第15話 家族

「ねえ、ライラ。今度はライラのことを聞かせてくれない?」

 急にクローイはそんなことを言い出した。

 ライラはもちろん首を傾げた。

「オレのこと?」

「ええ。あなたのこと。何でもいいわ。ライラのことならなんでも」

「……そんなこと聞いてどうすんだよ?」

「あら、だって友達のことを知りたいと思うのは当然のことじゃない? それにわたしが色々と話したんだから、ライラだって話さないと不公平だわ」

「いや、別にオレは話してくれとは……」

「……」(じー)

「……うぐ」

 クローイにじっと見つめられて、なぜかライラはたじろいでしまった。

 思わず溜め息をついた。やっぱり、どうしてもクローイには逆らえない。

「……べつにおもしれー話なんて一つもねえぞ? それでもいいか?」

「ええ。もちろん」

 クローイは頷いて、優しく微笑んだ。

(自分のこと――か。誰かに自分のことなんて、これまで一度も話したことねえな)

 身の上話などするのは初めてのことだ。

 最初は何を話せば良いのか何も分からなかったが、気が付くとぽつぽつと言葉が口からこぼれはじめていた。

「……オレさ、いまはイースト・エンドなんかに住んでるけど……昔はもっと〝普通〟の家で暮らしてたんだ。つってもよくある東側の貧乏長屋だけどさ。それでも、イースト・エンドに比べりゃ、まるで高級住宅街ウエスト・エンドみたいなところだったよ。オレはそこで、本当に〝普通〟に父さんと母さんと暮らしてたんだ。その時は、自分がヴィルマルスだってことすら知らなかった。いま思えば人生でいちばん幸せな時が、その時だったんだなって今は思う」

「……うん」

「でもさ、ある日オレの父さんが死んじまったんだ。オレの父さんは王都で憲兵やってたんだけど……〝紅鐵号事件〟に巻き込まれて、それで死んじまってさ」

「……」

 一瞬、クローイの顔に少し変化があった。

 ライラはそれには気付かず、たどたどしく続けた。

「そん時、オレはまだ二歳とかそんくらいだったから、父さんの顔とかってあんまり覚えてないんだよな。少しだけなら写真とかはあったらしいんだけど、住んでた家を追い出された時に荷物のほとんどは借金取りに取られちまったみたいで、オレと母さんの手元には何にも残らなかった。父さんがいなくなった後は母さんがずっと朝から晩まで働いてたけど、でもそれじゃぜんぜん金が足んなくて、結局オレと母さんはもっとボロい家に引っ越した」

「……」

「でも、それから母さんも過労で体調を崩して、そのまま死んじまった。それがたぶん、五歳くらい。それからは父さんの弟のおじさんに引き取られた。おじさんが住んでたのは王都じゃなくて、もっとテムゼン川の上流にある小さな村だったから、それからしばらくはそこで暮らしてたんだ。おじさんもおばさんもさ、最初はめちゃくちゃ良い人だったんだよ。オレをまるで、本当の娘みたいに思ってくれててさ……だからオレも、2人を本当の両親みたいに思ってた。でも――は、オレがヴィルマルスだって知ると、すぐにオレを殺そうとした」

「……え? 殺そうとしたって……どういうこと?」

「どういうこともクソもねえさ。言葉のまんまだ。おじさんはオレを猟銃で撃ち殺そうとして、おばさんをオレを包丁で刺し殺そうとした。それもすごい形相でな」

「――そんな」

 クローイは言葉を失ったように口元を抑えた。ライラは対称的にますます皮肉げになった。

「……ま、いまとなっちゃそれがのことだったんだな、って思うけどな。ヴィルマルスが1人でも身内にいれば、家族も親戚もみんな貴族に殺されちまうんだ。だったら、周りに知られる前に殺すしかない。でも、あの頃のオレはそんなことなんにも知らなかったから、ついうっかりおじさんたちの前で〝力〟を使っちまったんだ。母さんには絶対に人前で〝力〟は使っちゃダメだって言われたけど……」

「お母様は、ライラがヴィルマルスだということを知っていたの?」

「ああ、知ってたよ。オレが最初に〝力〟に目覚めたのは、母さんと2人で暮らし始めてからだ。いつだったかスゲー高熱が出て、いっぺんマジで死にかけたんだけど……その後から、自分でもなんかよくわかんねー〝力〟が使えるようになったんだ。手で触れずに物を動かすとか、なんかそういうことがさ。で、そん時はやっぱり何も知らねーから、オレは母さんにその〝力〟を見せて自慢したんだ。そしたら母さんはすぐに顔色を変えて、オレに人前でその〝力〟は絶対に使うなって言ったんだ。めちゃくちゃマジな顔してたから、今でもあの時のことはよく覚えてるよ。だからオレもずっと人前では〝力〟は使わないようにしてたんだけど……あの時、とっさに使ったちまったんだ」

「あの時?」

「家の近くでさ、土砂崩れがあったんだ。そこにオレとおじさんがたまたまいて、巻き込まれるところだったんだけど……オレがとっさに〝力〟を使って、土砂を防いだ。それでオレとおじさんは命拾いした。でも、それで〝力〟のことがバレた。んで、その日の夜だ。オレがベッドで寝てる時、起きたらおじさんが猟銃を持ってオレのことを撃とうとしてた。おばさんに助けてって言ったら、今度はおばさんがオレを包丁で殺そうとした」

「……」

「マジでさ、もう本気で殺そうとしてくるんだよ……たかだかガキ相手に猟銃まで引っ張り出してきて、どんだけ必死なんだよって思うよな? 家の外に逃げても、森の中に逃げても、それでもおじさんはオレを殺そうとしてくるんだ。昨日まで娘みたいに可愛がってくれてたのに、ヴィルマルスって分かっただけで、本気で殺そうとしてくるんだぜ? それまでの数年間はいったいなんだったんだよな……はは、笑えるよな、ホント」

 ライラは笑って見せたが、その笑みはどこまでも渇いていて、そして空虚だった。

 クローイは、ただ黙って、じっとライラのことを見ていた。

「でもまぁ、なんやかんや、なんとか殺されずにすんで、そのまましばらくは山の中をうろうろしてた。そこで何となく川沿いに行けば王都に行けるんじゃないかって思って、何日も歩いて王都までやって来た。それからはずっと王都に住んでる」

「……どうして王都に?」

「特に理由はねえよ。ただ村には戻れなかったし、元々王都で暮らしてたからなんとなく土地勘はあったし、ただそれだけだ。つっても、頼る相手なんて誰もいねえんだけど……それでも、気付いたらここまで来てたんだよな」

「……」

「ま、それで全部だ。後はこのクソみたいな掃き溜めで、なんとか死なないようにやってきた。別に大したことない話だよ。イースト・エンドには親がいないガキなんて腐るほどいるからな。オレのことも、別に珍しくともなんともねえ話だ」

 ライラは肩を竦めた。

 そう、ライラの境遇など珍しくもないことだった。

 イースト・エンドにはいくらでもストリート・チルドレンがいる。彼らもライラと同じように親を失った子供たちだ。ライラもそういう可哀想な子供の1人でしかなく、ただそれだけの話でしかない。

 ライラは自分自身、本当につまらない身の上話だと思っていた。

 口に出して、改めてそう思った。

 本当に……なんてつまらない話だろう、と。

 いつもなら、ライラはここで適当に話を茶化して終わりにしていたかもしれない。そもそも身の上話をするなんて小っ恥ずかしいことをしてしまったこと自体、自分らしくないことだ。だから、このへんで我に返って、適当に茶化して、それで話を終わらせていたはずだった。

 ……でも、なぜか、ライラはつい言葉を続けてしまった。

 本当の意味で、これまで誰にも話したことのなかった……自分自身すら明確に意識していなかった〝本音〟が、思わずこぼれてしまったのだ。

「……でもさ、今もちょっと思ったりするんだよな。もし父さんが生きてたら……オレはどんな人生送ってたんだろうなって。そしたら、たぶん母さんだって生きてただろうし、だったら、それでどうなってただろうなって。信じられるか? 母さんは、オレがヴィルマルスだって知った上でずっと育ててくれてたんだぜ? 普通はしねえよなぁ、そんなこと……普通は、おじさんとおばさんみたいに、殺そうとするのが当たり前のはずなんだ。母さんは、全然普通じゃなかったんだなって今さらだけどそう思うよ」

「……」

「母さんはさ、最後までずっと父さんのこと褒めてたんだ。父さんは憲兵として、立派に戦って死んだんだって。紅鐵号からみんなを守って死んだんだって。オレは父さんのことほとんど覚えてないけど、でも母さんがそう言うなら、きっとすげー人だったんだろうなって、そう思ったよ。顔もはあんまり覚えてないけど……でも、すげーかっこよかったんだろうなって」

 でも、とライラはこう続けた。

「でも……やっぱさ、思っちまうんだよな。、父さんにはずっと、オレと母さんだけ守ってて欲しかったな――って。ま、んなこと今さら言ってもしゃーねえんだけどさ。はは……って、どうした、クローイ?」

 そこでようやく、ライラはクローイの様子がおかしいことに気付いた。とても思い詰めたような顔で、胸元を強く握りしめていたのだ。

「……ねえ、ライラ。あなたのお父様のお名前を聞いてもいい?」

 クローイが急にそんなことを尋ねた。

「父さんの名前? だけど……なんでそんなもん聞くんだ?」

「……そう」

 クローイは目を瞑り、なにごとか呟いた。その言葉はとても小さくて、ライラには聞き取れなかったが――彼女はこの時、こう呟いていたのだ。


 ――ああ、やっぱりそうだったのね。


 と。

 ライラは何も知らない。だから、この時のクローイが感じていた気持ちも分からないし、どうして妙に思い詰めた顔をしていたのかも、何も分からない。ただ、首を傾げるしかなかった。

「……? どうしたんだ?」

「……いいえ、何でもないわ。色々話してくれてありがとう、ライラ。あなたのことがたくさん知れて、とても嬉しいわ」

 ……だから、どうしてクローイの笑顔がぎこちなかったのかも、もちろんライラには分からなかった。

 

 μβψ


「おい、起きろ平民」

「……んえ?」

 ライラが目を覚ますと、すでに起きていたジェイドがじっと自分のことを見下ろしていた。

 硬い床の上で爆睡していたライラは、寝ぼけ眼をこすりながら身体を起こした。

「もう朝か?」

「朝だな。と言ってもここじゃ朝も夜もないが……とにかく起きろ。移動するぞ」

「へいへい……あれ? クローイは?」

「少し先の様子を見に行っていらっしゃる。戻って来たら移動を開始するぞ」

「おいおい、王女様を1人で行かせていいのか? なんかあったらどうすんだよ」

 ライラがそう言うと、ジェイドはバカにしたように鼻を鳴らした。

「ふん、これだから平民は。クローイ様の騎士としての強さは貴族社会ではとても有名なのだぞ。貴様如きが心配するようなことではない」

「……え? あいつ強いの?」

「クローイ様はこの国で〝最強〟と呼ばれた騎士の唯一の弟子だからな。まぁそれでなくともクローイ様は幼少期から〝天才〟と言われたほどの才覚の持ち主だ。並の騎士ではクローイ様にはまず勝てん。無論わたしもな」

「へえ……そりゃ知らなかったな」

「それより……一つ忠告しておくぞ、平民」

 と、ジェイドは急に顔に凄みをにじませ、ライラを睨んだ。

「あまり馴れ馴れしくクローイ様と接するな。クローイ様はとても寛大なお方だから貴様の無礼な態度にも目を瞑っておられるが、これが他の貴族の前であれば貴様など不敬罪で即刻処刑ものだぞ。呼び捨てなどとんでもないことだ。次にまたクローイ様のことを呼び捨てにするようなことがあれば、その時はわたしが――」

「その時はジェイドがどうするの?」

「え?」

 ジェイドが凄みを利かせていると、いつの間にかそのすぐ後ろにクローイが立っていた。

「こ、これはクローイ様!? 戻っておられたのですか!?」

 ジェイドの顔から凄みが消え去り、あたふたし始めた。

 クローイは涼しい顔で彼女の傍を通り過ぎ、ライラの横に並んだ。

「ジェイド、以前にも言ったと思うけれど、ライラはわたしの〝友達〟なのよ。ならば彼女がわたしを呼び捨てにすることなど無礼でもなんでもないわ。友人との関係というのはそういうものでしょう?」

「い、いえ、しかし……いくら友人と言っても貴族と平民では身分が違いすぎますし……」

を気にしているのは貴族だけよ。ライラ、ジェイドの言うことは気にしないでいいわよ?」

「ああ、うんまぁ、別にハナから気にしてねえけど……というか今さらクローイのことを〝様〟付けで呼ぶのもなんか違和感あるしな」

「ということよ、ジェイド。何なら、あなただってわたしのことを呼び捨てで呼んでくれても構わないのよ?」

「わたしが、ですか!? と、とんでもない!? 怖れ多すぎます!!」

 ジェイドは飛び上がり、ブンブン!! と頭が取れるくらいの勢いで首を横に振った。

 それを見たライラは、

(……あれ? もしかして、クローイを呼び捨てにするのってオレが思ってる以上にとんでもないことなのか?)

 と、ちょっとそんなことを思ったりした。

 無論、少しばかりそう思ったというだけで、改善する気はまったくなかった。

 誰かを様付けで呼ぶなんて、自分のガラじゃない。

 それに――クローイのことをそういうふうに呼ぶのは、何か違うような気がするのだ。

 何がどう違うのか、ライラにもはっきりとは分からなかったが……それは、何か違う。ただそう思った。

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