第9話 協力?
クローイは溜め息を吐いてから、改めてライラに訊ねた。
「ライラ、あなたはさっき切裂号を見たって言ったわよね?」
「あん? それがどうかしたかよ?」
「あなたが具体的に何を見たのか教えて欲しいの。お願い」
「んなもん、何でオレが――」
と、言いかけてからライラは思わず言葉に詰まった。
というのも、クローイがとても真面目な顔でじっと自分を見つめていたからだ。
……その眼で見られると、ライラはなぜだか非常に居心地が悪かった。いつもなら相手に噛み付くような言葉がいくらでも出てくるというのに、その眼でじっと見られてしまうと、何も出てこなくなってしまうのだ。
結局、ライラは観念したように答えた。
「……さっきのあれが切裂号だったのかどうか、オレには分かんねえけど……でも魔人だったのは間違いねえと思う。見た目が普通じゃなかったからな」
「どう普通じゃなかったの? 人の形をしていなかったとか?」
「人の形はしてたけど、顔とか手とかもう明らかにおかしかったんだよ。なんか、鉄みたいな感じになってて……うまく言えねえけど」
「皮膚が……なるほど。恐らくそれは〝硬質化〟によるものね」
「こーしつか? なに、それ?」
「魔人化した際に現れる特徴の一つよ。恐らく今はまだ不完全な状態なんだと思うわ。完全に魔人化したら、全身が完全に硬質化されてまるで鎧のようになるから」
「ふうん?」
「他に何か特徴はなかった? 何でもいいわ。とにかく思いつく限り全部話してみて」
「うーん、そうだなぁ……」
ライラはとにかく思いついたことを片っ端から、順番に答えていった。彼女の説明はあまり論理的ではなく、同じ事を二度言うこともあったが、クローイは何も言わず聞くことに徹していた。
あらかた言い終えてから、ふとライラは最後にあることを思い出した。
「あ、そうだ。あともう一つ、気になることがあったな」
「何かしら?」
「まぁ暗かったからはっきりとは見えなかったけど、化け物の血が青かったように見えたんだよな」
「……何ですって?」
「ほら、青い血っつたら貴族だろ? 貴族も魔人になったりすんのか?」
ライラがそう言うと、ずっと黙っていたジェイドが小馬鹿にしたように笑った。
「はっ、やっぱり馬鹿だな、貴様は。
「貴族の常識とか知らん」
「ふん、まぁそんなの見間違いに決まってる。そうですよね、クローイ様?」
「そうね……確かに、貴族が魔人化したっていう前例は過去に一つもないわ。それにそもそも、貴族は魔人にはなれない理由があるのよ」
「理由?」
「貴族の場合、魔力が暴走すると身体に〝結晶化〟という現象が起きるの。暴走の度合いにもよるけれど、最悪の場合は全身が完全に結晶化して死ぬことになるわ。まぁ暴走すること自体、とても稀なことなのだけれど……ようするにね、わたしたちは仮に魔力が暴走したとしても、魔人にはならず単に自滅するだけなのよ」
「へえ、そうなのか。そりゃ初耳だな」
「まぁそういうことだな。だから貴様のそれはただの見間違いだ。魔人はヴィルマルスからしか生まれない。貴様のようなヴィルマルスからしか――な」
「あーそうかい。ほんじゃ、てめぇはやっぱオレが切裂号だって言いたいんだな?」
「当たり前だ。クローイ様もわたしも、その魔人とやらの姿を見ていないんだからな。貴様が目撃したと言い張っているだけだ。誰が平民の、それもヴィルマルスの言い分なんて信用すると思うのだ、貴様は?」
「……」
それはまったくジェイドの言う通りだった。
ヴィルマルスの言うことなんて誰も信用しないだろう。それは事実だ。そもそも人間かどうかも怪しいやつの証言など、いったい誰が聞き入れるのかという話だ。
……だから、クローイに言われた言葉が、最初はうまく理解できなかった。
「ねえライラ、良かったらもう少しわたしたちに協力してくれないかしら?」
「……え?」
ライラが顔を上げると、クローイが真っ直ぐに自分を見ていた。
また、あの眼だ。どこまでも人のことを真っ直ぐに見る眼。ライラにとってはとても居心地の悪い視線。まるで心の内側まで、見通そうとしているかのような、透き通った綺麗な眼。
……だというのに、その目の奥に、なぜか引き寄せられそうになってしまう。居心地が悪いはずの視線が、どうしてもライラの気持ちを強く惹きつけた。
「……協力? 協力ってのはどういう意味だ?」
「そのままの意味よ。現状、ダニエルたち以外で切裂号の姿を目撃しているのはあなたしかいない。それに恐らく、切裂号は今もまだこのイースト・エンドに潜伏しているはず……なら、わたしたちだけで捜索は難しい。やはり、捜査を続けるにはこの辺りの地理に詳しい人間がどうしても必要になるわ」
「クローイ様!? 正気ですか!? こいつはヴィルマルスなんですよ!?」
「ジェイド、言葉を慎みなさい。ライラに失礼よ」
「し、しかし……」
ジェイドは更に口を開こうとしたが、クローイの厳しい視線に気圧されてか、何事かもごもご言いながら口を閉じた。
クローイは改めて、ライラに向き直る。その顔は真面目で、とても冗談を言っているようには見えなかった。
「どう? これはあなたにとっても悪い話ではないはずよ。今のままなら、あなたは周囲から切裂号の容疑者だと疑われたままになってしまうわ。ダニエルたちには、それだけの権力がある。それを晴らすという意味でも、わたしたちの任務に協力してくれないかしら? あなたが見た本物の切裂号さえ捕まえてしまえば、事件は解決する。わたしたちは手柄を上げられるし、あなたの疑いも晴れる。お互いにメリットしかないと思わない?」
「……」
ライラは相手の眼を見ながら、じっと考えた。
……人間は怖い。
顔では笑っていても、心の中では何を考えているのか分からない。
自分がヴィルマルスだと分かった途端、叔父と叔母は自分を殺そうとした。それまで見たこともないような、恐ろしい形相で自分のことを追い回した。
その時のことが、どうしてもライラの脳裏をちらついた。
あれ以来、ライラは独りで生きてきた。誰の手も借りず、たった独りでこの掃き溜めのような場所で生きてきた。
……けれど、ライラだって本当は好きで独りでいたわけじゃない。
幸せそうな親子連れや、楽しそうに友達同士で歩いている人たちを街中で見かける度に、とても空虚な気持ちを味わっていた。
どうして、自分は独りきりなんだろう――と。
なぜ、自分はヴィルマルスなのか。
なぜ、自分は誰にも愛してもらえないのか。
なぜ、なぜ、なぜ――
そんな年齢相応の気持ちを、彼女はずっと押し殺して生きてきた。
しばし悩んでから――ライラは乱暴に後ろ頭を掻いた。
「……わーった。協力してやるよ」
「本当?」
クローイの顔がぱっと輝く。
だが、ライラはすかさずこう付け加えた。
「ただし条件がある」
「条件?」
「無事に事件が終わったら、オレのこと見逃せ。それが約束できるんなら協力してやる。都合良く使われて、用無しになったらやっぱり処分――なんて冗談じゃねえからな」
「んな!? そんなことできるわけないだろう!? ヴィルマルスを野放しになんて出来るか!? ですよね、クローイ様!?」
「……そうね。確かにそれは難しいわね」
「あーそうかい。んじゃ、この話はなかったことに――」
「だって、そんなのもったいなさ過ぎるわ」
「……あ?」
「ライラ、あなたは〝逸材〟なのよ」
「は? なに? い、いつざい?」
クローイはきらきらと輝いた目でずっと迫り、しっかりとライラの手を握った。
「そうよ! だって、これまでヴィルマルスは魔力制御が不可能だって言われていたのに、あなたはそれが出来ているのよ? それも、一般的な貴族と比べても遜色ないくらい、とても高い水準で。訓練もなしにこれだけ出来るのは奇跡的よ。あなたは自分自身で、ヴィルマルスでも魔力制御が出来るようになるってことを身をもって証明しているのよ! あなたの存在を他の貴族たちが知ったら、きっと度肝を抜かれるに違いないわ! だからあなたをここで見逃すことなんてできない。この事件が終わったら、あなたのことはわたしが全責任を持って預かります」
と、クローイは何やら興奮した様子でまくし立てた。ライラはなんのこっちゃだったが、ジェイドは慌てた様子を見せた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいクローイ様。まさかこいつを保護するつもりですか!?」
「もちろんよ。任務に協力してもらうのだから、それくらいはして当然でしょう?」
「いや、いやいやいやいや……犬や猫を拾うのとは訳が違うんですよ!? ヴィルマルスですよ!? 他の貴族たちから猛反発を食らうに決まってるじゃないですか!? それに今は制御が出来ているからって、それがずっと続く保証だって……」
「なら、そうならないようにわたしが改めて彼女を訓練すればいいだけの話よ。まぁここまで基礎が出来ているのだから、わたしはまったく何の心配もしていないけれどね」
「い、いや、でも……」
「ということで」
まだジェイドは何か言おうとしていたが、クローイは強引に話を打ち切って、ライラに向き直った。
「安心して、ライラ。あなたのことは、わたしが全力をもって保護するとここで約束します。このクローイ・プリムス・パノティアの名において」
「……」
ライラは話についていけず、ぽかん、としていたが、ようやく頭が話に追いついた。
「いや、ちょっと待て!? 保護ってなんだ!? オレは別に保護とか求めてねえから! なに人のこと拾った犬みたいに言ってんだ!? オレは見逃せって言ってんだよ!?」
「だから、それはダメよ。だいたいそんなことしたら、あなたはまたここで生活することになるんでしょう? そんなことわたしが許可しません。保護します」
「貴族に保護されるなんざ冗談じゃねえ! やっぱ協力は無しだ、無し!」
「あら、でもあなたはもう他の貴族にもその存在が知られているのよ? だったら、わたしの庇護下にいないとあなたは処刑されることになるわ。それでもいいの?」
「うぐ、そ、それは……」
ライラは言葉に詰まった。
さきほどのダニエルとかいう男のことを思い出したからだ。あの冷徹な眼をした男なら、確かに容赦なく自分を殺すだろう。おまけに
ジェイドがはて、とクローイの言葉に首を傾げた。
「……ん? クローイ様、他の貴族にも知られているってどういう意味ですか?」
「それについては移動しながら話すわ。ひとまず、今日のところはいったん宿に引き上げましょう。今後どうするか、情報を整理した上で方針も決めなければいけないしね」
「おい、だからオレはまだ協力するとは――」
「行きましょう、ライラ」
ごく自然に、クローイはライラに手を差し出した。
あまりに自然に手を差し出されたので、ライラは思わず、
「え? あ、ああ」
と、彼女の手を握ってしまっていた。
(あ、あれ? オレ、なんでこいつの手握ってんだ……?)
すぐに我に返ったが、その時にはもう遅い。貴族であるクローイの腕力は魔力で強化されているので、見た目以上の力でライラの手を握り返していた。
「だから力強ぇな、おい!?」
「あら、そう? そんなに力を入れているつもりはないのだけれど……」
「そりゃ貴族の感覚で、だろ。並の平民なら骨が折れてるぞ」
「ふふ、ライラったら冗談が上手ね」
「いやこれわりとマジなんだが……?」
笑顔で凄まじい腕力を見せるクローイに、ライラはこの時初めて、ちょっとした恐怖を覚えた。
「ぐぬぬぬ……なぜ野良犬ごときにあんなに優しく……わたしだってクローイ様と手を握って歩いたことなんてないというのに――」
……そして、クローイに引っ張られていくライラのことを、ジェイドは凄まじい嫉妬の形相で睨みつけていたのだった。
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