第19話 異変

「はぁ……ッ! はぁ……ッ! っぶねえ、死ぬとこだった……ッ!」

 ライラはようやく息が吸えたみたいに、肩を大きく上下させていた。

 目の前には、頭にとんでもなく大きなコブをこさえたダニエルが白目を剥いて伸びている。やったのはもちろんライラだ。手に持っている剣で思いきりぶん殴ったのである。

 ライラはかなりの汗をかいていたが、そのほとんどは冷や汗だった。というのも、とにかくダニエルの剣を躱し、そして防ぐのにただただ必死だったからだ。

 そう、彼女はとにかく必死だったのだ。もし一度でもダニエルの攻撃を食らえば、自分は間違いなく死ぬ。だから必死に相手の動きを凝視し、何とか食らいついた。反撃が決まったのは本当に運が良かっただけだ――と、少なくともライラ自身はそう思っていた。決して相手の動きを見切っていたわけではないし、全てを読んだ上で反撃を放ったわけでもない。彼女はただ、恐ろしいものから眼を逸らさないように、自分の目ん玉を必死にひん剥いていただけだったのだ。

 ダニエルが完全にのびていることを確認したライラは、剣をほっぽり出してすぐにジェイドの元に駆け寄った。床に転がった剣は、すぐに形を失って消え失せる。

「ジェイド、大丈夫か? 立てるか? と、とにかくすぐ病院に――」

「……待て、医者はいらん。少し……五分くらいあればどうにかなる」

「は? いや、そんな血出ててどうにかなるわけねえだろ!?」

「落ち着け、大丈夫だ」

 そう言って、ジェイドは自分の脇腹に両手を当てて、じっと目を閉じた。

 すぐに手の平から光が溢れだした。

 淡く、とてもやわらかい光だった。まるで小さなろうそくの明かりのようだ。どうやら魔法で自分の傷を治しているようだ。

 そのことに気付いたライラは、慌てて自分の口を噤んだ。ジェイドの集中力を乱してはならないと思ったからだ。

 ライラがハラハラしながら見守っていると、やがてジェイドがゆっくりと眼を開いた。

「……ひとまず傷は塞がった。もう出血はない」

「ほ、ほんとか? そりゃよかった……」

 ライラは心底ほっとした。

 ――だが、その瞬間だった。

「ぐっ……ッ!?」

 いきなり、ライラは自分の右腕を押さえた。

 右腕から急に凄まじい量の魔力が溢れだし始めたのだ。それは目に見えるほどの黒い波動となって、ライラの意識に逆らうかのように暴れ出した。


 ――ろせ

 ――〝敵〟を、殺せッ!!


 頭の中で〝声〟が叫んだ。

 すると、右腕が勝手に〝剣〟を生み出した。

 それはさきほどの剣ではなかった。ライラが正気を失っていた時に握っていた、あの黒く禍々しい剣だった。

 黒い剣を握った右腕は、問答無用でジェイドに兇刃きょうじんを振り下ろそうとした。

 咄嗟のことに、ジェイドは動けなかった。

 彼女は傷の治療に残った魔力のほぼ全てを使ってしまった。それに疲労とダメージが蓄積された身体では、まともな反応もできなかった。

「――の野郎ッ!!」

 ぎらりと光る刃がジェイドに襲いかかる――その寸前で、ライラは全力で右腕の動きを自分自身の制御下に奪い返した。勝手に動こうとする右腕を、凄まじい気合いで停止させ、そのまま思いきり壁を殴りつけ――いや、叩きつけた。

 どごん、と古代遺跡の構造体面が凹む。アーヴァインが大剣で凹ませた構造体を、ライラは素手で凹ませていた。


 ――〝敵〟を、殺せッ!!


 頭の中で〝声〟が響く。

 ライラは歯茎から血が出るほど歯を食いしばりながら、己の右腕を思いきり睨みつけた。

 まだ暴れようとする右腕を、全身全霊の力を込めて左腕で押さえつける。

「うる、せぇ――ッ!! オレの〝敵〟はオレが決めるッ! はでしゃばってくんじゃねえッ!!」

 再び、右腕を思いきり壁に叩きつけた。

 それでようやく右腕は静まった。黒い剣はさらさらと砂のように崩れ去り、〝声〟も聞こえなくなった。

「ずはぁ――ッ!」

 右腕が解放された瞬間、ライラはさきほどよりも大きく息を吸った。

「貴様……」

 ジェイドが驚いたようにライラを見ていた。

 ライラは冷や汗をかきながら、強がるような笑みを見せた。

「……はは。どうだ。耐えきったぞ」

「……」

「あー、くそ。今さら右手が痛くなってきやがった……ん? つーか、これ指折れてねえか? めちゃくちゃ痛ぇんだけど……」

 右腕が自分の制御下に戻ってくると、さっきまで感じていなかった痛みが一気に押し寄せてきた。皮膚が裂け、血がだらだらと滴り落ちる。恐らく骨は折れているか、ヒビが入っている状態だろう。手を開こうとしても、完全には開かなかった。

「あ、やべえ……これめっちゃ痛ぇ……あいたたたっ! 痛った!? いや痛ぇ!? うおおおお!? 手が、手がぁッ!?」

 さらにすごい勢いで痛みがやってきて、ライラは転げ回った。

 ジェイドは思わず溜め息を吐いていた。

「……おい、少し右手を見せてみろ」

「え?」

 ジェイドが手を伸ばし、ライラの手をそっと自分の左手で掴む。

 それからゆっくりと自分の右腕をかざすと――そこから、さきほどと同じ淡い光が溢れだした。

 ライラはちょっと驚いてジェイドを見やった。痛みが引いていくのだ。どうやら彼女は、ライラの手を〝治療〟しているらしい。その事実に気付いたライラは、本当に驚いた顔でジェイドを見ていた。

「ジェイド、お前……」

「……集中しているから静かにしろ」

「あ、悪い……」

 ジェイドはそのまましばらく治療を続けた。

 それで傷が完全に癒えたわけではなかったが、痛みはかなりマシになった。少なくとも転げ回るほどではなくなり、じんじんと痛む程度には収まるようになった。

「……悪いがこれが限界だ。クローイ様も仰っていたかと思うが、他人の傷を治すのは難しいのでな。少しはマシになったか?」

「あ、ああ。少しどころかかなりマシになったぜ。助かったよ、サンキュー。後は適当に布でも巻いとくぜ」

「……ふん」

 ジェイドは再び鼻を鳴らした。不機嫌そうな顔はそのままだが、わずかにライラから視線を逸らしている。もしかしたらお礼を言われて少し照れているのかもしれない。そんな彼女を横目に見ながら、ライラは服の裾を破って包帯代わりに右手に巻いた。

「ところ貴様――剣術は誰に習った?」

 突然、ジェイドがそんなことを尋ねてきた。

 ライラは小首を傾げた。

「……けんじゅつ? なんの話だ?」

「貴様はさきほど、明らかに〝正統流せいとうりゅう〟のかたを使っていた。我が国の貴族のほとんどが使う流派だ。それもかなり熟練された動きだった……あれほどの動きは、相当な手練れでなければ不可能だ。それほどの剣術を、平民の貴様がいったいどこで学んだのだ?」

「いや、剣術なんてまったく知らねえけど……?」

「……なに?」

「まぁ確かに、昔から棒きれ振り回すのは好きっつーか得意だったけどさ。でもそれは誰かに教えてもらったわけじゃねえしな」

「……じゃあ、貴様は何も知らずに、ダニエルと剣を交えていたのか?」

「ああ、何も知らん。あれだ、とりあえず気合いだ」

「……」

 ジェイドは非常に複雑そうな顔でライラを見ていた。驚いているような、呆れているような、信じられないような……色んなものが混ざり合った顔だ。

「……いや、まぁいい。今は考えるのはよそう。それより――」

 ちら、とジェイドがダニエルへと向けられた。

 ダニエルはまだ気絶している。

「貴様、もしかしてのを躊躇ったか? どうもダニエルは死んでいないようだが」

 ライラは困ったように頭を掻いた。

「あー……うん。なんか、ふりおろした時にちょっとためらったと思う。たぶん。加減しようとか思ったわけじゃないんだけど……」

「殺意がなければ魔剣グラディットの刃は鈍るものだからな。だが、まぁ今回は殺さなくて正解だったな。ダニエルには聞かねばならないことが山のようにある。こいつはこの事件に関する重要な証人だ」

「じゃあ、こいつも連れてくのか?」

「そうしたいところだが……今は無理だな。ひとまず拘束だけしておこう。事件が片付いたら拾いにくるとしよう」

 ジェイドは立ち上がり、気絶したダニエルを魔法で生み出した物体で拘束し始めた。鳥黐とりもちのようなネバネバした物体を生み出すと、それを使ってダニエルの四肢を床に固定してく。

「……ふむ。もう少し厳重にしておくか」

 結果、ダニエルは砂浜に埋められた人のような状態になった。この状態なら身体はぴくりとも動かせないだろう。

「……お前、かなりえげついな」

「これくらいはしないと逃げられる可能性があるからな」

「え? これでも逃げられるかもしんねえのか? ぜってームリだと思うんだけど……」

「ぐっ――」

 急にジェイドがその場に膝を突いてしまった。

 ライラは慌てて傍に駆け寄った。

「お、おい、どうした? 大丈夫か?」

「……少し、血を失いすぎたようだ。頭がふらふらする」

「そ、そうなのか? 分かった、じゃあ今度はおれが運んでやるから、背中乗れよ」

 ライラはしゃがみこんで、ジェイドに背中を向けた。

「……貴様、なぜわたしを助けようとするのだ? わたしは貴族だぞ?」

 ジェイドは純粋に不思議そうな顔をした。

 ライラの見せた行動が、彼女にとってはかなり不可解なものに思えたのだろう。これまでずっと『平民』と呼んで蔑んでいたのに、なぜ自分を助けるような行動をするのか、と。逆に攻撃されるのならばまだ理解できるのだが、という顔だ。

 しかしながら、ライラは相手の困惑など素知らぬ様子で、すぐにこう返した。

「この状況で貴族とか平民とか関係ねえだろ。それに――クローイだったらこうするはずだ」

「――」

 クローイだったらこうするはず。

 その言葉に、ジェイドは思わずハッとなっていた。それは間違いなく、ライラの言う通りだと思ったからだろう。

「早く乗れ」

「あ、ああ……その、すまん」

 ライラに急かされて、ジェイドはつい素直に彼女の背中を借りてしまっていた。

 ライラは難なくすっと立ち上がった。むしろ彼女自身、あまりにジェイドが軽く感じたので戸惑ってしまった。

「お、お前めちゃくちゃ軽いな?」

「そういうわけではないと思うが……お前の身体が魔力で強化されているんじゃないのか?」

「え? そうなの?」

「恐らくだが。今のお前からは、かなりの魔力量を感じる。さっきまでとはまるで別人のようだ」

「……自分じゃよく分かんねえな」

 ライラは首を捻った。彼女の感覚では、自分に変化が起きた自覚はまるで感じられなかったからだ。

「まぁいいや。とにかくさっさとここから出ようぜ。このまま真っ直ぐ行けばいいんだよな?」

「ああ。こっちから〝風〟の気配を感じる。出口はそう遠くないはずだ」

「分かった。信じるぞ」

 ライラはジェイドをしっかりと背負い直して、その場から駆け出した。

 しばらく迷路のような地下空間を進んだところで、ライラが急に立ち止まって背後を振り返った。

 ジェイドが首を捻った。

「どうした?」

「……いや、なんか分かんねえんだけど……いま、すげー寒気がした」

「寒気?」

「ああ、いきなり背中がぞくって――」

 その直後のことだった。

 ごおん、と空間全体が激しく揺れた。

「うお!? な、なんだ!? 地震か!?」

 ライラは慌てたが、揺れはすぐに収まった。

 ジェイドの顔が険しくなった。

「……今のは地震ではないな。揺れ方が妙だった」

「……なんか分かんねーけど、すげー嫌な予感がするな」

 ライラは言葉にできない不安を覚えた。

 それはジェイドも同じ様子だった。曰くし難い焦燥感のようなものを、2人は同時に感じ始めていた。いまの揺れは、明らかにただごとではなかった。

 ライラは先ほど以上に出口へと急いだ。

 そのまま進んで行くと、明らかに地面や外壁の種類が変わった。つるつるした謎の物体ではなく、石畳と石壁の空間になったのだ。恐らく建設途中だった地下鉄の一部だろう。

 壁に横穴があって、そこが階段になっていた。

「お、ここから出られそうだぞ」

「思ったより時間がかかったな……」

 その階段を昇っていくと、2人はようやく地上に出ることができた。場所的に、そこはイースト・エンドの端にほど近いところだった。最初に地下へ潜ったイースト・エンドの中心部からはかなり離れたところだ。

 外はもう明るくなっていた。太陽の位置からして、時刻は正午前後といったところだろう。いつもの灰色の天蓋に覆われた空の中で、太陽が息苦しそうにしているのが見えた。

「もう自分で立てる。下ろしてくれ」

「ああ」

 ジェイドを下ろす。

 その時、ライラはふと気付いた。

「……ん? なぁ、なんか向こうのほう――うるさくねえか?」

「なに……?」

 2人は同じ方角を振り返った。

 彼女たちのいる場所はまったくの無人で、むしろ異様なくらい静かなのだが……確かに、少し遠くの方がやけに騒がしかった。イースト・エンドの中心部の方角だ。

 いや、騒がしいなんていう生やさしいものではない。

 轟音、爆発、銃声、そして悲鳴――まるでそこに戦場があるかのような気配が、2人の元に届いてきていた。

 異変を察知した2人は、思わずお互いの顔を見合わせていた。

「お、おい。これなんかやばくねえか? なにが起こってんだ?」

「……分からん。だが、騒ぎが起きているのは方角的に見てクローイ様と別れた方向だ。さきほどの揺れのことも気に掛かる……とにかく、すぐにクローイ様に連絡を取ってみよう」

「連絡って……伝話機でんわきもねえのにどうやって連絡するんだよ?」

「わたしの〝固有魔法〟は遠くにいる相手と会話する〝遠隔通話〟というものだ。と言ってもまぁ、わたしの方から〝通話〟しないと連絡ができない一方的なものだが」

「……ん? あれ? それってオレに教えていいの?」

「何がだ?」

「いや、クローイがってのはあんま人に詳しく教えたりしないもんだって言ってたから……」

「別に構わん。気にするようなことではない」

「あ、ああ。そうなの?」

「とにかく、クローイ様に連絡を取る。ちょっと手を出せ」

「え? あ、はい」

 ライラが言われたとおり手を出すと、ジェイドはなぜかその手をぎゅっと握った。まるで握手しているようになる。

「……なんで握手?」

「クローイ様との会話を貴様にも聞こえるようにする」

 それだけ言って、ジェイドはじっと目を閉じる。

 その直後のことだった。

 少し離れたところで凄まじい爆発が生じた。

 天に向かって突き抜けるような、強烈な火柱と閃光がほとばしったのだ。

 火柱は王都の上空を覆う霧を穿つほどの高さに達していた。熱風の渦が霧を吹き飛ばしていく。

 霧の穴から、日光が降りそそいできた。

 それはまるで、天蓋に巨大な穴が空いたようにも見えた。

 先ほどと似たような揺れが2人に襲いかかる。

 ライラは巨大な火柱を呆然と見上げていた。

「な、なんだありゃあ……?」

「あれは――魔法だ」

「魔法? あれも魔法なのか?」

「恐らく……だが、威力が桁違い過ぎる。恐らく先ほどの揺れものせいだ」

「なんかやべえぞ、これ。クローイは大丈夫なのか?」

「落ち着け。すぐに連絡を取る」

 ジェイドは再び、集中するためにじっと目を閉じた。

『クローイ様、ジェイドです。聞こえますか?』

 ライラの頭の中に、いきなりジェイドの声が響いた。遠隔通話を発動させたようだ。ジェイドは目を閉じたまま、口も一切動かしていない。

『――て』

 少し遅れて、クローイらしき声が脳内に反響した。

 しかし、ノイズが多くてうまく聞き取れなかった。

 ジェイドが再び話しかける。

『クローイ様、いかがされました? そちらの状況はどうなっていますか?』

『――逃げて、2人とも! 〝紅鐵号〟が――〝紅鐵号〟が現れて――』

 切羽詰まったような、苦しげなクローイの声が頭の中に響いた。

 彼女の異変を感じ取ったジェイドが、慌ててすぐに聞き返した。

『クローイ様、どうしました? 大丈夫ですか? 〝紅鐵号〟が現れたというのはどういうことです? 〝切裂号〟ではなく、ですか?』

 ザザッ! と凄まじいノイズが入った。

 頭の中に突き刺さるような音に、ジェイドはたまらず遠隔通話を切った。

 2人ともノイズで頭の中がキーンとなり、思わず頭を押さえていた。

「――つぅ、おい、いまの何だ!? クローイに何があったんだ!?」

「……わ、分からん。だが、確かにクローイ様は〝紅鐵号〟と言った」

「こ、紅鐵号? 暴れてたのは切裂号だろ? なんでここで紅鐵号が出てくんだよ? そいつはもう、ずっと前に騎士団がやっつけたやつだろ?」

「わたしにも、何が何だかさっぱり分からん。とにかく、すぐにクローイ様の元へ向かう。――〝石馬サクサルス〟!」

 ジェイドは魔法で石の馬を生みだした。

 颯爽とそれに跨がる。

「ライラ、貴様はここにいろ! わたしはクローイ様の元へ向かう!」

「待て! オレも行く! 連れてってくれ!」

「なに? しかし……」

「頼む! オレも、オレも一緒に戦いたいんだよ! クローイのことを見捨てるなんてできねえよ!」

 ライラは必死に訴えた。

 なぜ、自分がこんなにも必死なのか、ライラ自身にもよく分からなかった。けれど、クローイに危機が迫っていると思うと、いてもたってもいられなかったのだ。

 ジェイドは少し考える素振りを見せていたが、

「……分かった、乗れ」

 と、おもむろに手を差し伸べた。

 ライラは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその手を掴んだ。

 ジェイドがライラを引っ張り上げ、自分の後ろに乗せる。

「……いいのか?」

「つい先ほどまでの無能な貴様なら置いていったが……ダニエルを倒せるレベルなら十分な戦力だ。今は1人でも戦力が必要だからな。ただ、死んでも文句は言うなよ?」

「安心しろ。ちゃんと生き残って、そんでクソほど文句言ってやる」

「ふん、口の減らんやつだ――掴まってろッ!」

「うおッ!?」

 ジェイドが手綱を操作すると、石の馬は嘶きを上げてすぐにその場から飛び上がり、天に向かって駆け出していた。


 μβψ


 ……時間は少しさかのぼる。

「ひぃ!? た、助けてくれー!?」

 アーヴァインの配下である中央騎士団の騎士たちは、突如として現れた魔人――切裂号に一方的に蹂躙されてしまっていた。

 あっという間に数人が殺されてしまい、残る騎士たちもすぐにその場から逃げ出してしまった。そこには騎士としての矜恃も何もあったものではなかった。

「――ギ、ギギ」

 不快な金属音こえが響く。

 切裂号は逃げた者を追おうとはしなかった。その代わり、ゆっくりとこちらを――アーヴァインを振り返った。

「……は、てめぇ本当にサイラスか? 随分と雰囲気が変わっちまったなぁ、おい」

 魔人の異様な姿に、さすがのアーヴァインも少しばかり驚いている様子だった。かろうじて人の形こそしているものの、硬質化が進んだ皮膚表面はもはや人のそれではなかった。顔もかなり変質している。

(……なんて、おぞましい姿なの。あれが本当にサイラス・バートンだったなんて、とても信じられない――)

 クローイもまた、切裂号の姿には息を呑むほかになかった。

 サイラス・バートンという人物のことはクローイも知っている。優秀な騎士だった男だ。見目も良く、穏やかな人物という印象の男だったのだが……いまはその片鱗すら残っていなかった。本当にただの〝化け物〟だ。

「――ア、アーヴァインサマ、オヒサシブリ、デ、ゴザイマス」

 すると、突然切裂号が人の言葉を発し、アーヴァインに話しかけた。

 どうやら、あの見た目でありながら、かろうじて人としての意識が残っていたらしい。ぎこちないながら、騎士式の敬礼も行っていた。

 対話が可能らしいと判断したアーヴァインは、すぐに言葉を返した。

「ああ、久しぶりだな……まだ言葉が通じるようで何よりだ。サイラス、もう民下街デプスで暴れるのはやめろ。賢者の石もおれに渡せ。これは命令だ」

「ケンジャノ、イシ、ヲ、アナタニ――デス、カ?」

「そうだ。もう一度言う。これは命令だ。お前なら、おれの命令に逆らったりなんてしねえよな?」

「……」

 アーヴァインは切裂号に向かって手を差し出した。賢者の石を渡せ、という意味だろう。だが、切裂号は何も言わず、じっとその手を眺めているだけだった。

「……どうした? まさか、おれの命令が聞けねえってのか?」

 アーヴァインの声が険しくなる。

 それでやっと、切裂号は言葉を発した。

「……ケンジャノ、イシ、ヲ、ワタスコト、ハ、デキマセン」

「なに?」

「コレ、ハ、ワタシノ、モノデス――ワタシハ、ヨウヤク、テニイレタノデス」

「手に入れただぁ? いったい何を?」

、ニ、ナルタメノ――、デスッ!!」

 切裂号がアーヴァインへと襲いかかった。

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