第13話 魔法と心の匣

「はぁ……はぁ……」

 ライラは少し息が切れていた。

 この空間に入ってから、ライラは先頭ではなく真ん中を歩いていた。前後に魔法で光源を灯している2人がいて、彼女はそれに挟まれるようにして歩いていた。

(こいつら、疲れるとかそういうことないのか……? 今日だけでどんだけ歩いてんだ)

 ライラは体力に自信がある方だったが、さすがに疲れていた。

 他の2人はまったくけろりとしているので、なるべく平気そうに振る舞っていたが、それもそろそろ限界だった。

「ジェイド、今日はこのあたりで野営しましょう」

 すると、急にライラの後ろを歩いていたクローイがそう言い出した。

 え? とライラが振り返ると、クローイは何も言わず少し微笑んでから、ジェイドと話し始める。

「ここで、ですか?」

「ええ。かなり奥に入ってきたから、出口まで戻るのも時間がかかりそうだし。それに、恐らく外はもう夜よ。体力温存のために、このあたりで休んでおいた方がいいわ」

「……そうですね。残響から察するに、まだまだ奥はありそうですしね。いざという時のために、体力と魔力は万全にしておいたほうがいいかもしれませんね。では、クローイ様はここで先に休んでおいてください。周囲に危険がないか確認して参ります」

「分かったわ、お願いね」

「平民、貴様にも休憩を許可する。しばしここで〝待て〟だ」

「なんで言い方が犬相手みたいなんだよ……?」

「似たようなものだろう」

 ふん、とジェイドは憎らしい笑みを残して、1人で奥に進んでいった。

 ライラはその後ろ姿をすがめ見ていた。

「……やっぱ気にくわねえな、あいつ。クローイもなんであんなやつ部下にしてるんだ?」

「ジェイドはとても優秀な部下よ。態度で誤解されやすいところは確かにあるけれど……でも本当はとても根が真っ直ぐで、正直な性格なのよ」

「どこが?」

 ライラは本気で首を傾げた。

「それより、先に休憩しておきましょう」

 と言って、クローイは壁を背にして地面に座った。

 ライラもそれを見て、同じようにした。クローイとの間には1人分ほど空けて座ったが、なぜかクローイの方がすぐに詰めてきた。

「……なんで寄ってくるんだよ?」

「え? だってわたしたちお友達なのに、間が空いてる方が不自然でしょ?」

「いや、別に友達じゃ……」

「ライラ、喉渇かない?」

「こいつ全然人の話聞かねえな……まぁ渇いてるけどさ。でも、こんなところで野宿するなんて思ってなかったからな……飲みもんも食いもんも、なんもねーぞ」

「大丈夫よ。ちょっと待ってね。パパッと用意するから」

「用意?」

「〝ヴァスクルム〟、〝簡易食ヴィアティクム〟」

 そう言うと、クローイは本当にパパッと魔法でコップを作り、その中を水で満たし、今度は皿を用意したかと思うとその上に見た目が四角いパンのようなものを発生させた。

「はい、どうぞ」

「ええ……?」

 ライラは驚くよりも引いていた。何でもありすぎるだろ、と。

「この水とかパンとか、食ったり飲んだりして大丈夫なのか……? そもそも本物? なのか?」

「本物かと言われるとそうではないけれど、食べても大丈夫よ。わたしの魔力で出来たものだから、わたしの魔力と一緒にあなたの身体に吸収されるだけよ」

「それ本当に食って大丈夫か????」

「大丈夫だって、ほら」

「……」

 ライラはしばしそれらをじっと眺めていたが、実際に喉は渇いているし腹も減っていたので、とりあえず食べてみることにした。

 パンのようなものは思っていたより硬く、ぼりぼりとした食感だった。口の中がぼそぼそになったので、すぐに水を飲んだ。

「……うん。うまくもなけりゃ、まずくもねえな」

「まぁ魔法で生み出した疑似携行食だからね。何も食べるものがない時に、空腹を満たすために作る気休めのものだから」

「つーかさ、魔法使う時っていつもなんかブツブツ言ってるけど、それって必要なのか?」

「呪文のこと? まぁ必ずしも必要ではないのだけれど、あった方がイメージの固定化がしやすいから、ほとんどの貴族は呪文を口にするわね」

「……イメージのこていか?」

「魔法は自身の主観上で魔力と四元素をそれぞれ干渉させて生み出すものだから、魔法によってどの程度の魔力を使用するか、どの四元素に作用させるか、それぞれの四元素の配合比率はどうするか、ということを全て感覚だけでやらないといけないの。その覚えた感覚を特定の単語と一致させて記憶しておくと、そのうち無意識に呪文を唱えるだけで自身に身についたそれぞれの魔法の感覚が呼び覚まされるようになる――ということかしらね」

「なるほど……全然分かんねえわ」

「ようは身についた魔法を暗記しておくのに便利ってことよ。実際、わたしだって単一元素しか使わない初級魔法なら呪文は使わないわ。主観上の手順がそれほど複雑ではないからね。でも、複雑な手順が必要な魔法ほど呪文はあった方が使いやすいの」

「……」

 ライラはじっと自分の右手を眺めた。

 その様子を見ていたクローイが、おもむろにこう言った。

「一度やってみる?」

「え?」

「多分、ライラ自身は気付いていないと思うけれど……あなたは、本当にかなり高水準で魔力制御が出来ているのよ。最初に会った時、あなたは〝魔力〟で相手の拳銃をたたき落としたでしょう? 魔力による身体強化、及び物体操作――四元素に魔力を干渉させずに使うことを、わたしたちは基礎魔法と呼んでいる。貴族の子供はまず、これを覚えるところから始めるの。それが出来てようやく基本的な魔力制御が出来たと言えるレベルになる。あなたはすでにこの段階を習得している。だから、四元素と魔力を干渉させて現象を発生させる応用魔法も、使おうと思えばすぐに使えるはずなのよ」

「……そう言われてもな。オレは自分の〝力〟が魔力なのかどうかも、よく分かんねーで使ってたわけだしな」

「逆に言えば、それを知らないで制御できているというのは、あなたが〝天才〟ということなのよ」

「……天才?」

「そうよ。貴族の子供だって、誰かから教えてもらわないとその技能は身につかないのだから。鳥のように、最初から飛び方を知っているなんてことはないの。それはあなたの〝才能〟なのよ」

「……それってさ、本当に才能なのかな?」

「ん? どういうこと?」

 ライラは少し迷ってから口を開いた。

「……オレさ、昔から〝影〟が見えるんだよ。顔のない、誰かも分からない気味の悪い〝影〟が。それで、そいつがいつも言うんだ。〝敵〟を殺せ――って。〝力〟を使うと、そいつは必ずオレの近くに出てきやがる。そんでいつも同じことを言うんだ。馬鹿の一つ覚えみたいにさ。クローイはオレに才能があるとか言ってるけど…… オレにはそれが分かんねえんだよ。それってもしかして、オレの中にいる〝影〟がやってることなんじゃねえのか?」

「……」

「多分だけど、あの〝影〟に身体を乗っ取られた時、オレは本当に魔人になっちまうんだと思う。昨日はけど……次にいつまたそうなるか分からねえし、今度は戻ってこれるかどうかも分かんねえ。だからオレは、もう〝力〟を使いたくねえんだ。怖いんだよ……」

 怖い。

 ライラはその感情を、初めて他人に吐き出した。

 そう、彼女はずっと怖かった。怖れていたのだ。でも、独りきりになってしまった彼女は、誰かにその感情を吐き出すことができなかった。

 周りには〝敵〟しかいなかった。

 自分自身でさえ味方ではない。むしろ、自分自身の中にこそ最も恐ろしい〝敵〟がいて、そいつは虎視眈々と自分のことを狙っているのだから、心が安まる時など一瞬たりともなかった。

 気が付けば、ライラは野生の獣のように生きるしかなくなっていた。周りをとにかく威嚇し、吠え、噛み付くしかなかった。

 ありのまま全てを受け入れて愛してくれたのは、彼女が覚えている限りでは母親だけだった。叔父と叔母はライラがヴィルマルスであることを知ると豹変したが……母親だけはそれを知ってもなお、ライラのことを愛してくれた。

 何度、母親の胸の中へ戻りたいと願ったか分からない。でも、そこにはもう、永遠に戻れない。この世のどこにも存在しないのだ。

 怖い。

 怖い。

 怖い――

「大丈夫よ、ライラ」

「え?」

 脅えるライラの手を、クローイがそっと握った。

 クローイはあの真っ直ぐな眼差しをライラへと向けていた。

「あなたは、あなたが思っている以上に強いわ。わたしにはそれが分かる。〝力〟に溺れるような弱い人は、誰かを助けようなんて思ったりしない。あなたは守るために〝力〟を使える人よ。そんな人が〝力〟に負けることは、決してあり得ないわ」

「……強い? オレが? でも、オレは実際に魔人になりかかったんだぞ?」

「かもしれない。でも――。それが答えよ。弱気になってはダメよ、ライラ。恐ろしいと思うのなら、むしろそこから目を背けてはダメ。誰にでも恐怖はあるわ。でもね、〝化け物〟はいつもそこからやってくるのよ」

「……〝化け物〟?」

「そう。誰の心の中にも〝化け物〟は棲んでいる。自分でも見えない、暗く深い闇の底に。それがあなたには〝影〟に見えているのでしょう。でもね、それが見えているのは、決してあなただけではないわ。〝化け物〟は誰の心の中にもいて、そして色んな姿で眼の前に現れる……でも、だからこそ、生まれ持って魔法の力を持つ我々は、決してその〝化け物〟に負けてはならないのよ。魔法は思いを形にしてしまう――我々は思い描いたものがそのまま心というはこの中から出てきてしまう〝力〟を持っている。邪悪な心が生み出した魔法の力は破壊しか生まないわ。魔法の力は守るためにこそあるのよ。その時こそ、魔法は本当の意味で真の力を発揮する。恐れから戦うのではなく――戦う時は、自らの〝勇気〟で戦うのよ。そうすればきっと、あなたの〝力〟は、あなたの思いに答えてくれるわ」

「……勇気」

 それはとてもありふれた言葉だったが……なぜか、ライラの心にとても強く響いた。

「なんて、これは全部わたしの師匠からの受け売りなのだけれどね」

 ふっ、とクローイの表情から力が抜け、柔らかな笑みに戻る。

 真っ直ぐな瞳の奥に吸い込まれそうになっていたライラも、それで我に返った。

「ただいま戻りました、クローイ様。周囲に危険となるようなものは見つかりませんでした」

「ご苦労様、ジェイド。交代で休みを取りましょう。あなたは先に休みなさい。最初の見張りはわたしがするわ」

「いえ、クローイ様こそ先にお休みください。わたしはそれほど疲れておりませんから」

 そう言って、ジェイドは地面に座り込み、照明に使っていた火の玉を地面に下ろした。火の具合を調整したのか、明るさが増し、まるで本当の焚き火のように周囲を暖かくし始めた。

「平民」

 じろ、とジェイドがライラを睨んだ。

 ライラは反射的に警戒の目を向けた。

「な、なんだよ」

「お前も休める時に休んでおけ。体力の低下が貴様の魔人化に悪影響を及ぼさないとも言い切れん。気持ちが不安定なら尚更だ。せめて体調だけは万全にしておけ」

「え? あ、ああ……」

 どんなことを言われるか身構えていたら、何やら気遣うようなことを言われてしまって、ライラは肩透かしを食らってしまった。

 思わずその顔をじろじろと見てしまった。

「……何だ?」

「いや……何だって言うか……そっちこそ急にどうしたんだよ?」

「ふん、別にどうもしない。貴様が魔人になったら面倒が増えるからそう言ったまでだ」

 ジェイドはただ淡々と言った。声色からは、ジェイドの言葉の真意を汲み取ることはできなかった。

 隣のクローイを見ると、すでに膝をかかえた状態のまま目を瞑っていた。というかもう寝ていた。

(こ、こいつ……王女様のくせしてやけにたくましいな。貴族ってみんなこんな感じなのか……?)

 膝を抱えたまま寝るのはしんどそうだったので、ライラはその場で仰向けになった。

「……」

 何となく、自分自身の右腕を眺めた。

 しばらくそうしていたが、やがてライラも眠るために目を瞑った。

(にしても、呪文ねえ……そういや、あの魔人――切裂号も、魔法を使う直前に何か言ってたような気がするな。グラ……ええと、なんだっけ? たしかになんか言ってたような気がするんだが――)

 ライラはぼんやりと、まどろむような眠気の中でその時のことを思い返していたが……やがて眠りに落ちていった。


 μβψ


 ――イースト・エンド

 ――とある廃屋


「フラトン、切裂号に関する情報は何か分かったか?」

「いえ、今のところは……」

「なら、クローイたちのことは?」

「……申し訳ありません。そちらに関しても、今のところ情報は入っておりません」

「ふむ……そうか」

 積み上がったガラクタの上にどっしりと座るアーヴァインは、顎に手をやり思案顔になった。

(……部下の報告によれば、貴族街ハイツの方にクローイたちが戻った様子もないようだし、間違いなくまだここにいるはずだ。むしろ向こうに戻ってくれていれば捕まえるのは容易かったんだが……まさかそれも気取られたか? いや、さすがにそれは考えすぎか――)

 もしクローイたちがすぐにでも貴族街ハイツに戻っていれば、恐らく今ごろはアーヴァインの配下によって秘密裏に拘束されていただろう。

 アーヴァインの前で片膝を突いているフラトンに、ダニエルが詰め寄った。

「おい貴様、捜索を開始してからどれだけ時間が経過していると思っている。憲兵には無能しかいないのか?」

「まことに申し訳ございません。ですが、イースト・エンドは複雑な迷路のような場所でして、公的な地図がまったく役に立たず、そのため捜査も難航しております。住民も憲兵に対しては非協力的な者が多いものでして……」

 フラトンは冷や汗を流しながら、何とか答える。

 相手は貴族だ。答え方一つで、フラトンなどすぐに殺されてしまう。彼はまったく、生きた心地がしていなかった。

「非協力的な態度を取った相手は見せしめに殺しても良い。そうすれば少しは言うことを聞くようになるだろう」

「……は?」

 ダニエルの言葉に、フラトンは思わず顔を上げてしまった。

「こ、殺す? ダニエル様、さすがにそれは……我々憲兵には、そのような権限などありません。住民を意味も無く殺すなど……」

「おれが許可すると言っているのだ。構わん、殺せ。情報を手に入れる方が最優先だ」

 ダニエルはどこまでも冷たく、淡々と言い放った。

「……」

 フラトンはそれ以上、何も言えなかった。言葉が出てこなかった。

 なぜなら、ダニエルは本当にそれが当然だという顔をしているのだ。

「とにかく、すぐに何か情報を持ってこい。我々には時間がないのだ」

「――はっ」

 フラトンは二人の前を辞し、拠点となっている廃屋の外へと出た。

 もうすっかり夜だ。まともな光源もないイースト・エンドは驚くほど暗く、おまけに今日は霧も少しばかり濃い。この状態では捜索など進展するはずもなかった。

 このままだと本当に殺されるかもしれない――と、フラトンが厳しい顔で唸っていると、部下の憲兵が駆け寄ってきた。

「フラトン隊長! クローイ殿下と思われる人物の情報が入ってきました!」

「なに!? 本当か!?」

 フラトンはバッと顔を上げた。

 部下は憲兵式の敬礼をしてから報告を始めた。

「はっ、我々の班が得た情報によりますと、クローイ殿下と思わしき人物は三人で行動しており、どうやら切裂号を捜索している様子、とのことです。クローイ殿下の人相に似た人物に話しかけられた、という住民もいました」

「そうか……よく情報を持ってきてくれた。冗談抜きで殺されるかもしれないところだった」

「はは、そんな大袈裟な」

 部下は冗談かと思って笑ったが、フラトンは大真面目だった。

「ところで、その情報はどこから?」

「昨日、ダニエル様が捕まえたヴィルマルスをクローイ殿下が連れて行ってしまったでしょう? その人物の目撃情報から、クローイ殿下の情報に繋がりました」

「……あのヴィルマルスの?」

「はい。どうもここいらでは有名な不良だったようで〝喧嘩屋〟とか呼ばれているそうです。喧嘩屋のと言えば、ここいらのギャングですら逃げ出すらしいですよ」

「……フリス?」

「それと、クローイ殿下は昨日とは着ている服が違うようです。それで情報が中々入ってこなかったのでしょう。それともう一人の人物については何も分からず――」

「ちょ、ちょっと待て。あのヴィルマルスの少女はフリスというのか? ライラ・フリスと?」

「え? ああ、はい。そのようですが……それがどうかしましたか?」

「……」

 フラトンは思わず黙り込んでしまった。

(……ライラだけなら、偶然名前が同じだっただけと言えるが……フルネームが一致するなど、そんな偶然あるか? まさか……あの子は本当にロジャーの娘のライラなのか? だとすれば、なぜイースト・エンドに……? あいつの弟に引き取られたはずではなかったのか? なのになぜ、このような貧民街スラムに――)

 そこまで考えてから、フラトンはハッとした。

「……そうか、――か」

「隊長? どうかしました?」

「い、いや、何でもない……報告ご苦労だった。このことはわたしからアーヴァイン様たちにご報告しておく」

「はっ」

 部下は敬礼して、再び捜索に戻っていった。

「……」

 フラトンはしばしじっと黙っていたが……やがて踵を返し、もう一度廃屋の中へ戻っていった。

 

 

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