、イースト・エンドに巨大な混乱ほのおを巻き起こし始めた。


 μβψ


「さっきの爆発はいったいなんだ!? 何が起こっている!? あの火柱はなんだ!?」

 フラトンは思わず叫んでいた。

 現在、憲兵隊は混乱のまっただ中にあった。

 もちろん、誰もフラトンの問いに答えられる者はいなかった。むしろ、誰もがそれを聞きたいくらいだった。

「くそ、騎士団の連中はどこで何をやっているんだ!? 我々はいつまでここで待機していればいいのだ……ッ!」

 フラトンはもどかしそうに歯軋りした。

 彼らは現在、騎士団が潜っていった最下層への入り口付近で待機しているところだった。騎士団にここで待機するように命令されたからだ。

 本当ならすぐにでも異変が起きた現場へ駆けつけたいところではあるが、騎士団に待機を命じられた以上、ここを動くことはできなかった。

 どうしようもない状態にやきもきしていると、最下層に繋がる穴から複数の騎士たちがいきなり飛び出してきた。

 やっと戻って来たか――と思ったが、何やら様子がおかしかった。なぜか全員が血まみれなのだ。

 ただ、貴族の血は青いので、平民のフラトンたちには彼らがまるで青いペンキを頭からかぶっているようにも見えた。

 フラトンはすぐに彼らに駆け寄った。

「いかがされました!? いったい何があったのです!?」

「魔人だ! 魔人が出たのだ!」

「魔人!? 最下層の中に切裂号がいたのですか!? では、あの巨大な爆発も切裂号の仕業なのですか!?」

 フラトンは背後に立ちのぼる巨大な火柱を振り返った。

 しかし、騎士たちは混乱したように答えた。

「わ、我々にも何が何だか分からん! とにかく、この場は危険だ! すぐに退避する!」

「は? た、退避?」

 あまりにもあり得ない言葉に、フラトンは思わず目を剥いた。

「お、お待ちください!? あなた方が退避してしまっては、いったい誰が魔人と戦うのですか!? 魔人と戦えるのは、あなた方騎士だけなのですよ!?」

「やかましい! こちらはすでに大損害が出ているのだ! これ以上魔人の相手などしていられるか!」

「そ、そんな!? お待ちください!」

 フラトンは必死に引き留めようとしたが、騎士たちは聞く耳を持たず、さっさと空飛ぶ石の馬で全員が逃げ出してしまった。

 フラトンたちは、ただ呆然とそれを見上げることしかできなかった。

「――は、はは。おいおい……何なんだよ、それ」

 思わず、フラトンは引きつった笑みを浮かべてしまう。

 そして、突然、あらん限りの声で叫んだ。

「ふ、ふざけるなぁああああああああああああああッ!!!!」

 びくっ、と部下たちは驚いたようにフラトンを振り返った。

 フラトンは怒り狂ったように周囲にあったものに当たり散らした。

「ふざけるな、ふざけるなよクソ貴族どもッ!! あれだけ我々に偉そうにしておいて、いざ魔人が出てきたらさっさと逃げるだとぉ――何が貴族だッ!! 何が騎士だッ!! 役立たずの穀潰しではないかッ!! ボンクラどもめッ!! ふざけるなよッ!! 全員死んじまえ、クソッタレがッ!!」

 息が切れるまであらん限りの声で叫んだ。

 ぜいぜいと大きく息を切らせている彼に、部下が恐る恐る話しかけた。

「た、隊長……その、いかがいたしますか?」

「……もうあんな連中の命令を聞く必要はない。我々は憲兵として行動を開始する」

「よろしいので?」

「よろしいもクソもない。やるしかないのだ。とにかく、すぐに状況を確認する。お前たち二人はおれについてこい。他は待機だ」

 フラトンはすぐに近くにある建物に飛び込み、異常が発生している現場を視認できる場所に移動した。

 建物の三階部分から身を乗り出し、部下が持っていた双眼鏡で現場を確認する。

(な、なんだあの巨大なクレーターは……? 火薬庫でも爆発したのか?)

 フラトンが双眼鏡の向こう側に確認したのは、イースト・エンドのど真ん中に現れた巨大なクレーターだった。すでに火柱は消えていたが、そこからもうもうと凄まじい煙が上がっている。

(まさか、あれが切裂号の仕業だというのか? ……む? 何かいるぞ?)

 双眼鏡を目元に押しつけ、さらに食い入るように現場を見やる。

 人のようなシルエットがあった。

 だが、それは人のようであって、人ではないものだった。

 真っ赤な鎧を身に纏った、人為らざる存在――

 その姿を視認した瞬間、フラトンは思わず双眼鏡から手を離してしまっていた。横にいた部下が慌てて空中でキャッチする。

「……こ、紅鐵号だ」

 フラトンは呆然と言葉を発した。

 紅鐵号こうてつごう――その姿を、フラトンは過去に直接見たことがあった。なぜなら、彼もあの時、憲兵として現場にいたからだ。

 部下は怪訝そうに聞き返した。

「え? 何です、隊長?」

「こ、紅鐵号だ! あそこに紅鐵号がいる!」

「紅鐵号? え? どういうことですか? 我々が追っていたのは切裂号ですよね?」

「おれが知るか! でもいるんだよ、あそこに! あれは間違いなく紅鐵号だ!」

 そんな馬鹿な、と部下もすぐに双眼鏡を覗き込んだ。

 部下もかつて紅鐵号事件を経験した憲兵だ。すぐにフラトンの言葉が事実だと認識した。

 怪訝そうな顔が、すぐに混乱へと変わる。

「ほ、本当だ……ど、どうして紅鐵号があそこにいるんですか!? 12年前に騎士団が討伐したのでは!? というか切裂号はどうなったんですか!?」

「だからおれが知るか! クソ、何がどうなってやがる!? 騎士どもが逃げちまったせいでもう訳が分からんぞッ!!」

 フラトンは再びもどかしさと怒りを覚えた。

(クソ、どうすりゃいいんだ……? 我々は小銃ライフルしか持っていない……こんな装備では魔人の相手など無理だ。12年前と同じ事になってしまう――)

 騎士というのは、平民から見れば〝兵器〟のような存在だ。空を自由に飛び回り、大砲のような威力の火の玉を放ち、鉄さえバターのように魔法の剣で斬ってしまう――そんな連中が慌てて逃げ出すような相手を、小銃ライフルでどうにか出来るわけがないのである。

 12年前もそうだった。突如として出現した魔人――紅鐵号を相手に、憲兵隊はただひたすらに無力だった。栄光戦争で使われた重火器があればある程度の足止めは出来たかも知れないが、それらの武器を使うことは決して許されなかった。使用するには貴族院の許可が必要だったが、許可が降りることはなかった。

 フラトンはつい、自分たちも逃げてしまおうかと考えてしまった。

 だが、すぐにこう思った。

(……いや、こんな時にロジャーあいつがいたら、絶対に逃げようなんて言わない。実際、あいつがそう言ってくれたから、おれたちは逃げずに済んだんだ)

 12年前のことが脳裏を過った。

 誰もが魔人に恐れをなして逃げ出してしまいそうだった時、それを鼓舞したのがロジャーだった。ロジャーがいなければ、憲兵隊は恐怖に駆られて指揮系統などすぐに崩壊していただろう。

 魔人と戦うなど無理だ。

 でも、真正面から戦うことは無理でも、出来ることはある。それは人命を守ることだ。

「た、隊長!? だ、誰かが――誰かが紅鐵号と戦っています!」

「なに!? 寄越せ!」

 フラトンは慌てて部下の持っていた双眼鏡をひったくった。

 再び現場を見ると、確かに誰かが紅鐵号と思われる魔人と戦っているのが見えた。

 それが誰か、フラトンはすぐに分かった。あの時と服装は違うが、見覚えのある顔だったのだ。

「あ、あれは……クローイ王女殿下だ」

「お、王女殿下が?」

「……戦ってくれている。間違いない、王女殿下が――魔人と戦ってくださっているのだ」

 先ほどとは違う意味で、彼は思わず呆然としてしまっていた。

 フラトンは、さっさと逃げ出した騎士たちに抱いていた凄まじい怒りが吹き飛ぶほどの衝撃に襲われていた。

 その衝撃が、彼の失いかけていた使命感を、決定的に取り戻させた。

 すぐさま部下へ命令を発した。

「直ちに全員を集めさせろ! 王女殿下が魔人を食い止めてくださっている間に、我々は周囲一帯の市民を避難させるのだ! 急げッ!!」

「はッ! 了解しましたッ!」

 フラトンたちは大急ぎで動き出した。


 μβψ


「――どうした、クローイ? てめぇの〝力〟はそんなもんか?」

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」

 クローイは大きく息を切らせながら、紅鐵号と化したアーヴァインと対峙していた。

 剣を構えてこそいるが、すでにその刃はボロボロだった。それはまるで、彼女の心の様子を表しているようでもあった。

(まずい、このまま地上で戦いが続いてしまったら、周囲への被害は甚大なものになってしまう……とにかく、アーヴァインを足止めしなければ)

 クローイは必死に思考を巡らせ、少しでもアーヴァインの気を逸らすために話しかけた。

「……アーヴァイン、あなたはさっき〝計画〟がどうとか言っていたはずだけれど……こんな派手なことをして、その〝計画〟とやらに支障はないのかしら? これだけのことをすれば、すぐに他の騎士団がやってくるわよ」

「ふん、どうせ異常が知られてから連中が重い腰を上げるまでは1時間以上はあるさ。そん時には、全部ケリがついてる。連中が駆けつけた時には、おれはもうとっくにどこかに逃げた後さ。ま、12年前と同じだな。連中は倒してもない魔人を、さも自分たちが討伐したかのように装って誇らしげに喧伝するだろうよ。実に笑える話だ。そして――クローイ。おめぇもその時にはこの世にはいねえ」

「例えわたしが死んでも、ジェイドとライラが真実を知っているわ。彼女が告発すれば、あなたの〝計画〟はどの道知られることになるはずよ」

「ははは! あいつらがおれを告発するだぁ!? こいつはとんだ笑い話だな! 王女のおめぇが告発するならまだしも、あんな連中が騒いだところでおれは痛くも痒くもねえぜ。誰も〝裏切り者〟の話なんて聞かねえし、ヴィルマルスも現代ではただの〝出来損ない〟だ。本当の価値を誰も知らねえ。それにおれは〝英雄〟なんでねえ……社会的信用ってやつが違うのさ」

 アーヴァインは笑った。鎧に覆われた状態では顔は見えないが、雰囲気からほくそ笑んでいる顔が見えるようだった。

 それは確かに、アーヴァインの言う通りではあった。真実を知らない人間からすれば、アーヴァインは栄光戦争の〝英雄〟だ。それに王族であり、軍務卿という立場にある。実兄である王の信頼も篤い。実際に賢者の石という証拠がなければ、誰もアーヴァインがとんでもない〝計画〟を画策していることなど誰も信じないだろう。

(……むしろ、アーヴァインを告発しようとしたジェイドの方が拘束されてしまう可能性がある。それに、ライラはヴィルマルス――拘束されたら間違いなく処刑される。いえ、処刑ではすまない可能性もある……アーヴァインが手を回せば、彼女は賢者の石の材料にされてしまうかもしれない。それを防ぐためには、何としてでもわたしが生き残らなければ――)

 クローイはあらゆる手段を使ってでも、この場から生きて逃げなければならない立場にあった。そうしなければ、誰もアーヴァインの〝計画〟を止めることができない。

 しかし――

(でも、いまここでわたしが逃げたら……また大勢の人が死ぬ。あの時と同じことになる。それは――できないッ!)

 クローイはアーヴァインを睨んで、剣を構えた。

 アーヴァインは面白がるような気配を見せた。

「ほう? この状況でもまだ立ち向かおうとするか。おめぇも成長したな。12年前のおめぇなら、もう泣いて逃げ出してるところだったぜ?」

「……わたしは、今日この時のために剣を磨いてきたの。その成果を見せる機会を、そう易々と見逃す手はないわ」

「そのわりには手が震えているようだが?」

「これは期待に手が震えているのよ」

「なるほど、そうだったか……クローイ、やはりてめぇには〝英雄〟になれる素質があるようだ。ここでてめぇが逃げることを選択していたら、おれはさぞがっかりしたことだろう……だが、てめぇはそうしねえ。おれを止めようとしてやがる。被害を最小限にするために――いいだろう、てめぇの剣に答えてやろう。てめぇがおれと剣を交える限り、おれは無差別な殺戮をしないと約束する。本当はやりたくてうずうずしてんだけどなぁ……」

 アーヴァインはどこか無邪気な様子を見せた。それはまるで、蟻の巣を意味も無く壊す子供のような、そんな恐ろしい無邪気さがあった。

 ……間違いなく、やる。

 間違いなく、アーヴァインは同じ事をするだろう。

 クローイは確信した。そう、きっとあの事件も、アーヴァインにとってはただの遊びのようなものだったのだ。彼はただ、蟻の巣を壊して遊んでいたに過ぎない。自分が手に入れたオモチャで、蟻を殺して遊んでいたのだ。

 ……だから、本当に、あの殺戮に意味などなかったのだ。

 再び、クローイの胸中に激しい怒りが渦巻いた。

「ま、そう長くは保たねえだろうけどな――ッ!!」

「――ッ!!」

 アーヴァインが斬りかかってくる。

 その攻撃を、クローイは避けなかった。

 奥歯が砕けるほど歯を食いしばって、全身全霊の力で魔人の剣を受け止めた。

 それはさすがにアーヴァインにも予想外だったようだ。避けなかったことも、クローイが自分の一撃を耐え抜いたことも。

 思わず口笛を吹いていた。

「ひゅー! やるじゃねえの! 根性あんじゃねえか!」

「わたしは――貴様のような卑劣な者には、絶対に負けない」

 ぎろり、とクローイがアーヴァインを睨んだ。

「わたしは貴様のような〝悪〟を倒すために剣を磨いてきた……だから、絶対に貴様を斃してやるッ!!」

「気合いはいいんだがねえ……さあて、どこまで保つかな!?」

「ぐっ!?」

 アーヴァインが剣を押し込んだ。

 凄まじいまでの〝力〟がクローイに襲いかかってくる。

 それでも、クローイは必死に耐えた。

 ぼろぼろになった剣で、懸命にアーヴァインに抗った。

 先に地面の方が耐えられなくなり、足元に蜘蛛の巣のようなヒビが入っていく。

 同時に、剣にもさらにヒビが入っていく。

 魔剣グラディットというのは、己の戦う意思そのものだ。

 自らの内に生じた戦う意思を掴み、それを心という匣の中から抜き放ったものが魔剣グラディットなのである。

 殺すために剣を持つ者。

 破壊するために剣を持つ者。

 そして――守るために剣を持つ者。

 剣を持つ理由は人それぞれだ。だから、同じ魔剣グラディットを持つ者は一人もいない。誰もが、自分自身のおもいを持っている。

 クローイの剣は、自分自身への誓いそのものだった。

(あの日、わたしは彼に、彼らに守ってもらった。だから、今度はわたしが守る――そのために、わたしは剣を磨いてきた)

 真の〝英雄〟とは、まさに彼らのような者のことを言うのだと、あの日のクローイは思い知った。

 〝力〟などなくとも、敵に立ち向かうことはできる。

 敵に立ち向かうのに必要なのは〝力〟などではない。

 もっとも必要なもの。

 それは――〝勇気〟なのだ。

「はぁああああああッ!!!!」

「むっ!?」

 押されていたはずのクローイが、火事場の馬鹿力でアーヴァインの剣を押し返した。

 すかさず、クローイは反撃に打って出た。

 魔力で身体強化している貴族でさえ、到達不可能なほどの神速の領域。

 クローイの剣戟は、まさにその領域に至ろうとしていた。

 ――取った。

 手応えがあった。

 超強化された腕力で音速の壁を突き破ったクローイの剣先が、アーヴァインの眉間に直撃する。

 ……その瞬間、彼女の剣が砕け散った。

「――え?」

 クローイは一瞬、呆然としてしまった。

 にやり、とアーヴァインが笑う気配を見せた。

「おしかったな、クローイ。だが――

「――」

 アーヴァインが大剣を振り上げる。

 クローイは動けない。

 死ぬ。

 心からそう思った。

 ……その時だった。

「どぉりゃああああああッ!!」

 頭上から突然、獣のような咆哮が聞こえた。

「……あ?」

 思わずアーヴァインは上を見てしまった。

 その瞬間、頭上から降ってきたライラの一撃が、アーヴァインの顔面にたたき込まれた。

 

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