第7話 入ってきたカップル
さらに盛り付けるときのコツを教えようと、手を差し出した瞬間指先が絵梨の手の平に触れた。冷たい手だな。外から入ってきたせいか、俺の手が熱くなっていたせいか、両方だろう。
その冷たさも嫌な感じはしない。
「失礼」
「私こそ、すいません」
なぜかあやまっている。
ケーキが崩れないようそっと皿に乗せる。ずぼらな人がやると崩れてしまうのだが、これは合格だ。
「ペーパーフィルターでコーヒーを淹れたことは?」
「家で時々。自己流でけど」
「それじゃ、ちょっと見てて」
フィルターをセットし、挽きたての豆をいれる。
「おお、いい香り。この香り大好きです。朝なんか目が覚めます」
「コーヒーは元気にさせる力があるから、眼ざめにはいい。この香りが苦手だとこのバイトは無理っていうか苦痛になる。さあ、よく見てて」
ほんの少量の湯を注ぎ少し豆を蒸らす。湯気からさらに良い香りが鼻腔をくすぐる。十分蒸らしたらさらに湯を静かに注いでいく。小さな泡がフィルターの中にぷつぷつとできた。琥珀色の液体が、ゆっくりとカップの中に落ちていく。
「あの……」
「何かな?」
「やっぱりいいです」
今このタイミングで訊くことではない。どうしてその若さで店長なのですかとは。
「そっか。さあ、これを飲んでみて。気分がすっきりする」
「私眠そうな顔をしてましたね」
その通りだと俺は笑いをこらえた。
「ふ~~む、やっぱり美味し~~い。私が淹れたらこんな味にはなりません。自信を持って言えます」
「経験も必要だけど、短期間でもコツは掴める」
次は絵梨の番だ。湯がどっと多量に出ないように加減するため右手に力が入りすぎ震えた。
「緊張しすぎでしょ」
「ふう……」
「もう少し下の方でいいですよ。あまり上から注ぐと勢いが付きすぎます。ちょっと……それじゃ近すぎ」
まだるっこしいなあ。
「このくらいです」
と右腕を掴んだ。あ、またしても手に触れてしまった。
ちらりと絵梨の横顔を見ると、同じようにこちらを見ている。
「少しずつね……はいそのくらいでいいよ、ストップ。これ以上注ぐとカップからこぼれちゃう」
「ああ、そうでした」
バイトとはいえ、教えることは山ほどあるな。まあ、焦ることはあるまい。
ドアの所にopenの札をかけてしばらくすると、若いカップルが入ってきて壁際の席に座った。
男性の方は顔も体つきも丸々としている。黒々とした前髪が少し眼鏡にかかっている。服装も地味だ。女性は引き締まった体に勝気そうな表情をしている。赤茶色に染めた髪が肩にかかっている。開いたブラウスの胸元にはアクセサリーが光っている。
いらっしゃいませ、という声が二人の口から同時に出た。この二人、こんな早い時刻に来るのは珍しい。二人とも見たところは二十代。これまでに数回来店している。学生には見えないし、職場の同僚とも違うようだ。お世辞にもお似合いのカップルとは言えない二人だったが、今日はいつも以上に険悪なムードが漂っている。
俺は座り終わったころ合いを見計らい、二人の斜め前に立った。立ち位置まで適切。一挙手一投足を絵梨が見ている。こういうことも参考にしようってことか。この立ち位置も重要なんだ。あまり近いと座っている人に威圧感を与えるし、遠すぎてもだめだ。
メニューと水を置いていった。
「お決まりのころ伺います」
「ああ、俺はブレンドにする。由紀は?」
「そうね、私はカフェオレ」
「ホットでよろしいでしょうか」
「いいよ」
「私もホットで」
男性が水をぐっと飲み、女性の顔を切なそうな目で見つめた。手をテーブルの所で組んでいるが、手には力が入っている。女性はそんな男性の態度を見てイラついている。
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