第20話 魔人

「ちぃ――ッ!?」

 切裂号の剣を、アーヴァインはすかさず自らの大剣で受け止めていた。

 切裂号の持っている剣はとても禍々しいすがたをしていた。戦うためというよりは、ただ殺すためだけにある――そういうすがただ。

 両者はしばし膠着状態になるかと思われたが、すぐにアーヴァインの方が動いた。と言っても反撃するのではなく、切裂号の剣をいなし、自ら後方に下がったのだ。

 クローイはアーヴァインの動きを妙に感じた。

(叔父上が下がった? 単純な腕力では切裂号には負けていなかったはず……なのに――)

 考え、すぐに気付いた。

 アーヴァインの大剣の一部が欠けていた――いや、。切裂号の剣を受けた部分に、はっきりとその刃の跡が残っていたのである。

 クローイは思わず息を呑んだ。

(剣に刃の跡が――? 何と言う切れ味なの)

 あのまま剣を受け止めていたら、恐らくアーヴァインの剣は真っ二つにされていただろう。切裂号の持つ魔剣グラディットの切れ味は、どうやらとんでもない鋭さを持っているようだ。

「ギギャア――ッ!!」

 切裂号がさらにアーヴァインへと襲いかかる。

 アーヴァインは相手の剣を受けずに、大柄な体格からは想像もできない俊敏さで剣戟を躱していく。

 切裂号の剣先が構造体の壁面に接触する。

 すると、あっさりと刃が通ってしまった。

 古代遺跡の構造体は完全に未知の物質で、魔法でも破壊することが難しい物体のはずだった。その物質を切裂号の剣は何の苦も無く切り裂いてしまっていた。

 もはや人間とは思えないような咆哮を発しながら、切裂号は暴風雨のような剣戟を繰り出していく。

 刃の嵐は壁や床、そして天井を容赦なく切り裂き、ズタズタにしていく。触れるもの全てを両断するその剣の前に、あのアーヴァインですら追い詰められていた。

「は――ッ! やるじゃねえの、サイラスよぉ! 見違えたじゃねえかよッ!」

 アーヴァインは強がるような声を発したが、見るからに劣勢だった。

 ……そして、切裂号の剣がアーヴァインの首を捉えた。

 一閃が走る。

 直後、アーヴァインの首がと音を立てて床面に転がった。

 青い血が噴き出す。

 その様子を、クローイはただ呆然と見ていることしかできなかった。

(な――叔父上が、あんなにあっさりと――)

 彼女は動けなかった。

 ギロリ、と切裂号の黄金色の双眸がクローイへと向けられた。

 クローイは慌てて剣を構える。

 その時に気付いた。

 手が震えていたのだ。

 いや、手だけではない。足も、身体も、全てが震えていた。それはもちろん恐怖からだ。

 切裂号が向きを変え、ゆっくりと近づいてくる。

 真冬の冷気のような寒気が、全身に襲いかかってくる。

 彼女は自分を叱咤した。

(何を怖れているの――わたしはのために、剣の腕を磨いてきたはずよ。もう二度と、あんな無様な真似をしないようにと、そのために――)

 脳裏を過るのは紅鐵号事件の記憶だった。

 初めて魔人を目の前にした時、当時の自分が抱いていた幻想や自信など、全て打ち砕かれてしまった。

 周囲から天才だと褒めそやされて、自分は〝英雄〟になる資格があるのだと勘違いしてしまっていた。

 ……そのせいで、ライラの父親を死なせてしまった。自分があんな馬鹿な真似をしていなければ、彼女の父親を巻き込んでしまうことはなかったはずなのだ。

 あの日以来、クローイは英雄に憧れることをやめた。

 ただひたすら、歯を食いしばって、地べたを這いつくばって、己の剣を振り続けた。そこにはかつて憧れた栄光も華麗さもなかった。ただただ泥臭いだけの、他人から見ればさぞつまらないであろう地味な修行が続くだけの日々だった。

 その全ては、この日のためだった。

 いつか再び魔人と相見あいまみえた時、戦うことができるように。

 だというのに――クローイの身体は動かなかった。

「ギギャア――ッ!!」

「ッ!?」

 切裂号が動いた。

 クローイは咄嗟に、相手の剣を受けようとしてしまったが――それはできなかった。切裂号の剣は、彼女の剣をあっさり両断してしまっていたのだ。

 火花が散ることすらなかった。

「くッ――!?」

 鋭い一閃が、クローイの右腕を切り裂いた。

 慌てて後ろに下がる。

 危うく腕を切り落とされるところだったが、それは何とか逃れた。だが、傷は深く、血が止まらない。

「ギ、ギギ、ギギギ――」

 不快な金属音こえを響かせながら、切裂号がじりじりと迫ってくる。

 ――〝化け物〟。

 そう言う他になかった。

 もはやそれは人ではなかった。

 切裂号が兇刃きょうじんを振り上げる。

 クローイは死を覚悟した。

「――ってぇな、おい。やってくれるじゃねえか、サイラス」

「ギ――ッ!?」

 あり得ないはずの声がした。

 理性をほとんど失ったはずの切裂号ですら、驚愕した様子で振り返っていた。

 

「な――」

 クローイは何が起こっているのか、まるで理解できなかった。

 だが、一つ気付いたことがあった。

 

「ったくよぉ、人間やめてなかったら死んでるところだったぜ……」

 アーヴァインは自らの首を元の場所に戻した。

 両断されたはずの首と身体が、あっという間にくっついて元に戻ってしまう。

 あまりにあり得ない光景に、クローイはますます困惑した。

 いかに貴族の身体が魔力で強化されていると言っても、切断された首が元に戻るなどあり得ない。それはもう明らかに――人間という存在の範疇を超えてしまっている。

 アーヴァインは具合を確かめるように、軽く首を回してから――ニヤリと笑った。

「ギギャアッ!!」

 切裂号が襲いかかる。

 アーヴァインは相手の剣をあっさり躱すと、顔面を鷲づかみにした。

「はは、理性がぶっ飛んでるてめぇでもさすがに驚いたかよ? だが生憎だったな……おれはすでにお前となんだよ。魔人は首を落としたくらいじゃ死なねえ。魔人を殺すにはなぁ――こうすんだぜッ!!」

 アーヴァインがそのまま、切裂号の頭を壁に叩きつけた。

 切裂号が悲鳴を上げる。

 抵抗しようとするが、アーヴァインはその前にもう一度切裂号を壁に叩きつけた。

 それをひたすら、何度も繰り返す。

 打ち付けられる度、切裂号の頭部がひしゃげていく。黄金色の双眸が段々と輝きを失い、ただの空洞になってしまう。

 べちゃり、という音を立てて切裂号の身体が床面に転がった。

 空虚な眼が、じっとクローイのことを見ていた。

 それはもう、どこからどう見ても死んでいた。

 クローイは死体から流れ出た青い血の中に、赤いものが混じっていることに気付いた。それはすぐに固体化して、丸い宝玉のような形になった。

「さすがの魔人も、脳みそを潰されたら死ぬしかねえからなぁ……この方法が一番手っ取り早い」

 両手を軽く払いながら、アーヴァインがクローイを見下ろす。

 クローイは膝を突き、傷口を押さえたまま、アーヴァインを睨みつけた。

「……叔父上、あなたはいったい――」

「ふん、もうおおよそ察しは付いてるんじゃねえか?」

 そう言いつつ、アーヴァインは何かを懐から取りだした。

 それは真っ赤な宝玉だった。色合いだけ見れば、魔石であるルベウスのようにも見える。だが、ルベウスにしてはとても色が濃い。赤色というより、まるで深紅のような色だった。

 それが何なのか、クローイはすぐに察した。それは切裂号の死体のすぐ傍に転がっているものと、まったく同じ物だった。

「……それが賢者の石、ですか」

「おうよ。こいつは最先端の襾学かがく技術――そして、古代の失われた知識を利用して作られたもんだ」

「古代の知識?」

「おめぇも知ってんだろう? はるか昔、この地上世界に現代よりもはるかに高度な文明――古代マシャナ文明ってのが栄えてたっつーことをよ。この遺跡だって、その古代文明の一部だ」

 そう言いつつ、アーヴァインは切裂号の死体から出てきた賢者の石を拾い上げた。

 それを懐にしまうと、アーヴァインは自分自身の賢者の石を手元で弄びながら、突然こんなことを訊いてきた。

「なぁ、クローイよ。そもそもなぜおれたち貴族の血は青いと思う?」

「……わたしたちの血が青い理由、ですか?」

「そうだ。平民の血は赤いのに、おれたち貴族の血は青い。それはなぜだと思う?」

「単純に、生物学的に違う種族だから――ではないのですか?」

「違うな。平民も貴族も完全に同一種だ。ならばなぜ血の色が違うかっつーとな、これは祝福でも何でもねえんだよ。おめでたい貴族どもは、みんな青い血を高貴なものだと思ってるし、神に選ばれた証だと思ってやがるが……実際は違う。こいつははおれたちに科せられた〝呪い〟なんだ」

「呪い?」

「そうだ。おれたちみたいな貴族は、古代マシャナ文明では〝超能力者サイキッカー〟と呼ばれていたらしい。そして、魔法は〝超能力サイキック〟と呼ばれていた。詳しい理由までは分からねえが、ある日突然、そういう人間たちが現れるようになったっつー話だ」

「……」

「〝超能力者サイキッカー〟を怖れた人間たちは、そいつらを排除しようとした。もちろん、〝超能力者サイキッカー〟たちは抗った。そして〝超能力者サイキッカー〟たちは自分たちを〝新人類〟と呼び始めた。神話に語られる〝天蓋崩落てんがいほうらく〟ってのが、まさにこの新人類と旧人類の戦争のことだ。両者の争いで、この地上は火の海になった。その頃ってのはどうやら天上世界にも人が住んでたらしくてな。まぁあの空の上に住むなんてどういうこっちゃ分からねえけどよ、とにかくってのが崩れて、地上に降りそそいだそうだ」

「……なぜ、あなたはそんなことを知っているのですか? その話をどこから?」

「昔、たまたま古代遺跡を発見した。おれはそこで全てを知った。古代文明のことも、おれたち貴族の秘密もな。もちろん、そのことは誰にも言ってねえ。今もその遺跡のことを知ってるのはおれだけさ。ま、信じる信じないはてめぇの勝手だ」

 アーヴァインは余裕のある笑みを見せながら、クローイの前にしゃがみ込んだ。

「貴族の血が青いのは、旧人類が使った〝ジェノハッカー・ウィルス〟とやらの名残だ。それは新人類のみを殺すために造られた特別な兵器だったらしいが、まぁそこまでの効果はなかった。ただ、ある程度〝超能力サイキック〟を抑える効果はあった。そのせいで、新人類――つまりおれたちは能力を限界まで使うことが出来なくなり、身体が結晶化するようになっちまったのさ。血が青くなったのは、意図しない副作用だったらしいが……結果的に、それが今では貴族が貴族たる証になっちまった、つーわけよ。皮肉なもんだよな? おれたちはずっと、自分たちに科せられた〝呪い〟を神からの祝福だと喜んで受け入れてたんだからよ。さっきは部下たちがいたからこの話ができなかった。あいつらにも、この秘密は教えてねえ。そこまで知っちまうと、さすがに士気にも関わってきちまうからな」

「……なぜ、その話をわたしに?」

「なあに、お前の危惧している未来とやらが、単なる杞憂だって教えてやろうかと思ったまでさ」

「どういうことですか?」

「お前の言う平民と貴族の戦争ってのは、。天蓋崩落――旧人類と新人類の戦争がまさにそれだ。で、結果いまはどうなっている? そう、おれたちが支配者で、旧人類は支配される側になっている。つまりおれたちはすでに連中に勝利しているということだ。旧人類の持つ〝力〟は、今の平民どもが持っている襾学かがく技術なんざ比べものにならねえくらいの高度な技術を持っていたはずだ。その技術を過去に何と呼んでいたかまでは知らねえが……なら、再び似たようなことが起こったところで、おれたちが負ける理由はねえ。しかもだ」

 アーヴァインはクローイに賢者の石を見せつけた。

「こいつがあれば、未だおれたちの体内に存在している〝ジェノハッカー・ウィルス〟を一時的に無効化できる。つまり――おれたちは本来の〝力〟をもう一度手に入れられる、ということだ」

「――待ってください、叔父上。では、ヴィルマルスというのは、まさか……」

 クローイはあることに気が付いた。

 アーヴァインは楽しげに口端を歪めた。

「察しがいいな。そう、ヴィルマルスこそが本来の純粋な〝新人類〟なのさ。〝ジェノハッカー・ウィルス〟の影響を受けていない、赤い血を持った本来の〝超能力者サイキッカー〟……それがヴィルマルスという存在だ。おれたち貴族に魔力制御が出来て、ヴィルマルスに出来ないのは、別に血のせいじゃねえ。幼少期から魔力制御の訓練をしているか、してないか――それだけの違いでしかない。そんでまぁ、賢者の石の製造には、どうしてもヴィルマルスの血が必要になる。〝穢れのない血〟が――な。賢者の石は普段は固体化しているが、稼働させると液状化する。それを体内に取り込むことで〝のろい〟を解くことができるようになる。それがこの賢者の石の正体だ」

 アーヴァインは、さきほど回収したもう一つの賢者の石を取りだし、クローイの前に差し出した。

「どうだ? もう一度考え直さねえか? ここにもう一つ〝空席〟が出来た。やはり、てめぇは失うには惜しい人材だ。てめぇなら賢者の石を使いこなすことが出来るだろう。これは決して〝愚か者〟には使えない。故に〝賢者の石〟――いっぺん味わったらやめられねえぜ? この〝力〟ってやつはよ――さぁ、おれと共に〝新世界秩序〟を創り上げようじゃねえか」

 アーヴァインはぎらぎらと輝く黄金色の双眸で、クローイのことを見ていた。

 クローイはじっと目の前の賢者の石を見つめていたが……やがて、再びアーヴァインを睨んだ。

「……残念ですが、わたしの返事は変わりません。それは、わたしには必要のないものです」

「……ふむ。なぜだ? 理由を聞こう」

「叔父上は、魔人の〝力〟こそが本来わたしたちの持っているべきものであるような言い方をしていますが……それは間違いです。魔人の〝力〟は、明らかに人には過ぎたものです。あれはが侵していい領域ではありません。愚かな我々には、あまりにも過ぎた〝力〟です」

「……」

「人は、使える〝力〟があればどうしても使ってしまいます。使うことができるものを、使わずにいることはとても難しいことです。ならば、そもそも始めから〝力〟なんて必要ない。ただ、みんながみんな、お互いを助け合えるだけの、本当にささやかな〝力〟さえあれば、それでいいのです。本来の我々の〝力〟が過去の兵器とやらで抑制されたというのも、きっとそうなるべくしてそうなったのですよ。は――明らかに人には必要ないものです」

「……なるほどな。そうかい。気は変わらねえか」

 アーヴァインは残念そうに溜め息を吐くと、やれやれと立ち上がった。

「どうも、おれはお前に恐怖を植え付けすぎてしまったみてぇだな」

「……? どういうことですか?」

「おめぇがそれほど魔人の〝力〟を忌避するのは――〝紅鐵号〟のせいだろう? 確かに、おれはお前のことをうっかり殺しちまうところだったからな……」

「……殺すところだった? だから、いったい何の話なのですか?」

 クローイは混乱していた。

 だが、なぜか全身から冷や汗が噴き出し始めていた。

 腕の傷の痛みさえ忘れてしまうほどの焦燥感がどこからともなく湧き上がり、じわじわと彼女の身を灼いていく。

 不意に、彼女はかつての記憶を思い出していた。

 目の前に立ちはだかる紅鐵号の姿。

 その姿は、確かにとても大柄だった。

 まるで――目の前にいる、この男アーヴァインのように。

 アーヴァインの黄金色の双眸が、さらに強く光り始めていた。

「察しのいいてめぇにしては、今回は察しが悪いじゃねえか、なぁクローイよぉ? おれは賢者の石を持っている。おれには魔人化する〝力〟がある。なら……もうだいたい分かるんじゃねえのか?」

「そ、そんな……じゃあ、まさか、叔父上が――?」

 アーヴァインはニヤリと嗤い、

「ナノ・フリーズ・プロトコル――〝ウィンター・ミュート〟」

 と、まるで呪文を唱えるように、クローイの知らない言葉を口にした。

 ……それは、アーヴァインの姿を解放するための言葉だった。

 賢者の石が眩い光を放ち、周囲を飲み込む。

 あまりに鮮烈で強烈な閃光にクローイは思わず顔を庇った。

 しばらくして光が落ち着き、ゆっくりと眼を開けると――そこに、在りし日の恐怖すがたが立っていた。

 濁流のように溢れだし、周囲を飲み込む膨大な魔力の奔流。

 顔まで含めて全身を覆う赫奕の鎧と、不気味なほどに輝く黄金の双眸。

「――」

 彼女の目の前に立っていたのは、まさしくあの魔人――〝紅鐵号こうてつごう〟だった。


 μβψ


「驚いて声も出ねえって顔だなぁ、クローイ?」

 紅鐵号がアーヴァインの声で話した。

 いや、そいつはまさにアーヴァインなのだ。

 かつて王都に大損害を与え、多大なる犠牲を出した魔人災害――あの紅鐵号事件を起こした存在が、再び目の前に立っていた。

「だがよ、驚いたのはおれもなんだぜ? あの日、まさかおめぇが貴族街ハイツから飛び出して、おれに喧嘩売ってくるとは思わなかったからな。だが……おれは呆れる以上に感心したのさ。あの日から、おれはおめぇを買ってやってるんだ。並の騎士なら裸足で逃げ出す魔人を相手に、ガキの頃のてめぇは真正面から突っ込んで来やがったんだからな。うっかり殺しちまわなくて本当に良かったぜ」

「……な、なぜ」

「あん?」

「なぜ、なぜあんなことをしたのですか!? いったい何のためにあんな大虐殺を起こしたのですか、あなたは!?」

 クローイはたまらず叫んでいた。

 普段、彼女がこれほど感情を表すことなどない。それは彼女自身が、自分を常に律しているためだ。

 だが、この時のクローイはとても己を律してなどいられなかった。

 ただ叫んでいた。

 脳裏には、あの日の光景がよみがえっていた。

 破壊され、燃え盛る街。

 そこら中に転がる焼け焦げた死体。

 まるで戦場だった。

 いくら忘れようとしても、忘れられるわけがなかった。

 最後の最後まで自分を守ろうとして死んだ憲兵もいた。

 彼が死んでしまったせいで、その後の人生を全て失ったしまった少女もいる。

 彼女だけではない。

 いったい、どれほどの人があの事件で人生を失い、狂わされたのか。

 その元凶が目の前にいる。

 その事実は、クローイを激昂させるのに十分だった。

 しかし――

「いや、

「……は?」

 平然と答えたアーヴァインに、クローイは困惑してしまった。

「理由が、ない……?」

「ああ。あの時はなぁ、ちょうど賢者の石が完成した日だったんだ。それまでの試作品とは違う。本物の賢者の石だ。だったらよ……使ってみたくなるだろ?」

「……」

「子供が新しいオモチャを買ってもらって、箱のまま大事にしまっておくか? 新しいオモチャが手に入ったら、すぐに遊びたくなるよな? それと同じさ。おれは賢者の石の〝力〟を、ただちょっと試したかったのさ。それ以外の理由は何も無い」

 本当に、平然と言い放った。

 アーヴァインの声には何の抑揚もなかった。

 あの大虐殺には理由など無かった。

 その事実を知ったクローイは――本気でブチ切れた。

「貴様ぁああああああああああああああああああああああ――ッッッッ!!!!」

 全てをかなぐり捨て、痛みも忘れ、瞬時に生成した己の剣でアーヴァインへと斬りかかった。

 彼女が放った全身全霊、渾身の一撃を、アーヴァインは軽く右手だけで止めた。

「貴様など、もはやわたしの叔父でも何でもないッ!! ただの殺戮者だッ!! 恥を知れッ!!」

 クローイは目の前のアーヴァインを睨みつけ、あらん限り叫んだ。

 しかし、それだけの感情を真正面からぶつけられても、やはりアーヴァインは平然としていた。

「殺戮者? ふむ、まぁそりゃ間違っちゃいねえな。だがよ……おれは戦場で同じ事をして、お前らに〝英雄〟って呼んでもらえるようになったんだぜ?」

「……なんですって?」

「おれは戦場でもたくさん平民を殺した。バルティカに損害を与えるために、村や街を焼き払った。向こうの騎士団との戦いに巻き込まれて死んだ平民の数はそれこそ数十万単位だろうさ。それに比べれば、紅鐵号事件で死んだ平民の数なんてたかが知れてやがる。あれくらいならだ。まぁそれによ、別に平民がどんだけ死んだところで……

「――ッ!!」

 クローイは歯を食いしばり、両手にさらに力を込めた。右腕の傷口から血が噴き出すが、そんなことはもうどうでもよかった。目の前にいる男を殺す――ただそのことしか頭になかった。

「はははッ! 良い顔じゃねえか、クローイッ! いいだろう、そんならもう一度見せてやろうじゃねえかッ! このおれの――本当の〝力〟をッ!!」

 アーヴァインの魔力が膨れ上がった。

 左手に魔力が集中していく。

 クローイが我に返り、危機を察知した時には、もう遅かった。

「――〝天を穿つ炎フラム・ペル・カエ〟ッ!!」

 アーヴァイン――いや、魔人〝紅鐵号〟の生み出した魔法は古代遺跡の超構造体をぶち抜き、真上にある地上ごと何もかも吹き飛ばした。

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