第8話 魔法

「どう、少しは落ち着いた?」

「……ああ。まぁ、たぶん」

 近くにちょうど石畳の階段があったので、ライラはそこに座らされていた。

 何だか頭が少しぼうっとする。まるで寝起きみたいな感覚だった。

(オレ、さっき何してたんだっけ……? 頭にカッと血がのぼって、ええと……ダメだ、思い出せねえ)

 つい先ほどのことを思い出そうとすると、なぜか記憶が曖昧だった。

「ちょっと眼を見せてね」

「え?」

 クローイはライラの前にしゃがみ込み、ライラの眼をじっと見つめ始めた。

「……」(じー)

「……な、何だよ?」

「……」(じーーーー)

「だから何だよ!?」

「……ひとまず、もう大丈夫そうね」

 クローイは一人で勝手に頷いてから、本当に申し訳なさそうな顔になった。

「本当にごめんなさい。あなたに危害を加えるつもりは一切なかったの。部下が少し早とちりしたみたいで……大丈夫?」

 クローイがぐいぐい顔を近づけてくるので、ライラはちょっと慌てた。クローイの顔立ちは本当に精巧な人形みたいに綺麗で、そのせいかちょっとどきりとしてしまったのだ。

「も、もういいよ別に。分かったからさ」

「さっきの傷、また血が出てるわね」

「え?」

「少しだけじっとしてて」

 クローイがライラの額に手を伸ばす。

 さっきは反射的に撥ね除けてしまったが、今度は戸惑いながらもじっと動かずにいた。

 すると、クローイの手から発せられた柔らかな光が、額の疼きをわずかに静めてくれた。

 ライラは先ほどの魔法を思い出した。クローイが自身の傷を治癒した時の魔法だ。

 まさか自分の傷を魔法で治そうとしているのかと思い、ライラは余計に戸惑ってしまった。

 ある程度疼きが収まったところで、クローイの手から光が消えた。

「ごめんなさいね。治癒の魔法って他人にやろうとしても中々難しいのよ。出来る者もいるけど……わたしは自分の傷を治すことしかできないの。多少、マシになっていたらいいのだけど……」

 と、彼女はそっとライラの額に触れた。

 ひんやりした感触が腫れた頬に心地よかった。むしろ、魔法より彼女の手の感触の方がよほど痛みが収めてくれるように感じられた。

「……」

 ……この時、ライラはただ不思議に思った。

(――こいつは、なんでこんなにオレに優しいんだ? オレはヴィルマルスなのに、どうして……)

 ヴィルマルスはいずれ必ず魔人化する。だから、この世界のどこにもヴィルマルスの居場所なんてない。

 少しだけ、ライラは生前の母親のことを思い出していた。彼女の記憶の中で、本当の意味で自分を愛してくれた唯一の存在。父親は本当にライラが小さな時にで死んでしまったので、ほとんど記憶にはない。


 ――ライラ、その〝力〟は決して誰にも見せてはダメよ。決して誰にも。お母さんと約束して。


 生前、母親はライラにそう言った。幼いライラが、手を触れずに物を動かしてみせた時だ。

 その時、母親は間違いなくライラがヴィルマルスだと気付いたはずだ。けれど、その後も母親はライラを殺そうとはしなかったし、むしろそれまで通り愛してくれていた。

 そんな優しい母親も、過労がたたって体調を崩し、流行病にかかってライラが五歳の時に呆気なく死んでしまった。

 クローイがライラに向ける視線には、かつて母親から感じたものと、とても似たような光があるように思えた。

 その光にライラは思わず吸い寄せられそうになったが、すぐにハッと我に返った。叔父と叔母だって、最初は優しかったことを思い出したのだ。

 ライラは立ち上がり、クローイと少し距離を取った。

「……? どうかした、ライラ?」

「……別に何でもねえ。それより――こいつどうすんだ?」

 と、ライラはそちらに目を向ける。

 そこには、なぜか地面に座らせられているジェイドの姿があった。まるで躾けられた犬のように地面にお座りさせられている。これはSEIZAというスタイルらしい。SEIZAで座るのは、極東の国シキシマに伝わる伝統的な反省のスタイルなのだという。

「くっ、なぜわたしがこんなことを……クローイ様、なぜわたしが反省などせねばならないのですか!?」

 なぜ自分が反省させられているのか理解していないジェイドに対し、クローイは大きな溜め息を吐いた。

「はぁ、まったく……わたしが寸前で止めたから良かったようなものの……本当に危なかったわよ? どうしていきなりライラに斬りかかったりなんてしたの?」

 じろり、とクローイがジェイドを睨む。

 ジェイドはうぐ、とわずかに眼を逸らした。

「……てっきりそいつが、クローイ様が捕縛した切裂号なのだと思いまして」

「まったく……とんだ早とちりよ。人の話を聞かずに突っ走るのはあなたの悪いところよ?」

「は、はい……申し訳ありません……」

 ジェイドはしゅん、としてしまった。さっきまでの威勢はもうどこにもない。いい歳した大人が、自分より年下の女の子に叱られているというのは、何だか妙な光景だった。

「ジェイドもこうして反省してるし、許してあげてもいいかしら?」

 と、クローイはなぜかライラに尋ねた。

 ライラは別にどうでも良かったので適当に頷いた。

「まぁいいんじゃね? の好きにすれば」

「そう? ならまぁ、ライラもこう言ってることだし、次からは気をつけて――」

「――貴様、いま何と言った?」

 一旦収まりそうな雰囲気になったところに、とてもつもなくドスの効いた声が響いた。

 もちろんジェイドだ。彼女は再び、ライラのことを物凄い形相で睨みつけていた。あまりにも恐ろしい形相なので、ライラもちょっと戸惑ってしまった。

「な、何だよ?」

「貴様、いまクローイ様のことをにしなかったか? したよな? 絶対にしたよな? この不敬者め、そこに直れッ!! わたしが直々に引導を渡して――」

「待ちなさい」

「あいたっ」

 勢いよく立ち上がったジェイドの頭を、クローイが軽くぺちりと叩いた。

「な、なぜ止めるのですかクローイ様!? この者は平民のくせに、いまクローイ様にあろうことかとんでもない不敬を働いたのですよ!? 今度こそ切り捨てても構わないでしょう!?」

 必死に訴えるジェイドだったが、クローイはやっぱり溜め息を吐いただけだった。

「そんなことでいちいち人を殺さないでくれるかしらね……それにこれは不敬でも何でもないわ。だって、。だったら呼び捨てくらい当たり前でしょう?」

「え?」

「え?」

 ライラとジェイドの声が見事に重なった。ライラは怪訝な顔で、ジェイドは呆気に取られた顔で、それぞれクローイを見ていた。

 すると、クローイは嬉しそうにライラの腕に身を寄せた。

「わたしたち、もうすっかり仲良しなのよ。ねえ、ライラ?」

「は? いや、別に仲良しじゃねえけど……?」

「な、なななな――クローイ様、そいつは平民ですよ!? しかもヴィルマルスですよ!? 何を血迷ったこと仰ってるんですか!? 友人だなんてとんでもありません!! いますぐに拾ったところに戻してきてください!!」

「いやよ。せっかく友達なんですもの」

「オレは捨て犬か……?」

「ほら、ジェイド。ちゃんと彼女に自己紹介して」

「な、なぜわたしがこんなやつに名乗らなきゃいけないんですか。平民に名乗る名などありませんよ」

「ジェイド?」(笑顔の圧)

「ひっ!? わ、分かりました。名乗りますから……わたしはジェイド・ブルースターだ。名乗ってやったのだから感謝しろ、平民」

「ごめんなさいね、ライラ。ジェイドも普段はとても礼儀正しいのだけれど……今はちょっと気が立っているのよ。気を悪くしないでね?」

 クローイは申し訳なさそうに謝りつつ、自然とライラの手を取った。

 ライラは色々と言いたいことが山のようにあったが……クローイの眼に見つめられると、何だか言葉がうまく出てこなくなってしまった。

「……いや、まぁ別に気にしてねえけど……」

 なぜか少し視線を逸らしてしまう。

「あ」

 ライラは思わず声を出した。

 自分の手に傷があって、その血がわずかにクローイの手に付いていたのだ。

「……おい、血が」

「血?」

「いや、お前の手にオレの血が……」

「あ、ごめんなさい。手にも傷があったのね。痛かった?」

「そうじゃなくて……お前らは平民のこと〝けがれた血〟とか呼ぶんだろ? そんな血に触るの嫌じゃないのかよ?」

「ああ、そんなこと?」

 ライラの言いたかったことは伝わったようだが、クローイはむしろ可笑しそうにくすりと笑みを深めた。

、別に気にしないわよ。例え血がどんな色をしていようと、わたしたちは同じ〝人間〟なのだし……それに、あなたはヴィルマルスであっても化け物なんかじゃないわ。だって、化け物はこんなに可愛くないでしょ?」

「は? か、かわ……?」

「はい、これでよしっと。これくらいならわたしでも治せるわね」

 いつの間にか、クローイはライラの手の傷を魔法で癒やしていた。額の傷は完全には治せなかったが、手の傷は小さかったのであっという間に消えてしまっていた。

「――ねえ、ライラ。ところであなた、さっきの魔法はどこでどうやって覚えたの?」

 何となく手をさすっていると、急にクローイがそんなことを訊いてきた。

 顔を上げると、彼女はとても真面目な顔でライラのことを見ていた。

 いったい何の話かと、ライラは小首を傾げる。

「……魔法?」

「そうよ。使。さっきあなたが握っていた〝剣〟が何よりの証拠」

「剣……」

 そう言われて、ライラはおぼろげにさきほどのことを思い出した。

 まるであやふやな夢の記憶を思い出すみたいではっきりとしなかったが、確かに剣のようなものを握っていた――ような気はする。でも、いまそれはどこにもない。あの剣はそもそもどこから出てきて、どこに消えていったのだろう?

「わたしたちは魔法で生み出す剣のことを〝魔剣グラディット〟って呼んでいるの。魔剣グラディットの生成なんて、わたしたち貴族でもちゃんとした訓練をしないとできないことなのよ。しかもそれだけじゃない。朝の喧嘩の時もそうだったけれど――。身体に魔力を均一に流すことで身体を強化し、かつ物体にも魔力を流すことで物質強化と感覚の一体化を同時に行っていた。いったいどこであんな魔力制御方法を覚えたの? 誰から教わったの?」

 魔力制御と言われても、ライラにはあまりピンと来なかった。そもそも彼女は魔力なんてもの知らないのだ。

「……なに言ってんだかよく分かんねえけど、んなもん誰からも教わってねえぞ、オレは」

「え?」

「確かに、オレは昔から変な〝力〟が使えたけど……使い方なんて誰にも教わってない。どれもこれも、。それに、さっきのことは……よく覚えてねえんだよ。確かに剣みたいなのを出したような気もするけど……自分でも何が起きたのかよく分かってねえんだ」

「……」

 クローイは黙ってしまった。

 かなり険しい顔だった。

「ほら、クローイ様! こいつやっぱり切裂号ですよ! 切裂号が魔人かもしれない、って噂は本当だったんですよ! 訓練も受けずに魔力の制御なんて出来るようになるわけないんですから! そんな常識外れのことがあるとしたら、こいつがすでに魔人化しているからですよ! だからこいつが切裂号です! 絶対そうです!」

 ジェイドがここぞとばかりにそう主張した。

 だが、クローイは険しい顔のまま頭を振った。

「いいえ、ジェイド。それはむしろ逆よ。ここまで魔力制御が出来ているのに、魔力を暴走させて魔人化する方がおかしいわ。ライラの魔力制御のレベルは、一般的な貴族と比べても平均以上の水準よ。魔剣グラディットが生成できるのなら、少なくとも騎士見習いレベルの魔力制御能力は持っていることになるのだから。それにジェイドから見て、彼女が完全に自我や自己を失っているように見える?」

「そ、それは……」

 と、ジェイドは言葉に詰まった様子だった。

「なあ、その〝ぐらでぃっと〟ってのを出すのってそんな難しいことなのか?」

 クローイとジェイドの二人が何をそんなに驚いているのかよく分からないライラは、まるで他人事のように訊ねた。

 ジェイドは呆れたような顔をした。

「そんなの当たり前だろう。まぁ訓練すれば出来るようにはなるが……訓練せずにやるのは無理だ。魔法というのは基本的にそういうものだ。頭の中で手順が組み立てられていなければ、そもそも魔力がちゃんと四元素に作用しない。四元素を主観上で感知するのだって最初はそれなりに難しいのだからな」

「なるほどな……全然分からんわ」

「なぜ分からない!?」

「分かるわきゃねーだろ!? こっちは平民だぞ!? 魔法のことなんか説明されても分かるわきゃねーだろが!」

「平民でも四元素くらい知ってるだろ!」

「知らねーよ!」

「なぜ知らない!? ははーん、そうか!? 貴様さては馬鹿だな!?」

「ぶっ殺す!!」

「やってみろ!!」

「二人とも、やめなさい」

 今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうだった二人を、クローイが間に入って仲裁した。それでも二人はお互いを睨みつけ合ったが、ほぼ同時に「ふん」と顔を背けた。

 はぁ……とクローイは額に手を当てて思わず溜め息を吐いていた。

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