第二章 協力

第7話 〝剣〟

「この辺りならいいかしらね」

 と、ようやくクローイはライラの手を離した。

 ライラはすぐにクローイから少し距離を取り、自分の手をさすりながら警戒したように相手を睨みつけた。

「……オレをどうするつもりだ?」

「え? どうするって?」

「ここで殺すのか? それとも牢屋にぶち込んでから処刑でもするか?」

「ちょ、ちょっと待って? どうしていきなりそんな話になるの?」

「はっ、そりゃオレが〝ヴィルマルス〟だからだよ。ヴィルマルスは見つけたら即殺す――それが常識じゃねえか。だってオレは〝化け物〟なんだからよ」

 ヴィルマルスはいずれ必ず魔人化する。

 一度でも魔人が出現すれば、その被害は甚大なものになる。それは過去の事実が全てを物語っている。ましてやクリューソスのような人口が多い都市部で魔人が現れればどうなるか――それはもう、すでに大勢の人間が知っていることだ。

「いいえ、ライラ。あなたは化け物なんかじゃないわ」

「……なに?」

「あなたは人間よ。だって、こうしてわたしと話をしているじゃない。それが何よりの証拠だわ」

 クローイはまるでライラのことを安心させるみたいに、優しげな笑みを浮かべながら言った。

 まさかこの期に及んでそんな優しげな顔を向けられるなんて思っていなかったライラは、今度こそ本当に戸惑った。

 ヴィルマルスはこの世界で忌み嫌われている存在だ。

 それがどれほど根深いものであるか――ライラはそのことを、幼少期に身を以て知った。ヴィルマルスであるというだけで、存在そのものを全て否定されるのだ。

「……あら? まぁ、大変だわ! 額から血が出てるじゃない!」

「え?」

 そう言われて、ライラはようやく額の傷に気付いた。手で触れると指先に血が付いた。真っ赤な血がべっとりと。さっき地面に叩きつけられた時に出来たのだろう。

「ああ、ホントだな……まぁでも別に大した傷じゃ――」

「ちょっとじっとしてて」

「お、おい?」

 クローイはおもむろに、自分の手をライラの額に伸ばした。

 それは相手なりにライラのことを心配しての行動だったのだろうが、急に他人から触れらそうになったライラはとっさに身体が動いてしまった。

 どこからともなく聞こえたのだ。

 かつて自分を殺そうとした、叔父たちの声が。


 ――死ねッ!! この〝化け物〟めッ!!


「さ、触るなッ!」

 反射的にクローイの手を撥ね除けてしまった。

 ばちん、という音がして、クローイがわずかによろめいた。

「あ――」

 ライラはすぐ我に返った。

 思った以上に強く手を弾いてしまった。

 手がじんじんした。

 無意識に自分の手を押さえながら、ライラはどうすればいいのか分からなくなって、わずかに狼狽えてしまった。

 どうして自分自身がそんなに狼狽えてしまったのか、彼女は自分にも分からなかった。喧嘩で人を殴ることなんて日常茶飯事なのに、どうしてかクローイの手を弾いたことに対して……そう、ライラははっきりと罪悪感を感じていたのだ。

「……いいのよ、気にしないで。大丈夫だから」

 ライラが固まっていると、クローイは顔を上げて再び微笑んだ。

 その『大丈夫』が自分のことなのか、それともライラに対してなのか、それは分からなかったが――彼女の言葉の響きは、本当に優しいものだった。

 その時、ふとライラは気付いた。

 クローイの手からしずくが垂れたのだ。

 ぴちゃり、と地面に何かがしたたり落ちる。

 それは間違いなく彼女の血だった。

 手を撥ね除けた時、恐らく爪で皮膚を引っ掻いてしまったのだろう。

 ライラはハッとなった。

 


 μβψ


 ……貴族は〝高貴なる血ブルー・ブラッド〟を持っている。

 それはライラでも知っているような常識だ。

 高貴なる血ブルー・ブラッドは比喩でも何でもない。

 そのままの意味だ。

 そう、

 貴族と平民の最大の違いは魔力の有無、そして血の色だ。

 魔力は高貴なる血ブルー・ブラッドを持っている貴族にしか制御することができない。この青い色をした血こそが、貴族が貴族たる所以であり、かつ〝神〟に選ばれた存在である何よりの証拠であり――そして、貴族が自分たちを特別な存在だと認識する根拠にもなっているのだった。

(こ、これが高貴なる血ブルー・ブラッドってやつか。マジで血が青いぞ……?)

 間近で青い血を見たライラは、反射的にを覚えた。平民のライラにとっては、血は赤いのが普通で当たり前のことだからだ。

 青い色の血は、クローイが自分とはまったく違う存在なのだと、ライラに思い知らせるには十分過ぎるものだった。

青い血これを見るのは初めて?」

 クローイはライラの反応を見ながら、悪戯っぽく微笑んだ。

 ライラはキッ、とますますクローイを睨みつけた。

「……てめぇ、マジで貴族なのか」

「ええ、そうよ。わたしは貴族よ。正真正銘の――ね」

 頷きつつ、クローイは怪我をした左手の甲に、自分の右手を軽くかざした。

 柔らかな光が発せられたかと思うと、傷口がすぐに塞がって血が止まってしまった。

 ライラは青色の血を見た時よりもぎょっとした。恐らく今のは魔法だろう。魔法は〝何でもあり〟らしいとライラも噂で聞いたことはあるが、どうやら本当にそのようだ。

「……〝化け物〟かよ」

 ライラは無意識に呟いていた。

 それを聞いたクローイは思わず目を丸くしてから、なぜかいきなり「ぷっ」と吹き出した。普通は怒りそうなものだし、これが普通の貴族ならライラはその場で殺されていただろうが、クローイはなぜか可笑しそうに笑うだけだった。

 さすがにライラも自分の失言にはすぐに「しまった」と思ったが、クローイがあまりに愉快そうにしているので、申し訳なさよりも単純に訝しさの方がまさった。

「……何がおかしいんだよ?」

「いや、だって〝化け物〟みたいって、ヴィルマルスのあなたがそれを言う? って思って……わたしが〝化け物〟なら、それってもうでしょ?」

 と、クローイはやっぱり笑いながら言う。

「……」

 ライラは言葉が何も出てこなかった。

 ……この時、ライラは一つの確信を抱いた。

(――間違いない。こいつ、絶対に変なヤツだ)

 その時である。

「あ、ジェイド? ちょうど良かったわ。ええ、いまあなたと合流しようかと思っていたところで――」

 突然、クローイが明後日の方向を向いて誰かと会話し始めた。

 ライラは戸惑った。

(……は? え? こいつ誰と話してんだ?)

 独り言――にしては妙な感じだ。明らかに誰かと話している。傍から見ていると〝伝話機でんわき〟で会話しているようにも見えるが、もちろんそんなものは持っていない。明らかに不可解――というか、ちょっと気味が悪かった。

 ライラは思わず変人を見るかのようにクローイを見ていた。すすっ――と微妙に距離を取る。

「いま、部下を呼んだわ。すぐに来るはずよ」

 クローイが振り返ってそう言った。

 ライラはますます意味が分からなかった。

「……呼んだ? 呼んだってどうやって?」

「まぁそれは――ね」

「いや、ちょっとじゃなくて……ん? うお!?」

 頭上からいきなり人間が降ってきた。

 どすんッ!! と、そいつはライラのすぐ傍に着地した。

 ライラはびっくりして後ろにちょっと飛び退いた。さっきの化け物が戻って来たのかと、一瞬そう思ったからだ。

 だが、今度現れたのは化け物などではなく、彼女たちより年上の女性だった。20代半ば、といったところだろう。身長はライラと同じくらいで、髪は淡い青色みたいな、変わった色をしている。

 目付きが鋭く、どこか冷ややかな気配をしているが、そのせいで髪の色が〝氷色こおりいろ〟みたいに見えた。

(な、なんだこいつ……女、なんだよな? なんで男の服着てんだ……?)

 色々気になることはあったが、ライラが最も気になったのは女の服装だった。なぜか男物の執事服を着ているのだ。

 クローイはさも当然のように話しかけた。

「あら? 思ったより早かったわね、ジェイド」

「ちょうど近くにおりましたので。それより、いかがいたしました? 予定の時刻よりはまだ早いですが……何か見つけましたか?」

「ええ、それなのだけれど――」

 2人は何事もなかったように会話を始めてしまった。

 さすがにライラは間に割って入った。

「って、おい! ちょっと待て! なに普通に会話してんだ!? ていうかこいつ誰だ!? そもそも今どっから現れた!?」

「……ん? クローイ様、この小汚い平民は何ですか?」

 そこでようやく、ジェイドと呼ばれた執事姿の女がライラのことに気付いた様子だった。その視線は怪訝そう……というより、単純に汚らしいものを見るような眼だった。まるで本当に野良犬でも見ているみたいな感じだ。さっきのダニエルとか言う男と、そう大差ない視線である。

「ジェイド、彼女はライラよ。実は少し色々とあって、彼女を保護したところで――」

「――お待ちください、クローイ様。こいつ……まさかヴィルマルスですか?」

 クローイが事の経緯をジェイドに説明しようとする前に、ジェイドの様子が急に変わった。

 さきほどより収まってはいたが、ライラの眼はまだ黄金色の輝きを残していた。それに気付いた途端、ジェイドの目付きが鋭くなったのだ。

 ライラの背筋にぞくりと悪寒が走る。

 反射的に後ろに跳んで距離を取る。

 すると、いつの間にかジェイドは魔法で生み出した剣を握っていた。本当に一瞬の間だ。ライラが瞬きするほどの間に、ジェイドは魔法で剣を生み出していたのだった。

(魔法!? じゃあ、こいつも貴族かよ!?)

 ライラはぎょっとした。

 ジェイドが剣を構える。

「……なるほど。そういうことですか、クローイ様。ようするに――

「え? ちょ、ちょっと待ちなさい、ジェイド!? 彼女は違うわ!」

「さすがクローイ様です。もう見つけてしまうとは……逃げられると面倒ですから、手足は切り落としておきましょうか」

 そう言うや否や、ジェイドは問答無用でライラに斬りかかった。クローイの言葉はまったく耳に入っていない様子だ。

 ……どうして次から次へとこんなところに貴族が現れるのか。

 もうライラには訳が分からなかった。

「ふんッ!」

「うおッ!?」

 相手は本気で斬りかかってきた。

 慌てて避ける。避けなかったら本当に腕が斬り飛ばされていただろう。

「てめぇ、ちょっと待て!? いま避けなかったら当たってたぞ、おい!?」

「ほう、どうやら出来損ないヴィルマルスでも人間の言葉くらいは話せるようだな!」

「ちょ、ちょっとジェイド!? 待ちなさい!?」

 クローイが慌てて止めようとしたが、ジェイドはそれより速く、さらにライラへ斬りかかっていく。

(くそ、こいつ目が完全にマジじゃねーか!? やっぱだったか――)

 クローイが自分をここまで連れてきたのは、やはり自分を確実に殺すためだったのだ。

 ライラはそう思った。

 最初から仲間と手筈を整えていて、ここで仕留めるつもりに違いなかったのだ。さっきの笑みは――全部、ただの嘘っぱちだったのだ。

(――ああ、そうか。そうだよな。やっぱそうなるよな。だってオレは〝化け物〟なんだからな)

 頭の芯が冷えた。

 突然、猛烈に腹立たしくなった。

 どいつもこいつも、なぜ自分がヴィルマルスだというだけで殺そうとしてくるのか。

 好きでこうなったわけじゃないのに。

 どうしてみんな、自分を裏切るのだろう。

 どうして。

 どうして。

 どうして――ッ!!


 ――ろせ


 〝声〟が聞こえた。

 と同じくらいはっきりと、確かに聞こえた。

 気が付くと、目の前に〝影〟が立っていた。

 顔のない〝影〟。

 それはもちろん幻覚だ。

 でも、ライラにはまるで現実のようにはっきりとそれが見えていた。

 〝そいつ〟は、ライラに向かって叫ぶようにこう言い放った。


 ――〝敵〟を、殺せッ!!


 μβψ


 ……その〝声〟に、ライラは従おうと思った。

 そうしなければならないと思ったし、そうするのが当然だとさえ思った。

 だって、殺さなければ殺されてしまうのだから。それに抗うのは当然のことだ。

 ならば〝武器〟が必要だ。

 昔から、ライラは棒きれを振り回すのが好きだった。

 適度に長くて、手に持って振り回すのに最適な武器――そう考えた時、ライラの目に相手の持っている剣が映った。

 ……そうか。

 〝剣〟だ。

 心の中に〝剣〟というものを思い浮かべた時、ライラはその形状がとてもしっくりとくるように感じた。

 〝剣〟さえあれば、相手を殺せる。

 でも、いまここに〝剣〟はない。

 ならどうするか。

 そんなの簡単だ。

 

 ライラは何の疑問もなく、当たり前のようにそう思った。

「な――!?」

 自分に襲いかかっていた相手が、驚いたように眼を見開いた。

 なぜかこちらと距離を取る。

 どうしてだろうと不思議に思っていると、急に右腕にずっしりとした重みを感じた。

 〝剣〟だった。

(……あれ? なんで、オレこんなもんを……?)

 気が付くと、自分の手が〝剣〟を握っていた。

 夢でも幻でもない。

 それは、間違いなく実在する物体だった。とても禍々しい、見ていることすらおぞましい形をした剣だ。

 疑問が溢れ出る。いったいこれは何なのだ? と。


 ――〝敵〟を、殺せッ!!


 けれど、それらの疑問を〝声〟が全て押しのけた。

 ライラは己の本能が叫ぶがまま、手にした〝剣〟で相手に襲いかかった。

「ぐっ!?」

 相手が慌ててライラの〝剣〟を受ける。

 形勢は一気に逆転した。

 己の〝剣〟を手にしたライラは、まるで別の人格が乗り移ったかのように、猛然と相手に剣戟を繰り出していく。

 相手は受けるので精一杯だ。

 表情からも、相手が激しく困惑しているのが見て取れる。

 その動揺が防御に一瞬の致命的な隙を生じさせる。

 は、それを見逃すほど甘くはなかった。


 ――〝敵〟を、殺せッ!!


 〝声〟が叫ぶがままに〝剣〟を振るう。

 そして――

「ダメよ、ライラッ!」

 目の前にクローイが現れ、正面からライラに抱きついた。

「ぐッ!? 離せ!?」

「ライラ、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから。誰もあなたを傷つけたりしないわ」

 ライラはクローイの腕の中から逃れようともがいた。

 だが、彼女の優しげな声が聞こえると、不意に正気に戻り始めた。

 〝影〟の気配は消え去り、〝声〟も遠のいていく。

 ライラの手がだらりと下がり、手から剣が落ちる。剣はすぐに形を失って、光の粒子になって消え去った。

 彼女の身体から力が抜けていくのを感じたのか、クローイも腕の力を少し緩めた。それから、すぐ間近でライラの顔をじっと覗き込む。

「あなたは誰?」

「……オレ? オレは……ええと、誰だっけ……?」

「あなたはライラよ。ライラ・フリス――それが〝あなた〟でしょう?」

「……そうだ。オレは、ライラだ。ライラ・フリス。それがオレの名前……」

「そう、あなたはライラよ。あなたは〝化け物〟なんかじゃない。あなたはライラ。それが、あなたよ」

「……」

 クローイに言い聞かせられて、ライラは『ああ、そうだった』と思った。

 ……この一瞬の間、彼女は自分が誰かさえ、本当に忘れてしまっていたのだ。

 ライラの双眸から、ゆっくりと黄金色の光が消えていった。

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