第3話 絵梨バイトに応募する
一人静かにスマホを片手にコーヒーを飲んでいると、斜め前の男女の声が聞こえてきた。声を潜めて話し込んでいるので、ますます気になる。集中するとどうにか話の内容が聞き取れた。
「ここの店ちょっと何かあるわよ」
「ふん?」
「絶対何かあるっ!」
「何かあるって、どういうことだよ。飲み物に、何か入ってるってことか?」
「そうじゃないのよ。……っていうか、マスターに予知能力があるのかもしれない」
「それ……どういうこと?」
「この間一人でコーヒーを頼んだら運んできて一言、今日は素敵な一日になりそうですよって言われたのよ」
「それって、お客さんに言う決まり文句じゃないの」
「それがね……本当に偶然かもしれないんだけどさあ」
「何かあったのか?」
「その日よ、その日なのよ!」
と右手のこぶしを左の手のひらに叩きつけた。
「あなたと出会ったのよ、出張先で」
「偶然じゃないのか。まぐれだよ。素敵なことなんて、なんだって起こりうる。例えばスーパーの安売りだって、同僚からの差し入れだっていいことだし、逆に傘を持っていない日に大雨に振られたり、仕事でうまくいかなかったのは良くないことになるし。後でいくらでも理由はつけられる」
「だけど……う~ん、なんというか、言葉では表せないような不思議な雰囲気だったのよね、言い方が」
「ふ~ん、いまいちよくわからないなあ。まあ、いいや。結果オーライってことだからね。僕と出会ったのがよかったことだって言ってくれるんだから、君って本当に素敵だよねえ」
あら、あら、のろけ話で終わっちゃったけど、やっぱりあのマスター何かある。私の勘は当たってたってこと。
それじゃ、さっそく行動を開始しなくちゃ。おあつらえ向きのチャンスが巡ってくるかもしれない。
その前に、慌てない慌てない。じっくりコーヒーを味わってからにしよう。とっても香りがいいんだもの。
おっと、そういえばマスター、さっき私にも同じセリフを言ったじゃない! よいことがありますよって。当たっていれば、私にも素敵な出会いがあるはず。
じっくり味わった後で、レジの所へ行った。マスターの建人は、カウンターの中から視線を向けた。再び視線が絡み合い、きらりと何かが飛び散った。
絵梨は、静かに低い声で言った。お願いをするときの、優しい声だ。
「あのう……張り紙を見たんですが」
「ああ、外の張り紙ですね、アルバイト募集の」
「ぜひ、こちらで働かせていただきたいんです」
入ってきた時にはそんな気は毛頭なかったのに、俺に会って気が変わったな、と建人はにんまりした。
「何か条件はありますか」
「もちろんいろいろありますよ。まあ、カウンターへかけてください。じっくりお話を伺いましょう」
ということで、その場で面接となった。
「飲食店で働いた経験は?」
「ないのですが、接客のお仕事は結構得意です。コンビニで働いたこともあるし、イベントの受付などの仕事もたびたびやっていました。あ、それからに保育園の保育士補助などもやってました」
「ふ~む、大丈夫かなあ?」
「任せてください! 私きっと店長のお望み通りの接客ができます。ちょうど良いタイミングで現れたり、食べ終わったお皿を下げたりできます。雰囲気を読むのは得意なんです」
この娘人の心を読むのが得意なのか?
「それが大切なんです、よくお分かりだ。こういう喫茶店では」
「でしょう。ですから、よろしくお願いします。後悔はさせません」
「では、結果は後日メールでご連絡しますから」
「ぜひご検討ください」
と面接が終わり、代金を払って喫茶店を後にした。
あの調子なら、きっと合格ね。去り際の彼の笑顔なら間違いない、と確信した絵梨だったが、結果は無残にも不合格だった。
「今回は都合により見送らせていただきます」
と体よく断られた。
「えええ~~~~っ、どうしてなの! 私のどこがいけなかったの! 第一印象。そりゃ髪の毛びちょびちょ、お化けみたいに現れたけど、本当の私はあんなもんじゃないわよ! こんな魅力的な女を不合格にするなんて、なんて店長なの! どこ見てるのよ、悔し~~~!」
と涙を流して悔しがった。
あの店長、笑顔で気を持たせておいて断るなんて、ああ、彼氏に振られたぐらい悔しい。もうあんな店行ってあげないっ、ふんっと悪態をつきベッドに体を投げ出した。
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