第2話 世間知らずのお嬢様

「おい、てめぇらちょっと待て」

「ああ?」

 ライラが声をかけると、男たちは睨みつけるように彼女を振り返った。恐らくライラを男だと思ったのだろう、目付きにはすぐに敵意が宿った。

「なんだぁ、てめぇは? おれらに何か用か?」

「てめぇらみたいな息の臭ぇ連中に用はねえよ。オレが用があるのはそっちの女だ」

「え? わたしですか?」

 少女はきょとん、とした顔をしていた。はて、知り合いだっただろうか? とか考えていそうな顔で小首を傾げている。

 改めて少女を近くで見て、ライラは色んな意味で再び呆れそうになってしまった。

 服装だけじゃない。雰囲気も何と言うのか……そう、いかにも世間知らずな感じだったのだ。温室でぬくぬく育ってきた感がすごい。遠目でも分かるほど髪もきらきら輝いているし、肌も血色が良くて透き通るような白さだ。本当に場違いとしか言いようがない。飢えた男たちにとっては、さぞ美味しそうな獲物に見えたことだろう。

 ライラはずんずん歩いて男たちをかき分けると、すぐに少女の手を握った。背丈はライラの方が少しだけ高かった。

「おい、行くぞ」

「え? 行くって、どこへ行くんですか? というかどちら様ですか?」

「いいからついてこい」

 ライラは問答無用で少女を連れて行こうとしたが、もちろんそれを許す男たちではなかった。

 男たちはすぐに彼女たちを取り囲んだ。

「おい、てめぇ。なに邪魔してくれたんだ、ああん? おれたちはただ道案内してやってるだけだぜ?」

「はっ、その顔で道案内? どこに案内するんだ? てめぇらの根城か? てめぇらは頭の中に性欲しか詰まってねえだろうが。痛い目みたくなかったらさっさと消えろ」

 ライラは男たちに取り囲まれてもまったく臆さなかった。むしろ余裕すらあった。

 男たちはますますライラを睨みつけた。

「……おい、今ならまだ見逃してやる。消えるのはそっちだ。死にたくなかったらここから失せな」

「はぁ……分かんねえ連中だな。いいか? 消えるのはてめぇらだ、ボケクソ共。それとも痛い目見ないと分からねえかよ? おっさん」

 と、ライラはますます挑発するように顔を歪めた。

 あまりにも自分たちを舐めきったその態度に、男たちは我慢の限界に達したようだ。

「……そうかい。んじゃあ、てめぇには痛い目にあってもらうとするか」

 男たちは懐からそれぞれ得物を取りだした。それを見たライラはすぐに視線を周囲に巡らせた。

(ナイフが三人――1人は拳銃か。ちっ、拳銃は厄介だな。ナイフくらいなら素手で問題ねえけど……何か武器になるようなもんねえか?)

 視線を巡らせる。

 すると、彼女はすぐ近くに棒のような物が転がっているのに気付いた。鉄パイプか何かだろう。振り回すのにとてもちょうど良さそうだった。

 それを見たライラは、少しだけ少女を振り返って、

「おい、あそこまで走るぞ」

「え?」

「行くぞ!」

「きゃあ!?」

 と、少女の手を引っ張って急に走り出した。

 ライラは男たちの間をくぐり抜け、目的の場所まで達すると、少女から手を離して流れるような動作で鉄パイプを拾い上げた。

「あ、あの? それで何を?」

 少女がおっかなびっくり訊ねたが、ライラは答えずに、すぐさま背後を振り返った。

「待ちやがれ!」

 男たちが迫ってきた。

 手に持っているナイフで容赦なく襲いかかってくる。

 かなり喧嘩慣れしている動きだ。

 だが、それではライラにとってはあまりに遅すぎた。比喩ではなく、本当に彼女には止まって見えたくらいだ。

 まずは1人、ライラは鉄パイプを振るって相手を吹っ飛ばした。

 立て続けに襲いかかってくる二人も、同じように攻撃をひらりと躱し、カウンターのように得物でぶっ飛ばしていく。彼女はまるで、手に持ったその得物を自分の手足のように自在に振り回した。

 ライラは素手の喧嘩もめっぽう強いが、最も実力を発揮するのはこういう手頃な〝棒〟を手にした時だった。自分でもよくは分からないが、なぜか昔からこういう棒きれを振り回すのが好きで、それでよく遊んでいた記憶があった。今はそれがこうして喧嘩の役に立っているのだから、人生ではどんな技能が自分の身を助けることになるのか分からないものだ。

 男たちはあっという間にしまって、一人だけ残った男が呆然と吹き飛んだ仲間のことを眺めていた。

「で、どうする? まだやるか?」

 ライラが改めて鉄パイプを構えると、1人だけ残された男がハッと我に返ったように身構えた。すでに腰が引けている。

「くそッ!! 調子乗ってんじゃねえぞッ!!」

 男が吠え、拳銃を構えた。

 見たところ60式リボルバー拳銃のようだ。と言ってもまぁまず間違いなく密造銃だろう。ここらへんでは珍しくもないものだ。こういう密造銃はイースト・エンドを根城にする地下組織の大きな資金源と言われているが、いくら取り締まってもいたちごっこらしく、こうしてそこら中に出回っているのが常だった。

 拳銃を構えた男はまるで勝ち誇ったような顔を見せた。

「馬鹿が。てめぇ、おれを怒らせやがったな。言っとくがな、おれは今まで何人も殺してきてる。そう、おれは本物のワルだ。人殺しなんて何とも思わねえ。もちろんこいつだってオモチャじゃねえぜ?」

「……」

「ん? どうした? 急に威勢がなくなったな? 今さらビビってやがんのか? ひゃはは!」

 ライラは黙ったまま、じっと相手を睨んだ。それは別にビビっているわけではなく、銃の射線を見極めようとしていたのだ。

(……なんだけどな。でも、オレが避けたら後ろの女に当たるかもしんねえし……どうしたもんか)

 もう少し男との距離が近ければ、一瞬で距離を詰めてぶっ飛ばせば済む話だ。しかし、少し遠い。ライラが動くところを見せた瞬間、相手は撃つだろう。一発なら避けるのは容易い。ただ、避けたら後ろにいる少女に当たるかもしれない。

 そう考えたライラは、少し躊躇ったが――〝力〟を使うことを決めた。

(……あんまし〝力〟を使いたくねえんだけどな。しゃーねえ)

 ライラは自身の中に眠っている、名前の分からない不可視の〝力〟を呼び起こした。

「――」

 それは常人には決して分からないもので、男も気付いていなかったが――ライラが〝力〟を使おうとした瞬間、後ろにいた少女は明らかに驚いた顔をしていた。もちろん、ライラはそのことには気付かない。

 ライラは自分が持っている〝力〟のことをよく知らない。

 ただ、それの使い方だけは何となく知っている。

 彼女が普通の人間に比べて腕力が強かったり、運動神経が抜群に優れていることも、恐らくはこの〝力〟のおかげなのだろう。

 呼び起こした〝力〟を、まるで自分の腕のように相手に向かってゆっくりと伸ばしていく。それはまさに見えざる手そのもので、男はそれが接近していることにさっぱり気付いていなかった。

 〝力〟の制御に集中しているライラのことが、男にはどうやら拳銃の恐ろしさに怖じけ付いたように見えたようだ。

「へへ、かっこつけてっからだぜ、兄ちゃんよ。分かったらさっさと失せな。おれらはそこの嬢ちゃんとこれから遊ばなきゃなんねえんだからよ」

 男が舌なめずりする。その瞬間、ライラの制御していた不可視の腕が男の拳銃を地面にたたき落とした。

「うお!? な、なんだ!?」

 男は驚いた。それはそうだろう。いきなり〝何か〟に拳銃をたたき落とされたのだ。もちろん、近くには誰もいない。男は訳が分からず混乱するばかりだった。

 その隙に、ライラは動いた。

「――へ?」

 ……と、男が間抜けな声を上げた途端、その身体はもう宙を舞っていた。

 〝力〟を使っていたせいか、腕力の加減がうまくいかず、男の身体はそれこそ自動車にでも轢かれたような勢いで吹っ飛んでいった。

 地面に倒れていた他の連中は、その様子にただ顎が外れそうになっていた。

 男たちはただ呆然と、彼女の姿を眺めていることしかできなかった。

 その時、1人が不意に大きな声を上げた。

「あ!? そ、そうだ!? 思い出した! こいつどっかで見たことあると思ったけど――もしかして〝喧嘩屋〟のライラ・フリスじゃねえか!?」

 その名が出た途端、他の男たちはみなぎょっとしていた。

「は? 喧嘩屋のライラってもしかして、1人でいくつもギャングをぶっ潰したって言う、……?」

「その筋のマジモンの連中でもそいつにだけは手を出さない、とか言われてる、……?」

「と、とにかくそいつにだけは絶対に手を出すなっておれのダチも言ってたぜ? 〝化け物〟みたいに、デタラメに強いって――」

 ざわめいている男たちを、ライラは獰猛な眼で睨みつけた。

 〝力〟を使った反動か、彼女は心の奥で眠っていた〝化け物〟がわずかに目を覚まそうとしているのを感じていた。

 それを意識的に押さえつける。しかし、わずかに漏れ出した〝気配〟は、確かに彼女の双眸の奥でギラギラとした妖しい光を放っていた。


 ――せ


 〝声〟がした。

 ライラはさらに目覚めようとする〝化け物〟を押さえつけながら、低い声で男たちに言った。

「――死にたくなかったら、今すぐオレの目の前から消えろ」

「……」

「……」

 男たちは一度、互いの顔を見合わせた後――ぶっ飛ばされてのびている仲間を放ったまま、蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げていった。


 μβψ


「――ふう」

 男たちが消え去ると、心の奥で疼いていた衝動も消えた。

 ライラは一息吐きながら、鉄パイプを地面に放り投げた。

 彼女が振り返ると、さきほどのお嬢様が呆けたようにこっちを見ていた。

 つかつかと近寄ると、少女はまず真っ先にライラにこう尋ねた。

「あの……大丈夫、ですか?」

「ああ、大丈夫だ。別に怪我はしてねえ。それより、こっち来い」

 ライラが少女の腕を掴む。

 少女は困惑した声を出した。

「あ、あの? どちらへ?」

「いいから来いっての」

 ライラはそのまま、少女をイースト・エンドの端まで連れてきた。まだ東側であることには違いないが、この辺りなら1人でも西側に戻れるだろう。

「この辺ならもう大丈夫か……おい」

 ぱっと手を離すと、ライラは怖い顔で少女を睨みつけた。

「お前、いったいどういうつもりであんな場所にいたんだ? あそこがどういうところか、まさか知らないわけじゃないよな?」

「もちろん知っていますよ。あのあたりがいわゆるイースト・エンドですよね? 治安があまり良くないことで有名な」

 と、少女は呑気な様子で答えた。さっきまで自分がどういう状況にあったのか、どうやらまったく理解できていない様子だ。

 ライラは盛大な溜め息を吐いてから続けた。

「そうだ。クソみたいな治安のところだよ。お前みたいなのが歩いてたらいいカモだ。さっきみたいな連中がすぐに寄ってくるぞ」

「でも、さきほどの方たちは、わたしに道案内してくれると言っていましたよ?」

「なわけねーだろ!? アホかてめぇは!?」

 ライラは思わず大きな声を出してしまった。

「連中が本当に道案内なんかするわけねーだろが! 人気の無いところに連れ込まれて、された後に最悪殺されるか、もしくは適当に売られるか……そうなるのがオチだ。あいつらは女をただの性欲処理の道具ぐらいにしか思ってない。あそこはそんな連中しかいねえんだよ。分かったか?」

「……」

「……ん? 何だよ、人の顔じっと見て?」

 少女は何も言わず、じっとライラの顔を見ていた。

 ちょっと強く言いすぎたか? とライラが思っていると、

「あ、すいません。わたし、人に面と向かってアホとか言われたの初めてだったもので……何だかとても新鮮な気持ちになりました」

 と、少女は満面の笑みで答えた。

 ライラはさすがにその場でコケそうになった。

「いやマジでアホなんかてめぇは!? 危ないところだったって言ってんだろうが!? オレの話ちゃんと聞いてたか!?」

「でも、それじゃあ、どうしてあなたはわたしを助けてくれたんですか?」

「え?」

? でも、引き返してわたしを助けた……それはどうしてですか?」

 そう言われた途端、ライラはどきりとした。

 それは後ろめたさから感じたものではない。、という戸惑いからだった。

(こいつ、あの距離でオレのこと気付いてたのか? まだかなり距離があったはずなのに――)

 ライラが最初に少女を見かけた時、それなりの距離があったはずだ。それに、少女はライラの方を振り返った様子もなかった。なのに、通り過ぎようとしたところを知っているのは不自然だった。

 しかもこの時、少女はとても真っ直ぐにライラの眼を見ていた。

 本当に真っ直ぐな眼だ。

 ライラはこれまで、これほど真っ直ぐな眼を見たことがなかった。

 その視線に、ライラにしては珍しく、少し狼狽えてしまった。

(な、なんだこいつ……? ただの世間知らずのお嬢様かと思ったけど……なんかおかしいぞ?)

 本能的に、ライラはなぜかこんなことを思った。

 こいつにこれ以上関わってはいけない、と。

 ライラは相手の質問には答えず、すぐに背を向けた。

「とにかく、もう興味本位であんなところ来るんじゃねえぞ。じゃあな」

「あ、ちょっと! 待ってくださいライラさん!」

「ぐほっ!?」

 立ち去ろうと踵を返したら、後ろからいきなり襟首を掴まれてぐいっと引っ張られた。

 思いのほか強い力に、ライラの首が思い切り締まった。

「いや何だよ!? 殺す気か!? ていうか何でオレの名前知ってんだ!?」

「いえ、さきほどの方々があなたのことを名前で呼んでいましたから。〝喧嘩屋〟のライラ・フリスさん、と。それがあなたのお名前なんですか?」

「ああ、そうだよ。オレはライラだ。ここいらじゃ有名な不良だよ。だからもう関わるな。関わってもロクなことねえぞ。んじゃあな」

「ま、待ってください!」

「ぐほッ!!??」

 また猛烈に首が絞まった。

 さすがにライラもキレた。

「てめぇはさっきから喧嘩売ってんのか!? ああん!?」

「ライラさん、お願いがあります」

 いきなり、少女は意気込むようにずいっと迫ってきた。

 何やら強い気迫を感じて、ライラは思わず相手にされてしまった。

「……は? お、お願い? なんだよ?」

「宜しければ、わたしにイースト・エンドを案内してくれませんか? 実はわたし、連続殺人鬼を探してるんです。どうやら民下街デプスでは〝切裂号きりさきごう〟と呼ばれてるようなんですが……ご存知ですか?」

「……はあ?」

 ――これが、不良少女と〝道楽王女〟の出会いだった。

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