第5話 そんな髪型じゃNGでしょ
絵梨は、ワンルームアパートの部屋の鏡の前に座り、髪の毛を梳かした。
さあて、バイト初日ばっちり決めていこう。まずはてっぺんを黒いゴムできゅっと結び、垂れさがった髪の毛の束を器用にくるくる巻いていく。まるでロールパン職人のような手つきで髪の毛をパン生地のように丸め、頭のてっぺんに団子を作った。
ふっくらとした丸い頬が強調される。色白な顔の頬の部分だけが血色良くピンク色をしている。それからメイクをばっちり決めた。服装は濃い目のパンツに白シャツを着る。
できる女ができたわ……。
「さあ、戦闘開始!」
とまるで戦いに挑む戦士のような気概で家を飛び出し、店に向かった。十時開店だが、店に着いたのは三十分前。早めに来るようにと言われていた。
前回来た時はあまりに焦っていたので、ただの古い喫茶店ということぐらいしか覚えていなかったし、ほとんど注意も払っていなかった。
今回じっくりと外観を見ると、よく言えばレトロ悪く言えば年季が入って古めかしいことが分かった。かなり前からあったような建物だ。だが店長はそこには不釣り合いなほど若い。雇われ店長または誰かの後を引き継いだ店なのだろうか。
店名前は……憶えてもいなかったが……未来胡桃(ミラクル)。
えっ、嘘でしょう、ミラクルだなんて。奇跡なんて名前を店名につけるなんてどういう考えの持ち主。益々興味がわいてきた。
「おはようございます!」
「おはよう。おお、おお……」
まあ感嘆の声を上げてるわ。やっぱりこの髪型ばっちり会ってたのね。
建人は目を丸くして、言葉が出ない様子。
「ばっちり決めてきました。これでいいでしょう?」
と得意満面に答えた。これでダメ出しがあるはずがない。
「あのねえ……ちょっとその髪型ねえ……」
「はあ、ダメですか」
「……ダメなんてもんじゃない。服装とまったくあってない。それは和服に会う髪型です。ここは水商売のお店じゃない。まったくどういうセンスをしているんですか!」
「だって、長い髪の毛は仕事に差し障るでしょうし、この髪型ばっちり服装に合ってると思います!」
自信はある。
「まあ、この前のお化けヘアよりはいいですけど」
お化けヘアは的確な表現だ。建人は壁にかけられた振り子時計にちらりと視線を向けた。この時計も三角屋根の中から鳩が出てくるレトロなものだ。今時あまりない。
開店まであと三十分ある。
「ちょっとこっちへ来てください」
有無を言わせぬ態度に、そろそろと後ろをついていく。カウンターを通り越すと階段があった。ほら、と眼で合図する。
絵梨はおどおどした様子。変なことされないるか心配しているのだろうか。変なことなんかしないよ、とむっとした表情を作った。
まったく世話の焼ける女だなあ、髪の毛ぐらい自分でやれよと悪態をつきたくなる。
開店までに何とかしなきゃ……と廊下をずんずん進みドアの一つを開けた。
今にも泣きだしそう目をしているぞ。勘違いしないでくれよ。
「さあ、入って!」
「だって……」
「いいから、悪い様にはしない」
やだ、昼間から部屋に連れ込まれて、こんなの絶対にまずいわよ。知り会ってたった一日しかたっていないんだから。
「ここへ座って」
「……」
「もう、早くしろよ! 時間がないんだから!」
急に人が変わってしまったのか、命令口調。こういうシチュエーションには慣れていないのよ。それに、どうすればいいの。ああ、絶体絶命のピンチ!
こうなったら、いちかばちか!
「私に……何をする気ですか?」
「だから……その髪型!」
「ああ~~んん」
座るなりお団子をぎゅっとつかんだかと思うと、するするとほどいてしまった。
「ああ……何を、何を、何を、するの~~~」
「だからさあ」
それをぎゅっとつかんだかと思うと素早く束ねた。だけど、繊細な手つき頬やうなじに触れるたびに、どきりとしてしまう。
ああ、そこは私の敏感なところなのに、そんなに無造作に触られたらどうしたらいいの。
眼がとろんとしないように、必死に顔じゅうの筋肉に力を入れる。すらりとした指は髪の付け根を撫でたり首筋を撫でたりする、わけじゃないか。
ただ単に髪の毛をセットしてるんだ。
そんなに優しく耳の後ろを撫でないで~~~。そこまずいよ、どうしよう……。
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