第18話 勇気

「おい、いつまで人のこと荷物にしてやがんだ! おろせ!」

「やかましい、暴れるな。持ちにくいから大人しくしていろ。貴様の走る速度に合わせてなどいられるわけがないだろう」

 ジェイドはライラを肩に担いだ状態で、かなりの速さで駆けていた。

 この地下空間はまるで迷宮のようだが、なぜかジェイドは分かれ道などで迷う素振りを見せず、正解があらかじめ分かっているかのように、一切立ち止まらず走り続けていた。

「本当にこのままクローイを置いてっていいのかよ!? 殺されちまうかもしんねえんだぞ!?」

「あのお方は強い。相手が〝英雄〟と呼ばれたアーヴァイン様であっても、絶対に引けは取らない。それに――クローイ様がと仰ったのだ。だったら、必ず何とかする。信じろ」

 ジェイドはきっぱりと言い切った。

 ライラの感じているような不安な気持ちを、彼女はまったく見せなかった。

 もちろん、表情はとても険しい。楽観しているわけではないだろう。

 それでも、ジェイドは己が主であるクローイのことをまったく疑っていなかったのだ。クローイが何とかすると言えば、絶対に何とかする――と、それを心から信じ切っている様子だ。

「つってもよ……ん?」

 それでも、ライラはやはり不安だった。

 だが、その気持ちを言葉にするよりも先に、後方に生じた異変に気が付いた。

 ジェイドは前だけ見て走っているが、肩に担がれた状態のライラはずっと後方を見ている状態だ。故に、真っ暗な地下空間に生じた小さな異変に気が付くことが出来た。

「おい、いま後ろの方でなんか光ったぞ!?」

「なに?」

 ジェイドが止まり、後方を振り返る。

「――まずい、追っ手だ」

「え? 追っ手?」

「おろすぞ」

「うお!?」

 ライラはいきなり足元に放り出された。

 ぐえー、と硬くて冷たい構造体の床面に顔面からへばりつく羽目になる。

「雑だな、おい!? おろせとは言ったが落とせとは言ってねえぞ!?」

「無駄口叩いてないでさっさと走れ!」

「――へ?」

 ジェイドが鋭い声を発した瞬間、いくつもの光がまるで矢のように襲いかかってきた。

 突然のことに、ライラは呆けたまま動けなかった。

 矢は全てジェイドが剣でたたき落とした。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ! 貴様ら、我々から逃げられるなどと思うなよ……ッ!」

 ダニエルだった。

 ものすごい形相だ。よほど必死に走ってきたのか、先ほどまで見せていた澄まし顔は欠片もない。髪もかなり乱れている。そして、なぜか少し頭から血が垂れていた。どこかにぶつけたような感じだ。コブが出来ているのが見える。

「お、おい。あいつが追っかけてきたってことは、もしかしてクローイのやつ――」

「もしそうなら、他の連中も一緒に追って来ているはずだ。恐らくあいつだけが何とか突破してきたのだろう」

 剣を構えつつ、ジェイドはダニエルを強く睨みつけた。

「ダニエル、悪いことは言わん。わたしに剣を向けるのはやめておけ。お前ではわたしには勝てん」

「な、なにぃ……?」

 面と向かって放たれたその言葉に、ダニエルは一瞬、虚を衝かれたような顔をしたが……すぐに目ん玉をひん向いて烈火の如く怒りを露わにした。

「貴様、中貴族風情がこのおれに何と言う口の聞き方だ!? おれは大貴族スリニヴァサン家の長男だぞ!? 第一中央騎士団の団長だぞ!? そのおれに向かって、貴様ごときがそんな口の聞き方をしていいと思っているのか!? 痴れ者めが! 恥を知れ!」

「ふん、痴れ者はどちらだ。王族であるクローイ様に向かって、があれだけ偉そうに大口を叩いたのだぞ。そのような礼儀知らずに向ける礼儀などあるものか。恥を知る必要があるのは貴様の方だ。親の裾を引っ張っているだけで団長になったが偉そうにするなよ」

「こ、このぉ――ッ!! 〝裏切り者〟のブルースター家の人間のくせに偉そうなことをッ!! やはり親が恥知らずなら、その子もやはり恥知らずだなッ!! 王国の面汚しめがッ!! その敗北主義的な根性は親譲りか、ええッ!?」

「――貴様。わたしの父を愚弄するな」

 ジェイドの顔つきがほんの一瞬で変わった。

 彼女はあまり感情が顔に出る方ではない。だからどんな状況でも比較的冷静に見えていたのだが……今はまったくそうではなかった。敵意と怒りを剥き出しにしていたのだ。

「裏切り者……?」

 もちろん、ライラは何のことかさっぱり分からない。尻もちをついたまま首を傾げていると、ダニエルが口端を歪めて悪意のある笑みを見せた。

「何のことか分からないという顔だな、ヴィルマルス。まぁせっかくだから教えてやろうじゃないか。こいつの父親はな、栄光戦争であろうことか敵に寝返ったのだ。おかげで所属していた騎士団は全滅。そのせいで、東部戦線は一時バルティカに突破されそうになった。まぁ、結局は味方の援軍に討たれて死んだのだが……愚かで浅はかな男だ。どうせつまらん賄賂にでも目が眩んだのだろう」

「違うッ!! 父はそんな人ではないッ!!」

 突然、ジェイドが叫んだ。

 ライラは本当にびっくりした。ジェイドがまるで別人のように激昂していたのだ。

「父はとても立派な人だったッ! 誇り高き騎士だったのだッ! 敵に寝返ってなどいないッ! あれは何者かに嵌められたのだッ!」

「はっ、つまらん言い訳だ。親がどうしようもない嘘つきなら、その血を引く貴様も、やはりどうしようもない嘘つきだな。まぁ、でも良かったではないか。そのおかげで、あの〝道楽王女〟に同情して拾ってもらえたのだからな。どんなにつまらん騎士団であっても、正式に認可されたのなら騎士団であることには変わりない。貴様も肩書きの上では副団長だ。〝道楽王女〟の団長に〝裏切り者〟の副団長――をするにはちょうどいい組み合わせじゃないか、ひゃはははッ!」

「貴様ァ――ッ!!」

 怒りに駆られたジェイドが、まるで獣のようにダニエルに襲いかかった。

 一瞬、ダニエルの浮かべる悪意の笑みが、さらに深まったように見えた。

 そう、全ては意図的な挑発だったのだ。

 冷静さを失ったジェイドの動きは、ダニエルには全て見えていた。

 怒りのままに振り下ろされたジェイドの剣はダニエルにはかすりもせず、逆に反撃を食らってしまった。

「ぐっ――ッ!」

 血が飛び散る。

 ジェイドはその場に片膝をついてしまった。脇腹から青い血が溢れていた。

「さて、おれでは貴様には勝てん――とかいう話だったが……これはどういうことだろうな。膝をついているのは貴様で、立っているのはおれだ。貴様はその状態で、どうやっておれに勝つつもりなのだ?」

 完全に優位に立ったダニエルが、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

 ジェイドは相手を睨みつけ、何か呟いた。恐らく魔法を使おうとしたのだろう。

「遅いわ、間抜けッ!!」

 魔法が発動する前に、ダニエルが思いきりジェイドの脇腹に蹴りを入れた。負傷した箇所を狙った卑怯な一撃だった。

「かは――ッ!?」

 蹴り飛ばされたジェイドは、床をごろごろと転がった。

「ジェイド!?」

 ライラは慌てて駆け寄った。

「ぐう……ッ!」

 ジェイドはあまりの痛みに声すらも出せない様子だった。珠のような冷や汗を額に浮かべ、苦しげにうめいている。脇腹からは恐ろしい量の血が溢れていた。

 ……ほんの一瞬、ライラはジェイドの青い血に忌避感を覚えてしまった。自分の血とはまったく違う色の血。その血を見たライラは、とっさにこう思ってしまったのだ。

 気味が悪い――と。

 だが、すぐにとある光景が頭をよぎった。それは、自分を〝化け物〟と呼んで殺そうとする、の叔父と伯母の顔だった。

 同時に、クローイが自分の傷を魔法で癒やしてくれた時のことも思い出していた。彼女はライラの赤い血を見ても、それを気味悪がる様子など一切見せなかった。それどころか、血を流していることを心配してくれたし、魔法で治そうとまでしてくれた。

 二つの光景が同時に脳裏を過っていく。

 ……その中でより鮮明にライラの記憶に焼き付いていたのは、クローイの見せる優しい笑顔の方だった。その笑顔と比べれば、化け物のような叔父と伯母の顔など、本当にかすんで見えた。

「――ッ!」

 ライラは上着を脱いで、ジェイドの脇腹にあてがった。すぐに上着が血を吸って青くなるが、絶対にそこから手を離さなかった。

「き、貴様――」

 ジェイドは苦しげに顔を歪ませたまま、自分を止血しようとするライラに驚いたような顔を見せた。

「何をしている、平民。貴様はさっさと逃げろ。貴様まで殺されるぞ」

「アホか! オレが逃げたらてめぇだって死ぬだろ! だいたい、貴族が平民の心配なんてしてんじゃねえよ! てめぇはそんなキャラじゃねえだろが! オレをオトリにして逃げるとかしろよ!」

「……それは出来ん。クローイ様が貴様を逃がせとわたしに命じたのだ。ならば、わたしはその命令を命を賭してでも完遂させねばならん――」

 ジェイドはぼたぼたと血を流しながら、自らの足で立ち上がった。

 そんな状態でも戦おうとするジェイドを、ライラはただ驚いたように見上げることしかできなかった。

「な、なんでそこまで……」

「……わたしは、クローイ様に救われたのだ。〝裏切り者ブルースター家〟のわたしは、何をやっても周りからずっと白い眼で見られてきた。わたしは周りを見返してやりたくて、剣術も勉学も、誰よりも優秀な成績を収めてきた。でも、誰もわたしを認めてはくれなかった。何をしても無駄だった。本当にただただ虚しかった。でも……クローイ様がわたしに声をかけてくださった。あのお方だけなのだ、わたしのことを〝必要〟だと、そう仰ってくださったのは――だからわたしは、全身全霊でクローイ様にお仕えするのだ」

 ジェイドは再び剣を構える。

 ……しかし、どう見ても立っているだけでやっとの状態だった。

 ダニエルは哄笑した。

「はははッ!! そんな状態でおれに勝つつもりか、ジェイド・ブルースターッ!! どれ、もう少しくらいなら逃げる時間を与えてやってもいいぞッ! 卑怯者らしく尻尾を巻いて逃げてみろッ!」

「……平民。さっさと行け。このまま真っ直ぐ行けば、恐らく地上に出られる」

「ジェイド……」

「さっさと行け!」

 ジェイドは再び、ダニエルに斬りかかっていった。

 それは貴族同士の殺し合いだった。

 お互いに〝魔力〟を持つ、選ばれた人間同士の殺し合い。どちらの剣戟も、とても常人の眼で追えるようなものではなかった。

 レベルが違う。

 ライラは思い知らされた。

 これまでの喧嘩のような、あんなお遊びとは訳が違う。貴族を相手に戦うというのは、なのだ、と。

 お互いに剣を振るうのみならず、一瞬のうちに距離を取ってすかさず魔法を放つ。それをさらに魔法で打ち消し、さらに一瞬の隙を狙って首を落としにかかる。

 しかも、両者の一撃はとてつもなく重い。きっと鉄くらいならバターのように斬ってしまうのだろう。お互いにそのレベルの攻撃を繰り出しながら、お互いにそれを、打ち払うのである。

 平民から見れば、騎士というのは存在そのものがもはや〝兵器〟のようなものだった。

「はははッ! どうした!? 貴様の実力はその程度か!?」

「く――ッ!」

 ジェイドは明らかに押されていた。

 剣術なんて素人のライラでも、それは見ていて分かった。

 すぐにでも加勢しなければ、本当に殺されてしまうだろう。

 だが――

(あんな〝化け物〟みたいな連中の喧嘩に、オレが首を突っ込んでどうなるってんだ……? 無理だ、オレにはどうにもできねえ)

 どう考えても、この場はさっさと逃げるのが正解だった。ジェイドが逃げろというのだ。だったら、足手まといはさっさと逃げるべきである。

 ……それは頭で分かっているのに、どうしてもライラはその場から動けなかった。

 気付くと手が震えていた。

 それは怖かったからだ。

 と言っても、ダニエルのことを怖れているわけではなかった。

 ライラが怖れているのは――己の内に存在する〝影〟だった。


 ――ろせ


 〝声〟がする。

 最初は残響のように遠かったものが、すぐに耳元で叫ぶようなものに変わる。


 ――〝敵〟を、殺せッ!!


 さらに手が震えた。

 ライラには〝力〟がある。彼女はただの平民ではない。魔力を持った平民――ヴィルマルスだ。故に、ダニエルに対抗する術を持ち合わせている。その〝力〟を使えば、もしかしたらジェイドのことだって助けられるかもしれない。

(オレにも〝剣〟が使えたら……ダニエルと戦えるかもしれねえ。でも、そうしたら……〝力〟を使ったら、オレは今度こそ戻ってこれなくなるかもしれない……)

 迷った。

 怖かった。

 今度こそ本当に〝化け物〟になってしまうかもしれない――そう思うと、とても〝力〟を使おうとは思えなかった。だったらもう、いっそこの場からも、〝力〟からも、何もかもから逃げ出したかった。

(――いや、違う。そうじゃない。そうじゃねえだろう。なら、こんな時に逃げたりしない)

 ライラは不意にクローイの言葉を思い出していた。


『弱気になってはダメよ、ライラ。恐ろしいと思うのなら、むしろそこから目を背けてはダメ』

『恐れから戦うのではなく――戦う時は、自らの〝勇気〟で戦うのよ。そうすれば、あなたの〝力〟は、きっとあなたの思いに答えてくれるわ』


 勇気。

 その言葉を思い出したライラは、己の恐怖ちからから眼を背けるのをやめた。

 右腕に〝力〟を集中させる。

(……思い出せ。、オレはどうやって〝剣〟を出したんだ? この〝力〟をどういうふうに使えば、あんなことが出来るんだ? 思い出せ、思い出せ――)

 ライラは最も眼を背けたいものを、あえて直視し続けた。

 危うく自分が〝化け物〟になりそうになった時のことだ。

 〝影〟に支配されそうになった時、自分は確かに剣を生み出した。その時の感覚を思い出すことができれば、きっと同じ事ができるはずだ。

 もちろん、魔法の使い方なんてライラは知らない。

 けれど――〝影〟は知っているはずなのだ。

 故に、ライラは昔から潜在的に魔力を制御することが出来ていたに違いなかった。無意識下でライラに干渉してきたあの〝影〟が、良くも悪くもライラに〝力〟を制御する術を与えていたのだ。

 例えそれが、いつかこの身体を奪うための下準備だったのだとしても――今は、むしろその全てに感謝すべきだろう。

 この〝力〟があるおかげで、ライラは戦う術を得ることが出来たのだから。

 目を背けず、自分自身が怖れていたものを真っ直ぐに見ようとすると、自ずとが口から出ていた。

「――〝魔剣グラディット〟」

 ライラの周囲に眩い光が溢れだし、決意に満ちた双眸が黄金に輝き始めた。


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 ダニエルの剣が、ジェイドの剣を弾き飛ばした。しまった――と思った時にはもう遅い。剣は手から離れ、形を失った。

「死ねッ!!」

 容赦なく剣が振り下ろされる。剣の再生成は間に合わない。

 ジェイドは死を覚悟した。

 その瞬間、彼女が感じたのは恐怖ではなく、己があるじに対する申し訳なさだった。

(……申し訳ありません、クローイ様。わたしは最後まで、何のお役にも立てませんでした)

 空虚で空っぽだった自分に、彼女は生きる意味を与えてくれた。その恩義に報いたくて、全身全霊で仕えてきた。

 けれど、自分はまだ何も彼女に返せていなかった。それどころか、ずっと貰ってばかりだった。

 悔しいと思った。死ぬことなんかより、クローイの恩義に報いることができなかったことの方が――ジェイドにとってはよほど悔しかった。

「うらぁッ!!」

 突然、人影がダニエルに向かって襲いかかった。

「ぐぬッ!?」

 ジェイドに振り下ろされるはずだった剣が火花とともに弾かれる。

「んな――き、貴様!? なんだその〝剣〟は!?」

 ダニエルの顔が、さらに驚愕を露わにした。

 何が起きたのか分からないジェイドは、地面に尻もちをついたままただ呆然と、目の前に立つ背中を見上げていた。

「……平民、貴様。その〝剣〟は――?」

 ジェイドもまた、目の前の光景に驚きを禁じ得なかった。

 ライラが魔剣グラディットを握っていたのだ。

 ジェイドがその光景を見るのはこれで二度目だったが、あの時とは違う点が多かった。まず剣の形が違った。以前の剣は黒くて禍々しいものだったが、いまライラが握っている剣はとても綺麗な白銀だった。形状こそ異なるが、その剣はなぜかクローイの剣を彷彿とさせた。

 そして、もう一つ違うのは――どう見てもライラが正気だということだった。

 〝魔力〟を暴走させているのではない。

 それはようするに、使

 ライラはちょっとだけジェイドを振り返って、無理矢理笑って見せた。その顔を見る限りでは、ライラ自身もちょっと困惑している様子だった。

「……はは、なんか分かんねーけど、気合い入れたら出てきちまった」

「いや、気合いって、そんな問題じゃ――」

「ふざけるなッ! ヴィルマルスごときが魔法を使うなど烏滸おこがましいにもほどがあるわッ!! 身の程を弁えろッ!!」

 なぜか激昂したダニエルが、ライラに容赦なく襲いかかってきた。

 凄まじい速さで剣戟が繰り出される。普通なら眼で追うことは不可能な速さだ。

 ……しかし、すでにライラは〝普通〟ではなかった。

 彼女は、ダニエルの攻撃を躱した。

(んな――避けただと!?)

 ダニエルは信じられなかった。まぐれかと思った。しかし、そうではない。ライラの動きは、明らかにダニエルの動きを見切った上での動きだった。

 その証拠に、ライラはすぐさまカウンターを放ってきた。ダニエルは慌ててその剣を受ける。思わず鼻白んでしまった。本当に動揺してしまっていたのだ。

 それはすぐに猛烈な怒りへと変わった。

「こ、こんのぉ……ッ!! 貴様、誰に剣を向けているのだ!? 出来損ないヴィルマルス風情が、おれに楯突くでないわッ!! 死ねッ!!」

 再び、猛然と剣を振るう。

 全力だった。

 ダニエルは本気でライラを殺しにかかった。

 ――しかし、当たらない。

 全てが躱され、そして防がれてしまう。

 ダニエルは怒り狂ったように、さらに剣を振り回した。

(この、このこのこのこのこのッ!! なぜだッ!? なぜおれの剣が当たらぬのだッ!? このおれの剣がッ!?)

 怒れば怒るほど、剣筋は読みやすくなっていく。頭でそれが分かっていても、溢れ出す激情を止めることは不可能だった。

 たかが平民ごときが貴族に楯突くなどあってはならないことだ。決して許されることではない。下等生物は下等生物らしく、地面に這いつくばっていなければならないのである。

 なのに――

「何なんだ、何なんだ貴様はァァァッ!?」

 ライラは、ずっとダニエルのことを直視していた。

 まったく眼を逸らさない。それはまるでダニエルの全てを見透かし、見通しているかのような視線だった。心の動きも、身体の動きも、全部が全部、完全に読まれているような錯覚に陥っていく。

 気が付くと、ダニエルはただ焦燥感に駆られていた。

 早くこいつを倒さねば――と、ひたすらその思いが強まっていく。

 と、そこでふとダニエルは自分の感情の変化に気付いてしまった。

 すでに、彼を支配している感情は怒りではなかった。怒りとは別の感情が、今の彼を支配しつつあったのだ。

 それは――恐怖だ。

 限界まで発揮したはずの力がまったく通用しない。これまで鍛え上げてきた剣がかすりもしない。

 自分が戦っている相手は、明らかに自分が持つにいる。

 そのどうしようもない事実に気付いた時、ダニエルの動きが鈍ってしまった。

 ――その瞬間、ライラの双眸がと光った。

(まずい、しまっ――)

 ライラの放った重く鋭い一閃が、ダニエルの意識をたった一撃で吹き飛ばした。

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