第6話 名前

 ダニエルは慌てたようにクローイに言った。

「殿下!? なぜ止めるのです!? その者は危険な魔人なのですよ!? すぐに捕縛せねばなりません!」

「いいから、あなたは黙っていなさい。彼女が魔人かどうかは、わたしがこの目で確かめます」 

 クローイはぴしゃりと言ってからライラを振り返った。

 じっと、クローイがライラのことを見つめる。

「う――」

 彼女の静かな視線を受けたライラは、思わずのことを思い出していた。


 ――この〝化け物〟めッ!!

 ――近寄らないでッ!


 叔父と叔母は、ライラがヴィルマルスだと知った途端に態度を豹変させた。昨日まで笑顔で頭を撫でてくれていたのに、ヴィルマルスだと知ったら、目の色を変えて本気で殺そうとしてきたのだ。

 信じられない。

 怖い。

 人間は怖い。

 ライラは思わず身構えていた。

 貴族がヴィルマルスを見つけて、ただで済ませるわけがない。

 貴族はヴィルマルスを見つけたら必ず殺す。それがこの世界の常識だ。

 いずれ魔人となる〝邪悪なる者ヴィルマルス〟を、生かしておく理由など一つも無い。

 それも殺されるのはヴィルマルス本人だけではない。

 。同じ血筋にヴィルマルスがいるかもしれないという理由で、片っ端から〝異端狩り〟を行い、徹底的に血筋を根絶やしにするのである。

 だから、平民たちも気が狂ったようにヴィルマルスを殺すのだ。それが例え親であろうが子であろうが、ヴィルマルスは見つけ次第、絶対に必ず殺さなければならない。

 なぜなら、そうしなければ自分たちも貴族に殺されるからだ。貴族は平民のことなど家畜と同じとしか思っていない。人間は自分たちの理屈で、平気で家畜を殺す。それと同じだ。貴族は自分たちの理屈で、平気で平民を殺す。貴族は平民を対等の存在――そもそも〝人間〟だと思っていないのだ。

 故に、ライラがクローイのことを警戒するのは当然だった。魔人化しているかどうかなど問題ではない。ヴィルマルスだとバレた時点で、即座に処分されてもおかしくないのだから。

 だが――なぜか、クローイは先ほどのように、にこりとライラに向かって微笑んだ。

「大丈夫よ、そんなに警戒しないで、ライラ。わたしはあなたのこと、まったく疑ってなんてないから」

「え……?」

 ライラが虚を衝かれていると、クローイは再び険しい顔になってダニエルと向き合った。

「ダニエル、あなたは間違っているわ。やはり、どう見てもこの者は魔人などではありません」

「な――なぜそんなことが言い切れるのですか!?」

「それくらい、彼女の眼を見れば分かるでしょう?」

「その眼が黄金色なのですよ!? ならば一目瞭然ではないですか!?」

「違います。わたしが言っているのは、そのような表面的なことではありません。わたしが見ているのは、彼女のにあるものです」

「は? え? ど、どういうことですか、それは?」

 ダニエルは本当に訳が分からないという様子だったが、クローイはそれ以上は答えなかった。

「とにかく、この者は切裂号ではないわ。むしろそれどころか、この者は切裂号を実際に目撃していると言っているのよ。ならば、彼女は貴重な目撃者です。捕縛なんてとんでもないわ。むしろ、わたしは彼女を保護する必要があると判断します」

「んな――しょ、正気ですか!? ヴィルマルスを保護するですと!? お考え直しください、クローイ殿下! 今はまだそのように見えないだけで、いずれ必ず完全に魔人化します! ヴィルマルスはいずれ必ず魔人化するのです! 保護なんてとんでもない! さぁ、早くこちらにを――」

「――控えなさい」

 近づいて来ようとしたダニエルに、クローイが鋭い声を発した。

 一歩踏み出したダニエルの身体がびくりと震え、動きが止まる。

「〝魔剣グラディット〟」

 クローイが何かを呟くと、彼女の周囲に光が生じた。

 目が眩むような光ではない。淡く、ほんのわずかに浮かび上がる程度の小さな光だ。それらが無数に生まれ、まるで吸い寄せられるようにクローイの手元に集始める。

 光は見る見る内に形を成し、あっという間に〝剣〟になってしまった。

 ライラは思わず眼を見開いた。

(〝魔法〟だ。さっきの魔人と同じ――でも)

 先ほどの魔人も、同じように剣を生み出していた。

 けれど、彼女の剣はあんな禍々しい剣ではなかった。

 クローイの生み出した剣は、ライラでさえ思わず息を呑んでしまうような、見る者を魅了する光を放っていた。

 まさに白銀。その一言だ。

 クローイは自らが生み出した剣の切っ先をダニエルへと向けた。

「もしそちらがこれ以上、彼女に危害を加えるつもりだというのであれば……わたしはこの剣を振るいます。その覚悟があるのならもう一歩こちらに踏み出すといいわ」

「……殿下、騎士を相手に剣を抜くなど本当に正気ですか? 決闘の申し込みと受け取られても文句は言えませんぞ?」

「文句など言わないわ。だってだもの。お互いの意見が食い違った時は剣で決める――それが騎士の流儀でしょう? ならばその流儀に則るだけのこと。なぜなら、わたしもあなたも〝騎士〟なのだから」

「ぐ……」

 ダニエルは顔を歪ませたまま、その場からまったく動かなくなってしまった。

 ライラは戸惑ったまま、両者を交互に見やった。

(……なんだ? あいつ、なんでクローイにビビってるんだ……? そんなに強いのか、こいつは?)

 喧嘩慣れしているライラの眼には、ダニエルがクローイを怖れているように見えた。いまのダニエルは、そういう眼をしている。単純に相手の方が強いから、動くことを躊躇しているのだ。だが、ライラにはとてもクローイがダニエルより強いとは思えなかった。

 しばしのにらみ合いの後、クローイは急に剣から手を離した。彼女の手を離れた剣は、すぐに光の粒子に戻って消え去った。

 まさに剣のように鋭かったクローイの気配も、同じように消えた。

「安心なさい、ダニエル。彼女はで保護しますから。あなたたちの迷惑になるようなことはないわ。それでいいでしょう? さぁ、行くわよライラ」

「え? お、おい――」

 クローイはライラの手を掴むと、やや強引に引っ張って歩き出した。

「お待ちください、クローイ殿下! これは第一中央騎士団への妨害行為ですぞ!? 我々の任務を妨害したこと、陛下にご報告してもよろしいのですか!?」

「好きにしてもらって結構よ。では、ごきげんよう」

 クローイは最後にとびきりの笑顔を見せつけると、ライラを連れてその場を後にした。

「お、おい、ちょっと待てよ! どこ行くんだよ!?」

「いいから、ついてきて」

「この、離せ! って力強えな、おい!? どんな力してんだよ!?」

「ほら、暴れないの。ひどいことなんてしないから、ね?」

「信じないぞ! そんなこと言ってオレを殺すつもりだろ!? うおーッ! 離せーッ!」

 ……ライラは必死に抗ったが、クローイの腕を振りほどくことはどうしても出来なかった。

 理由は簡単だ。

 それはもう、腕力がめちゃくちゃ強かったからである。


 μβψ


「くそ、忌々しい〝道楽王女〟めがッ!!」

 クローイたちが立ち去った後、ダニエルは突然、怒り狂ったように近くにあった壁を殴りつけた。

 貴族は魔力によって身体能力が強化されているため、壁はまるで徹甲弾でも食らったかのように穴が空いた。

 彼の形相は凄まじかった。憲兵隊の男たちは、恐れを成してその場を一歩も動けなかった。いま下手なことを言えば間違いなく殺されるだろう。貴族は平民を殺すことなど何とも思っていない。虫を殺すのと同じ事だ。

 ……だというのに、フラトンはまるで意を決したように、自分からこう進言した。

「……ダニエル様、やはりここはクローイ様が仰ったように、魔人が出現していることを公表すべきではないでしょうか?」

「……なに? 貴様、いまおれに何と言った?」

 ダニエルがフラトンを睨みつける。

 フラトンはうぐ、と一瞬言葉に詰まったが、それでも続けた。

「今はまだ情報統制を敷いているので正確な犠牲者数は市民には知られていませんが……このままでは時間の問題です。これ以上隠しきるのは無理でしょう。。このままではさらに犠牲者が増える一方で――」

「だからどうした?」

「……え?」

「貴様らのような下等生物がたかだか死んだ程度のことで何を言っているのだ。そんなこと、おれにはどうでもよいのだ」

 ダニエルは冷めた目付きで答えた。

 その眼は、本当に平民のことなど心底どうでもいいと思っている眼だった。

「くそ、万が一〝賢者の石〟が我々以外の手に渡ればとんでもないことだぞ……〝計画〟に大きな支障が出る。それだけは絶対に避けなければ――」

 ダニエルは一人でぶつぶつと言い始め、もうまったくフラトンのことなど見ていなかった。

「――とにかく、あの小娘が現れたことをアーヴァイン様に報告せねばならん。あんな道楽者でも、王族であることには変わりないからな……うろちょろされていると非常に厄介だ」

 これから自分がどうするか決まったのか、ダニエルは再びフラトンに目を向け、一方的に命令を下した。

「おれはアーヴァイン様に用があるので憲兵隊の本部に一度戻る。貴様らは引き続き切裂号を追え。見つけ次第、すぐにこちらへ連絡しろ。ただし――決して大事おおごとにするなよ? 命令を違えればどうなるかは、もちろん分かっているな?」

「……はっ」

 フラトンはそれ以上何も言えず、ただ黙ってダニエルの命令に従うしかなかった。

「――〝石馬サクサルス〟」

 ダニエルが何やら言葉を唱えると、周囲から光が集まってきた。

 それらの光は、やがて大きな物体を形成し始める。

 出来上がったのは、本物の馬と見間違うほど精巧に出来た石造りの馬だった。

「ダニエル様、本部に連絡するのであれば、近くの支部から〝伝話機でんわき〟も使えますが……」

 フラトンとは別の憲兵がそう言ったが、ダニエルは鬱陶しそうな顔をしただけだった。

「空を飛ぶのであれば、別にどちらでも大して変わらん」

 ダニエルは自身が生み出した石造りの馬に跨がり、そのまま夜空に向かって飛び上がっていった。

 ……襾学かがくは大きく発達したが、空を飛ぶ乗り物はまだ研究段階で完全に成功していない。だが、貴族はああやって古代から当たり前のように空を飛んできたのだ。彼らのような〝力〟を持っていれば、確かに平民など下等な存在に見えることだろう――と、フラトンはつくづくそう思った。

 ダニエルが立ち去った後、フラトンは部下に指示を出した。

「我々は引き続き切裂号の捜索を行う。見つけても無理に攻撃はするな。騎士団の到着を待つように」

「……フラトン隊長、相手は魔人ですよ? なのになぜ許可されている最大限の武器が小銃ライフルなのですか? これでは死ねと言われているようなものではないですか。なぜ騎士団は重火器の使用許可を出さないのですか?」

 ダニエルがいなくなったからか、憲兵の1人がそう言った。

 フラトンは苦々しい顔になった。

「……重火器の類いは全て〝禁忌兵器〟に指定されている。禁忌兵器の使用には騎士団どころか、国王陛下や大貴族たちで構成される〝貴族院〟の承認が必要だ。許可などまず下りないと思っていた方が良いだろう」

「そんな……これでは〝紅鐵号事件〟の時とまったく同じじゃないですか!? あの時だって、重火器さえ使えていれば魔人に対抗できたかもしれないのに――」

「……それが連中には気に食わんのだろうな」

「え?」

「何でもない。とにかく、お前らは騎士団の命令には決して逆らうな。お前たちが殺されるだけならばいいが、あいつらはお前たちの家族も連座で処刑するぞ。やつらはそれくらいのこと平気でやる。それがイヤなら、絶対に連中には逆らうな。分かったか?」

 フラトンは大真面目な顔で言った。

 冗談を言っている顔ではない。

 部下たちはみな、彼の声と表情に思わず息を呑んでいた。

 その後、1人になったフラトンは、ふとあることを気にしていた。

(……にしても、さっきのヴィルマルス。王女殿下に〝ライラ〟と呼ばれていたような気がするが――)

 ライラ。

 その名前に、彼は聞き覚えがあった。

 それはかつての同僚にして戦友、紅鐵号事件で殉職した〝ロジャー・フリス〟の娘の名前だったからだ。

(〝ライラ〟というと、ロジャーの娘と同じ名前だ。いや、しかし……ただの偶然か。あの子なら、確かロジャーの弟に引き取られてもう王都にはいないはずだ。たまたま同じ名前なだけだろう)

 フラトンはそう自分を納得させ、再び任務へと戻っていった。

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