第三章 夢

第12話 変化

 ――怖い。

 ――怖い。

 ――誰か、助けて。


 あの日、まだ幼かったクローイはそこから一歩も動けなかった。

 彼女はまだ五歳になったばかりだったが、すでに周囲からは〝天才〟と呼ばれていた。

 魔法の習熟は誰よりも早く、すでに剣術の腕前も現役の騎士に匹敵するほどだった。

 誰もが彼女を褒め称えた。

 だから、彼女はをしていた。

 自分には〝力〟があるのだ、と。

 ……けれど、あの日、そんな自信は全て打ち砕かれた。

 王国の歴史上初めて、この王都クリューソスに魔人が出現した。

 今では〝紅鐵号こうてつごう〟と呼ばれている魔人だ。近年稀に見るほど最悪の被害を出した魔人である。

 幼かったクローイは〝英雄〟に憧れていた。

 貴族社会には色んな軍物語いくさものがたりが存在するが、いつかは自分もそういった物語の主人公になるのだと、貴族の子供なら誰もが夢見るようなことを、あの頃のクローイも本気で夢想していた。

 だから、魔人が出現したと聞いた時、クローイは自分が〝英雄〟になるチャンスだと思ったのだ。

 自分なら倒せる。それくらいの〝力〟はある。子供だったクローイは本気でそう考え、戦場と化した民下街デプスに自ら飛び出していってしまった。

 ……そして、全てが打ち砕かれた。

 魔人は本当に恐ろしい存在だった。

 勝てるわけがないと思った。

 それはそうだ。たった一体の魔人を倒すのに、一個騎士団が総掛かりでようやく倒すことが出来るレベルなのだ。そもそもからして、いくら魔法が使えるとはいえ、たった1人の子供にどうにかできるような相手ではなかったのである。

 死ぬ。

 殺される。

 本気でそう思った時、彼女を助けてくれたのは平民の憲兵だった。

『君、大丈夫か!?』

 瓦礫の中でうずくまっていたクローイを憲兵は必死に助け出し、避難させようとした。

 彼が持っていたのは小銃ライフルだけだった。

 そんなもので魔人と戦えるわけがない。なのに、あの時、多くの憲兵たちが逃げずに魔人と戦っていた。

 クローイは恐怖の中でそのことを知り、ただ困惑した。

 彼らは、この恐ろしい〝化け物〟が怖くないのか? と。

 魔人が軽く腕をふるっただけで、建物がいくつも吹き飛んだ。

 クローイもその破壊に巻き込まれたが……一命は取り留めた。

 憲兵が身を挺して守ってくれたのだ。

 一つ言っておくと、彼はクローイが王女だとは気付いていなかったし、最後まで知らなかった。血の色で貴族であることは分かっていたようだが、それを知ってもクローイを助けようとする態度は変わらなかった。きっと彼は、ただ逃げ遅れた〝女の子〟を助けようと必死だっただけだなのだろう。そこには平民や貴族という、線引きは一切なかったのだと思う。

 彼女を守って死んだ憲兵は、息を引き取る直前、クローイにこんなことを言い残した。

『――おれには、娘がいるんだ。君と同じくらいの……でも、かなり引っ込み思案というか……臆病なやつでな。だからいつか、君があいつの――の〝友達〟になってやってくれ』

 と。

 ……憲兵の名はロジャー・フリス。

 あの事件で死んでいった。数多くの名も無き憲兵の1人。

 彼は〝英雄〟でもなんでもなかった。ただ犠牲者名簿の一つに名前が記載されているに過ぎない。

 彼には王女を救ったという栄誉が与えられることもなかった。クローイがおこなった稚拙な行為は恥ずべき愚挙であり、激怒した父が公にしなかったためだ。その時、父は一年前に王位を継いだばかりだったこともあり、とにかく自身の醜聞に繋がるようなことを極力避けたがったのだ。そのため、クローイが事件に巻き込まれたことは徹底的に秘匿された。

 最終的に、紅鐵号と呼ばれた魔人は第2中央騎士団が討伐した。

 ただ――騎士団の出動が遅かったせいで、その間におよそ1万人の死傷者を出した。

 騎士団が到着するまでの間、憲兵たちは小銃ライフルや拳銃だけで魔人――紅鐵号と戦い、懸命に市民を避難させていた。

 憲兵隊の武器庫には、20年前の栄光戦争で〝国民軍〟が使用していた重火器の類いが即使用可能な状態で保管されていたが、憲兵側がこれらの使用許可を再三にわたり求めたにも関わらず、貴族側は〝禁忌兵器〟としている重火器の使用を一切認めなかった。

 ……あの日から、クローイは〝英雄〟に憧れることをやめた。

 己の血をたっとぶことをやめた。

 平民を下等な存在だと見下し、おごることをやめた。

 彼女が〝天才〟ではなく〝道楽王女〟と呼ばれ始めるのは、それから間もなくのことだ。


 μβψ


 ライラは何となく視線を感じて振り返った。

 すると、クローイがじっと自分のことを見ていた。

「……なんだよ?」

「え? う、ううん。何でもないわ」

 声をかけると、クローイは笑みを浮かべた。

 でも、それは何だか誤魔化すような笑みにも見えたので、ライラはちょっと首を傾げた。

「おい、平民。まだ我々を歩かせるつもりか。切裂号はどこにいるんだ」

 ジェイドがとても横柄に話しかけてきた。

 ライラはイラッとしながら答えた。

「んなもん、オレが知るかよ。分かってりゃ苦労しねーよ」

「口答えの多いやつだな。平民なら平民らしく、それらしい振る舞いをしたらどうだ? これが他の貴族の前なら、貴様など即刻首を刎ねられているところだ」

「へいへい、そりゃお優しいこって……ありがたすぎて涙が出らーな」

 と言いながら、ライラはあくびをかました。

 その余りに不遜な態度に、ジェイドは思わずクローイに小声で話しかけていた。

「……クローイ様、こいつヴィルマルスだとかそういう以前にまるで教育がなってませんよ。我々貴族に対する敬意がまるで無さ過ぎます。平民には以前も会ったことはありますが、ここまでひどいのは初めてです」

「別に平民が貴族を敬わなければならない――なんて決まりはないわ。ただ貴族が一方的にそういう傲慢な思想を持っているだけよ。むしろ、わたしは相手が誰だろうが態度を変えない彼女みたいな人の方が、好感が持てるけれどね」

 クローイは涼しい顔で言ったが、ジェイドは少し忠告するようにこう続けた。

「……クローイ様の平民贔屓は少し度が過ぎます。そんなこと言っていると、ますます変わり者扱いされてしまいますよ。これ以上他の貴族に睨まれてしまっては、陛下の心証は悪化するばかりです。それではクローイ様のお立場も余計に危うくなってしまいます」

「だとしたら、それはそれで構わないわ。それがわたしだもの。そんなわたしだから、ジェイドだってこうしてついてきてくれているのでしょう?」

「う……それはまぁ、そうですが……」

 クローイの浮かべる笑みに、ジェイドもそれ以上は何も言えなくなった。

 そんな2人の小声のやりとりは、ライラにはしっかり聞こえていた。

 ただ、聞こえていたところでライラにとってはあまり意味のない会話だった。貴族社会のことなど何も知らないし、そもそもどうでもいいからだ。

 ただ何となく、

(……やっぱ貴族の間でも変わり者扱いされてんだな、あいつ)

 と思った程度だった。

 その後も、ライラは2人を連れてあまり人がいない区画を重点的に回った。あんな化け物がいたら騒ぎにならないはずがないので、いるならきっと人気の無いところに隠れているはずだろうと考えたからだ。

「ふむ……やはりそれらしい〝痕跡〟は無いわね。ジェイド、そっちはどう?」

「いえ、こちらにもありません」

 クローイとジェイドは、場所を移動する度に、やっぱり地面や壁をぺたぺた触って、じっと目を凝らしたりという作業を繰り返した。

「なぁ、それってなにしてんの? それでなんか分かんのか?」

「これは魔力の〝痕跡〟を探してるのよ」

「……魔力の痕跡?」

「そう。魔法を使えば、周囲に必ずそれらしい痕跡が残るのよ。魔力の痕跡は、魔力を扱えるものにしか分からないから」

「ふうん? それって眼で見えるわけ?」

「いいえ、基本的に眼で見ることはできないわね。だから自分の魔力を使って、他人の魔力を感知するのよ。魔力は自分の感覚の延長線上にあるものだから、自分以外の魔力に触れたらはっきりと分かるの」

「そんなの分かるなら、そもそも切裂号がどこにいるのか分かんねーの?」

「お互いの魔力を感じ取れる範囲なんて、それほど広くないからそれは無理ね。目の前にいる相手の力量を魔力で察することは可能だけど、広範囲の索敵をするとか、そういうことは〝固有魔法〟を持っている者でなければできないわね。そういう使い手もあまり聞いたことはないし」

「こゆーまほー? なにそれ?」

「その人物にしか使用できない、他者にはまったく再現不可能な特殊な魔法のことよ」

「へえ、なんかカッコイイな……クローイも使えんの?」

「わたしは使えないわね。ジェイドにはあるけど」

「マジで? どんなの?」

「……ごめんなさい、固有魔法ってあんまり他人には教えちゃダメなのよ。ほとんどの貴族は自身の固有魔法のことは隠していることが多いわ。いざという時の切り札になるから。わたし個人のだったら教えて上げられるけど、ジェイドのは教えられないわね。本人に聞いてみて」

「いや、あいつぜってー聞いても教えてくれねーじゃん」

「仲良くなったら教えてくれるかもしれないわよ?」

「どうやってあいつと仲良くなるんだよ……」

 それは絶対に不可能だと、ライラは確信を持ってそう思った。

 その後もあちこち捜査して回ったが、それでもやっぱりそれらしい影すら見当たらないので、ライラは嫌々ながらとある決断をした。

「……これだけ見て回っても何もねえなら、もう〝最下層〟に行くしかねえかもな」

「最下層? そこはどういうところなの?」

「イースト・エンドの住人ですら近寄らない気味の悪い場所だ」

「まだここより気味の悪い場所があるのか……」

「ははは、安心しろよジェイド。最下層は今まで見てきたイースト・エンドがリゾートビーチに見えるくらいもっと薄気味悪いぞ?」

「どんな場所だ。というか呼び捨てにするなと何度言えば――」

「そんじゃ行くか」(ガン無視)

「――」(ブチッ)←血管の切れる音

「ほらジェイド、そんなに眉間にシワを寄せちゃだめよ」

「……クローイ様。せめて一発でいいのであいつを殴らせてください。それで我慢しますから。お願いです、一発だけ、一発だけでいいですから」

「だめよ。仲良くしてね」

「くっ……」

 ジェイドは歯噛みして、ライラの後頭部を思いきり睨んでいた。

 2人が仲良くなる日は遠そうだ……と、クローイはひっそり溜め息をついた。

 

 μβψ


 ライラは2人を連れて〝最下層〟までやって来た。

「……イースト・エンドの地下にこんな空間があったのか」

 ジェイドの声が空間内に響く。

 そこはかなりの広さがある地下通路だった。

 下水道、というわけではない。ただ本当に真っ暗で巨大な通路がどこまでも続いているだけの場所だった。光源がまったくないので、通路がどこまで続いているのかさえよく分からない。

「ここはいったい何なのだ?」

「さぁ、よく知んねーけど……ほら、〝地下鉄〟ってあるだろ。地下を鉄道が走ってるヤツ。あれって元々民下街デプスの地下をアリんこの巣みたいにあちこち伸ばす予定だったらしいけど、イースト・エンドの地下だけはのせいで掘れなかったんだとさ。まぁそのせいでここだけサイカイハツ? されなかったとかなんとかって話だ」

 かん、とライラは空間の壁を叩いた。硬いくせに妙に響く音だった。石壁を叩いた音とはまったく違う音だ。

「……この素材は何だ? 鉄……ではないな。〝魔法物質〟でもないようだし……クローイ様は何か分かりますか?」

「……」

「クローイ様?」

「……ここ、もしかして古代遺跡の一部なんじゃないかしら?」

 じっと壁に手を当てていたクローイが、おもむろにそんなことを言い出した。

 ジェイドは「ああ、なるほど」という反応をしたが、ライラは何のことかさっぱり分からなかった。

「こだいいせき……? なんだ、そりゃ?」

「ライラは知らない? いまのわたしたちの文明が栄える前に存在したっていう、古代マシャナ文明のこと」

「ぜんぜん知らん」

「じゃあ〝天蓋崩落てんがいほうらく〟のことは?」

「あー、それなら何か聞いたことあるかも……おとぎ話のやつだろ? 空が落っこちてきてー、世界が滅んでー、みたいな」

「そう、それのことよ。まぁお伽話というより、神話というべきかしらね。いまよりはるかずっと昔……この地上世界には古代マシャナ文明と呼ばれる高度な文明が栄えていた。それがいったいどんな文明だったのか、今となっては何も分からない。でも、遺跡だけは各地に残っている……この空間も、たぶん現代の人間が造ったものではなくて、古代マシャナ文明に造られた遺跡の一部なんだと思うわ」

「なんでそんなこと分かるんだ?」

「古代マシャナ文明の遺跡は基本的に〝何だかよく分からないもの〟で出来ているからよ。この壁も何で出来てるのかよく分からないでしょう?」

「まぁ確かに……かてぇけど鉄ってわけでもなさそうだしな。つーか、そのなんとか文明とが何の関係があるんだよ?」

「古代マシャナ文明はその〝天蓋崩落〟という大災害で滅びたとされているのだ。どういう災害だったのかは文献がほとんど残っていないから詳細は不明だがな」

「古代マシャナ文明についてはほとんど文献というものが残ってないのよね。一部の考古学者によれば、いまの我々が全く知らない手段で情報を残していたんじゃないか、とも言われているけれど……それにしても、イースト・エンドの地下にこんなところがあったのね」

「ここならいかにも〝化け物〟が隠れてそうじゃねえか? イースト・エンドの連中は寝られる場所がありゃどこだろうが勝手に住み着くけどよ、ここだけは誰も住み着かねーんだよな。なんか気味悪いし、とにかく真っ暗だし」

「……確かにな。光源がなければ奥に入っていくのはまず無理だな」

 と言いつつ、ジェイドは指を鳴らした。

 すると、ぼわりと空中に火の玉が現れた。同じようにクローイも火の玉を作って周囲を照らした。ライラはもういちいち驚いたりしなかった。

「へえ、魔法って便利だな。そんなこともできんのか」

「攻撃用ではなく、こうして照明に使うくらいならほとんど単一の火元素を操作するだけの初級魔法だからな。貴族なら子供でもできる」

「……そうだわ。ねえ、ライラ。あなたも同じようにやってみてくれない?」

 急にクローイがそんなことを言い出した。

 ライラはちょっと戸惑った。

「は? オレが?」

「ええ。だってあなたは〝魔剣グラディック〟が生成できたんだもの。四つの元素操作が必要な最上級魔法が出来たのだったら、初級魔法なんてすぐに出来るわよ」

「いや、あれは無意識だったつーか、どうやったのか自分でもあんまし覚えてねえんだけど……」

「クローイ様、さすがに無茶ですよ。あれはただのまぐれです。まぁ確かにこいつがある程度は魔力制御出来ていることは認めますが……とはいえ、所詮はヴィルマルス。意識的に魔法を使うのは不可能です」

「そんなのやってみなければ分からないわ。じゃあ、ライラ。わたしが言うとおりに一度やってみてくれる? コツさえ分かれば、あなたならきっとすぐに出来るわ」

「……」

 ほんの一瞬、ライラはやってみようかとも考えたが――すぐにが頭をちらついた。

 〝影〟のことだ。

 ライラが〝力〟を使う時、あれは必ずどこからか現れる。

 そして言うのだ。


 ――〝敵〟を、殺せ!


 と。

 あれが何なのか、ライラには分からない。でも、きっとあれこそが、自分が〝ヴィルマルス〟であることの証明なのだと、彼女は無意識に理解していた。

 さっきだってそうだった。

 最近は〝力〟を使うと意識が少しぼんやりすることが多かったが、さっきは本当にまったく記憶が途切れているのだ。まるで、に身体を乗っ取られていたみたいに。

 自分で自分の考えたことに寒気がしたライラは、すぐに頭を振った。思わず自分の両手の平をじっと見下ろした。

「どうしたの、ライラ?」

「ああ、いや……」

「……おや? クローイ様、少しよろしいですか?」

 ジェイドがふいに声を上げた。

 クローイが振り返る。

「どうかした?」

「いえ、それが……ここ、魔力の痕跡があります」

「え? どこに?」

「このあたりです」

 ジェイドが壁や床を指し示す。

 クローイはしゃがみ込んで床に手を当て、しばしじっとしていたが、やがて頷いた。

「……確かに、痕跡があるわね。途切れ途切れだけど……この奥に向かって続いているわ」

 3人は同時に空間の奥に目を向けた。

 彼女たちの目の前には、深く暗い闇がどこまでも続いていた。

 

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