聖女な俺と隷属の首輪〜魔王討伐が終わった後が本当の危機一髪だなんて聞いてない!

ミドリ

誰か嘘だと言ってくれ

 現代日本から魔王討伐の為『異世界召喚』された、俺と女子高生の二人。


 異世界人の俺らは、勇者と聖女に。召喚した国の王子は聖女の守護騎士に、国からの干渉を受けない魔術師集団・魔塔からは若き魔導士が賢者に任命され、魔王討伐の旅に出た。


 旅は、熾烈を極めた。


 はじめの頃は生まれた世界の違いから衝突が多かった俺たちも、幾度も危機一髪な場面を共に乗り切る内に、次第に絆が深まっていく。


 主に、男性三人の。


 そんな旅も、段々と終わりに近付いてきていた。


 魔王城が視界に入るようになり、数日。結界が張られた野営地でのことだった。


「ねえねえ、王子って私のことどう思ってるのかな……?」


 勇子ゆうこちゃんが、チラチラと恥ずかしそうに王子を盗み見ながら尋ねてきた。


 魔物の返り血を全身に浴びた状態で尋ねる内容か? と思ったけど、俺は自他ともに認める平和主義者。現代日本では学校一のアイドルと呼ばれ、こちらの世界では『光の勇者』と呼ばれる同級生の彼女に、俺は笑顔で頷いてみせた。


「大丈夫。きっと彼も君のことは憎からず思っている筈だよ」


 実際はどうか知らないけどな。


「やっぱり!? うふ、そんな気はしてたんだけどね! ありがとう田原くん!」

「ドウイタシマシテ」


 勇子ちゃんは満足げな笑顔になると、言った。


「じゃ、さっさと浄化して」

「あ、はい」


 勇子ちゃんは割と唯我独尊なので、自分が望んだ通りに物事が進まないとすぐ拗ねる。一旦へそを曲げると一日は不貞腐れて、面倒くさい。


 そのことにいち早く気付いた俺たちは、途中から勇子ちゃんをチヤホヤする作戦に切り替えた。以降、勇子ちゃんの我儘で足止めを食らう時間は大分減ったと思う。


 手を翳し、浄化魔法を掛ける。俺の手から白っぽいキラキラした光が出て、勇子ちゃんに付着していた魔物の返り血が消えていった。


 普通の血と違って、魔物の血は浄化しないとやがて呪いとなって体内に染み込んでいく。だから、付いたらさっさと浄化するに限るのだ。それにしても浴びすぎだけどな。王子みたいにもっとスマートに避けてよ。使える魔力量には限界があるんだからさ。


「ありがと! 田原くんて人畜無害そうな菩薩顔なだけあって、攻撃力はゼロだけどすごいね!」

「うん、ありがとう」


 おい、今さり気なく毒吐いただろ? 俺が反抗しないからって、人が気にしてることをさらりとディスりやがって。ちょっと瞼が厚いだけで、ちゃんと開けばぱっちり目なんだからな。今は魔王討伐があるから何も言わないでおくが、全てが終わったら見てろよ。一回くらいガツンと言い返してやるからな。


 菩薩な笑顔をキープしたまま、心の中で毒づく。


 と、魔道士のリックと地図を見ながら何かを話していた王子のハディが、勇子ちゃんを呼んだ。


「ユウコ、少しいいか。この先の行程について相談なのだが――」

「あっ、ハディ! 今いくー!」


 勇子ちゃんは俺と話していた時よりも半音高い声で応えると、ハディに駆け寄っていく。べたーっと腕を絡ませるその積極性。さすがとしか言いようがない。


「……はあー。助かった……」


 勇子ちゃんの他意のないマウンティングは、一旦始まると長いのだ。「田原くんもちょっとは戦えたらよかったのにねー」とか「その顔で聖女だなんて最初誰も信じなかったもんねー。勇者っぽくもないし、私が最初勇者兼聖女なんじゃないかって言われてびっくりしたよお」とか。


 顔は関係ないだろ。ていうか最後のそれ、同じ場にいた俺は聞いてないぞ。捏造したよな? お前の本心だろ?


 なお、俺には無意識にディスってくる勇子ちゃんだけど、他の二人には絶対ディスらない。


 何故か。


 彼らには、ディスられる要素が存在しないからだ。だって二人とも、俺とは比べ物にならないくらいのハイスペ男子だもん。


 王子のハディは二十歳で金髪碧眼で眉目秀麗、細マッチョな上に高身長の持ち主。剣の腕前はお墨付きで、王国騎士団団長を務めるほどだ。


 その強さから、戦えない俺の守護騎士に抜擢されている。頭の回転も早いし、傲慢になったっておかしくないのに性格は非常に穏やか。お前本当にうんこするのってくらい異次元な存在だ。


 もうひとり、魔道士のリックは浅黒い肌に黒髪の持ち主で、二十五歳。王子様系イケメンのハディとは違って、無精髭が似合うワイルド系イケメンだ。


 魔塔屈指の天才魔術師で、リックを敵に回したら国が滅びると言われているくらいの力の持ち主。こっちはまだうんこしそうに見える。辛うじてだけど。


 だったらリックひとりで魔王退治しちゃえばいいのにって思ったら、魔王は勇者しか持てない勇者の剣じゃないと倒せないんだそうだ。残念。


 この世界は、魔王が台頭してきてどんどん荒れた。なのに勇者は一向に現れない。大陸一の大国であるハディの国の王様は、仕方なく大金を払って魔塔に勇者を探してもらった。すると、別の世界に勇者の反応があったんだ。


 それとは別に、魔物の血を浄化できる存在である聖女も現れなくて同時に探したところ、勇者の近くに反応があった。ということで、魔塔、というかリックは、勇者と聖女を召喚した。それが勇子ちゃんと俺、田原聖人まさとだ。


 クラスメイトではあったけど、あっちは陽キャ一軍、俺は陰キャ戦力外。お互い会話もなく訳が分からぬまま鑑定され、勇子ちゃんが勇者、俺が聖女だと診断された。俺男なんだけどって微妙な顔をしてたリックに言うと、「まあ役職名みたいなもんだから」って言われた。解せぬ。


 で、勇子ちゃんも俺もひと通り魔法やら剣の使い方を習ってから、いざ出発。


 魔王ってのは魔人に慕われてると思ってたけど、実際はそんなんじゃなかった。隷属の輪っかを付けられた魔人たちは、平和に暮らしたいのに魔王の言うなりになってたんだ。どんだけ人望ないんだよって思ったね。


 ということで、基本俺たちは隷属の首輪やら隷属の腕輪やら隷属の耳輪やら、とにかく瘴気を放つ輪っかをひたすら壊して回った。


 大抵の魔人は自由になった途端戦意を失い逃げていったけど、厄介だったのが脳みそが足りてない魔物、いわゆる獣系だ。こいつらは魔王の魔力さえ分けてもらえりゃ万万歳らしく、容赦なく俺たちを襲ってきた。


 勇子ちゃんが全身に浴びていたのは、そんな魔物の血だ。彼女はメンタルが大分あれなのか、動物に見えなくもない魔物を切り刻むことに一切抵抗を見せなかった。むしろ笑ってた。なお、俺は後ろでゲロってた。勇者、怖い。


 魔人に付いていた隷属の輪っかをほぼほぼ破壊して、後は英気を養ってから目の前にそびえ立つ魔王城に乗り込むぞ、という最後の夜。


 さすがに剣をぶん回しすぎて疲れた勇子ちゃんが早々に寝てくれたお陰で、男三人は穏やかな夜を過ごしていた。まあ、結界の外は今も魔物がガウガウ言ってるけどね。


「俺はもう寝る。魔力使いすぎた」とリックは立ち上がると、俺の顎をくいっと持ち上げて唇を重ねる。


 ……おい。


 俺がじろりと睨むと、リックは楽しげに「くはっ」と笑って「ご馳走様ー。これで明日は万全な体制でいけそうだよ、おやすみ」と去っていった。


 なーにがご馳走様だよ。呆れて溜息を吐いた。重ねるだけでいいのに、関係ない舌まで突っ込みやがって。


「……マサトの魔力はまだ残っているか?」


 ハディが、心配そうに尋ねる。こいつは俺の守護騎士だけあって、いっつも俺の心配ばかりだ。正直かなり減ってはいたけど、まだ余力は残してる。


 ハディにニヤリと笑いかけた。


「ハディも貰っとくか? 明日は正念場だもんな」

「――ッ!」


 目を見開き驚きを見せるハディ。まあ、そりゃそうだろう。こんな冴えない異世界人と、何を好き好んでキスなんてしないといけないんだと普通なら思う。しかも俺たちは同性だし。


「うそうそ、冗談だよ」


 相変わらず固まっているハディに笑いかけた。


 そもそも、なんでリックは俺に何の躊躇いもなくキスしていったのか。それにはちゃんとした理由がある。


 聖女の俺は、浄化は唱えるだけでできる。だけど治癒は、何故か対象者に触れないとできなかった。


 最初の頃、そのことが判明するまでの間、リックの野郎にあれこれ試された。その結果、キスが一番効率よく治癒できると判明したんだ。


 だから、俺のファーストキスは無精髭のチクチクの記憶と共にある。早く忘れたい。


 なお、勇子ちゃんが返り血まみれになってでも敵を抹殺するのには、間違っても俺とキスしたくない、という明確な理由があった。だから今日も回復の為さっさと寝ているという訳だ。あのさ、そこまで嫌い? 俺のこと。


「……さ、俺たちもそろそろ寝――」

「マサト、貰えないか」

「は?」


 これまで何度か、怪我を負ったハディにもキスをしたことはあった。だけどハディはいつも目を逸らしていたし、リックと違って舌を突っ込んでくることもない。


 だから本当はすっごい嫌なんだろうなあ……と思っていただけに、意外だった。


 ちなみに俺は、もう慣れた。これは仕事。以上。


 顔を真っ赤にしたハディが、言いにくそうに言葉を紡ぐ。


「その……明日は、」

「え」


 気が付いた時には、俺の唇にハディの唇が重ねられていた。びっくりして目を見開いている内に、ハディが目を逸らしながら顔を離す。


「――正念場だから」

「……あ、うん」


 なに、この空気。


 居た堪れなくなって、俺も顔を背けた。


 パチ……と焚き火の火花が散る。


「その……マサト」


 と、それまで沈黙していたハディが、真剣な眼差しで聞いてきた。


「ん? なに」

「マサトはその……ユウコのことを、どう思う?」


 ハディの頬は、焚き火の炎の照り返しよりも赤かった。


「頼む、本当のことを教えてほしい」

「……まじ? うわ、気付かなかったよ……」


 なんと、ここまで勇子ちゃんには振り回されたというのに、まさかの勇者xハディルートとは。


 まあでも、勇者だしな。それに滅茶苦茶美人だし、女はちょっと我儘なくらいが可愛いって言うもんな。と俺は自分を納得させた。俺は嫌だけど。


 そもそも、勇子ちゃんが厳しいのは俺に対してだけだ。俺と二人きりの時しか、分かりやすいディスりはない。だから、なるほど、ハディはライバルの有無を確認しているのかと気付いた。俺付きの守護騎士だもんな。だからずっと遠慮してたのかもしれない。


 魔王討伐が終わったら残るか帰るかの選択肢を、俺らは与えられている。世界に平和が戻ったら、ハディは勇子ちゃんをこっちの世界に引き留めたいんだろう。だからこそこのタイミングなんだ。


 ……うん、まあいいんじゃね? 俺は帰るから、後は存分に二人でハッピーになってくれ。俺は止めん。いや、むしろもう関わりたくないから是非引き取ってほしい。元の世界でも下僕扱いしてきそうだもん、あの子。


 結論が出たので、俺は菩薩な笑顔を作った。


「……いいんじゃない? 美人だし明るいし、なんてったって勇者だから強いし」

「……! そうか……」


 何故か顔を歪めて微笑むハディ。お? 俺が褒めたからって、早くも嫉妬か? はは、熱いねえ。まあハディならほぼ間違いないから、自信持ってくれ。リックが俺に舌を突っ込んでるのを見てから、勇子ちゃんのリックを見る目は汚れたケダモノを見るような目だし、だからライバルはいないぞ!


 ハディの肩をポンと叩く。


「さ、後は魔王討伐が終わってからにしようぜ。そろそろ寝ないと万全な体制で挑めなくなるぞ」

「……ああ、そうだな……」


 浮かない顔のハディに内心小首を傾げつつも、俺たちの会話はそこで終わった。


 そして翌日。


 死闘の末、勇子ちゃんは魔王に勝利した。


 傷ひとつ受けなかったその根性は、ここまでくると立派だと思う。


「ハディ!」


 だけど、代わりにハディが満身創痍の状態になってしまった。肩は噛み千切られ、血まみれの足は立てない状態だ。


 ハディの怪我は、俺のせいだった。片っ端から浄化していく俺に剛を煮やした魔王が、魔物に俺を集中攻撃させたのだ。


 リックは勇子ちゃんが魔物に襲われないように戦っていたから、俺を守るのはハディの役目だった。だからハディは、ハディは……!


「マサト……泣かないでくれ……」


 弱々しく微笑みながら、俺に向かって手を伸ばすハディ。俺は泣きながら、「馬鹿っ! 絶対助けるからなっ!」とハディを膝枕すると、思い切り口づけてやった。この際、嫌がろうが目の前にハディの想い人の勇子ちゃんがいようが関係ない。


 絶体絶命な今のハディの状況を、危機一髪だったなって振り返って笑えるようにしてやりたい。だってお前、勇子ちゃんに告白するんだろ!? こんなところでへたばってる場合じゃないぞ!


  ハディ、ハディ、だから生きろよ――! 俺の為に死ぬんじゃない――!


 パアァ……ッと、周囲が白い光に包まれる。大量の癒しの力が、俺からハディに注がれていくのが分かった。


 身体から力が抜けていく。


 くらりとしたと思った瞬間、ハディの逞しい腕が俺の背中を支えた。


「マサト!」


 先程までの苦しげな表情は、もうない。


「ハディ……よかっ……」

「マサト!」


 俺はハディの胸に抱きつくようにして、意識を手放した。


 ――で、次に目を覚ますと。


 びらびらとした豪華な天蓋が見えた。見覚えがある。城の俺の部屋のベッドだ。ヒラヒラ度が無駄に高いから、間違いない。……あれ、いつの間にお城に戻ってきたんだろう?


「――マサト! 目が覚めたか!?」

「ハディ……無事で……ゴホッ」


 喋ろうとしたら、喉がカラカラで咳き込んだ。「み、水……っ」と咳を続けながら訴えると、「待っていろ!」とハディが水が入ったグラスを手に戻ってくる。


 そして、何故かハディの口に含んだ。おい? それは俺の――。


 と思った瞬間にハディの口が重ねられ、俺の口の中が潤されていく。え……ナニコレ……。


 だけど俺の身体は正直で、生ぬるくなった水を「美味い、美味い」と飲み込んでいく。口移しを何度か繰り返された後、ハディはホッとした笑顔で俺の頬を撫でた。


「目覚めてよかった……もう目覚めなかったらどうしようかと……!」


 涙ぐむハディ。ここでようやく何日も死んだように眠り続けていたことを知る。


「ハディ、あとの二人はどうした……? 無事か?」


 ハディは微笑みで返す。そっか、二人とも無事か。曲がりなりにも聖女だから、守り切れて心底よかったと思えた。


 すると、ハディの微笑みがぐしゃりと歪む。


「……会いたいか?」

「え……? うん、まあ」


 魔王討伐が終わってから、労いの言葉もかけてない。勇子ちゃんはちょいちょいディスッてきてはいたけど、明らかに功労者だ。


 それに。


「勇子ちゃん、こっちに残るって言ってた……?」


 ピクリ、とハディのこみかみが震えた。何故か唇を噛み締めるハディ。……あれ、まさか告白は失敗したのか?


「ハディ、勇子ちゃんには――、」

「……マサトはそんなにもユウコのことを……」

「へ? いや俺は告白の……」

「告白!?」


 くわっと目を剥くハディ。あ、これ完全に振られ済みのやつ!? 告白の結果を知った上で勇子ちゃんとできるだけ離れたいなって思ったんだけど……できれば世界も離れ離れを希望する。


「……マサト、貴方は何も心配しなくていい。全て私の手に委ねてほしい」

「え? いやまあ、回復するまではお世話になるつもりだけど……」


 すると、何故かハディの奥歯がギリギリと鳴った。なに、どうしたのハディ……目が覚めてからのハディ、ちょっと大分おかしいよ?


「……マサトは元の世界に戻るつもりなのか」

「え? うん、そりゃあ家族があっちにいるし」


 それに、魔王を倒した今、誰彼構わず好きでもない相手とキスするのはもうごめんだ。特にリック。毎回舌を入れやがって。次にやったら、お前の舌を噛んでやるぞ。


 と、昏い目をしたハディが、呟いた。


「……やはりリックに頼むしかないか……マサトの唇を過分に貪った罪は許し難いが……」

「え……リックがどうかした……?」


 まだ思考がぼんやりとしてて、ハディの言っていることがよく分からない。


 ハディは何かを決意した強い眼差しを俺に向けると、大きく頷く。


「大丈夫。マサトは身体を元に戻すことだけ考えていればいい」

「はあ……?」


 褒賞とか凱旋パレードとか、色々あるのかな? まあハディが任せてくれというなら、俺はとにかく回復に努めよう。


「……うん、分かった」

「よかった――マサト、また後で」

「うん。……えっ」


 ハディは立ち去り際に何故か俺の瞼にキスを落とすと、颯爽と豪華な扉の向こうへと消えていったじゃないか。


 俺に疑問だけを残して。


「え……なに、今の」


 この時点で、俺はおかしいと思うべきだったんだ。だけど、危機一髪だったハディを救えたことに安堵して、深く考えなかった。目覚めたてでぼんやりしてたこともあると思う。


「……ま、後で聞こう……」


 勝手に閉じてくる瞼の前に、俺は再び眠りに落ちた。


 そして、夜。


 ウトウトしていた俺の部屋に誰かが入ってきた気配があって、開かない瞼の中で目を向ける。


 すると、熱い手が俺の首に触れたと思った直後、冷たい金属が間に滑り込んできて――カシャン、と何かがはめられる音が耳元でした。


 えっ?


 驚いて瞼を開く。真上から俺を覗き込んでいるのは、表情が読めないハディだった。


「ハディ……え、今なにを、」


 と、ハディの後ろから、別の男の声が代わりに答える。


「強化版隷属の首輪だよ。いやー、ハディに頼まれたから張り切って研究したら、超強力なのできたぞ! やっぱり俺って天才だよなあ」


 聞き慣れた声は、リックのものだ。だけど、何を言われたか、よく分からない。


「は……? 強化版……隷属の……首輪?」


 驚きに目を瞠る。ちょっと待て、隷属の首輪って、はめた相手の言うことを聞くやつだろ? なんでそんなのを俺に……?


 ハディの後ろから、楽しそうな笑顔のリックがひょいと顔を覗かせた。


「おー、ちゃんと動いてるな!」

「おい、ハディに頼まれたってなんだよ……? ちょっと待てよリック、お前一体何を言って、」


 と、ハディはリックの腹を肘で押しながら、涼しげな様子でリックに話しかける。


「感謝する、リック」


 リックはニヤリと笑った。


「魔塔への永続的な資金援助、約束だからな!」

「……今後、マサトへの接触は禁ずるぞ」

「分かってるって! マサトの口の中に舌突っ込む楽しみが減るのは残念だけど、研究資金の方が大事だもんな!」


 あ、俺リックに売られた? と気付く。でも、誰に? この状況だと……ハディ? でもなんでだ?


 リックがニヤつきながら、ハディの肩を抱く。


「いいかハディ、こいつはちょろいから、まずは身体から落とせ」

「身体から?」


 眉毛を上げて反応するハディ。え、なんでそこで反応するの? ハディってそんなキャラじゃないだろ?


「……分かった」


 ハディは強張った顔で頷くと、俺の前に跪いて俺の手を握った。


「じゃ、あとは若い二人でごゆっくりー」

「は!? おいリック、ちょ……っ」


 絶対使い方間違ってるだろって台詞を残して、リックが部屋から出て行く。え!? この状態のハディを残して行くの!?


 微笑んでいるのに昏い目をしたハディが、焦りまくっている俺を凝視した。


「マサト」

「な、なに……?」


 緊張してるのか、ハディの息が荒い。え、本当になに? なんで俺に隷属の首輪なんてはめたんだ? まさか……聖女の力を政治利用にする為に……?


 ゾッとして身体を引こうとしたら、ハディにガバッと抱き締められてしまった。


「マサト、聞いて欲しい」

「へ? ま、まあ、聞くは聞くけど……説明ほしいし」


 するとハディは目を潤ませて、上目遣いに訴えるように見る。


「ありがとう、マサト……! ではさっそくなのだが、こちらの世界に残り私と結婚してもらえないか」

「え」


 は? 何言ってんの? あ、いわゆる政略結婚てやつ!?


 しかし、俺は聖女とはいえ男だ。普通に無理だろ。勇子ちゃんに惚れているハディの為にも、ここはきっぱりと断るべきだろう。


「待てよハディ。いくら国の命令だからって、王子のお前が子供も産めない俺と結婚してどうする?」

「問題ない。王家は弟が継ぐ」


 弟いたんだ。知らねえ。


 だけど、こんなことで諦めるのはまだ早いぞハディ。


「そもそもさ、お前が好きなのは勇子ちゃんだろ? こんな簡単に諦めていいのか?」


 すると、ハディが思い切り顔をしかめた。え、それどういう顔?


 ハディが吐き捨てるように言った。


「私がユウコを? 冗談だろう。あんな自己中心的我儘女を好きになる要素など微塵もない」

「え? いやだって、魔王を倒す前の日に聞いたじゃん」


 と、ハディが仰々しく溜息を吐く。


「あれは……マサトの気持ちを確かめたかったんだ。あんな女のどこがいいのかと半信半疑だったが、マサトが褒めちぎったのを聞いて、私の望みは薄いと確信した」

「待って、なんの望み?」


 どうも話が噛み合っていないような。


 俺たちは互いに小首を傾げた。恐る恐る、伝える。


「俺……勇子ちゃんはどっちかと言わずともきら……ゲフン、に、苦手だぞ?」


 ハディが目を見開いた。なんで嬉しそうなの?


「なんと! そうだったのか?」

「う、うん。だから彼女がこっちに残ってくれたらもう二度と会うこともないし、心置きなく帰れるなーって……」


 その瞬間、ハディの笑顔に凄みが増す。え、こわっ。


「……『勇者ユウコは、元の世界に帰る』」

「えっそうなの? あの子納得した……」


 と、ドアの外から突然金切り声が響いてきた。ひえっ!?


「な、何これ!? なんで身体が勝手に!? いやよ! 私はハディと結ばれてこの国の王妃になるんだからっ!」

「えっ!? 勇子ちゃん!?」

「この指輪っ! 結婚するからくれたんじゃないの!? 取れない! ちょっとハディいるんでしょ!? なんでずっと田原んとこに入り浸って私のとこにこないのよ! 開けろ! 開けろおおおっ!」


 ガン! ガン! と固い何かでドアが叩きつけられる音がする。こ、怖いよ! 勇子ちゃんまじ怖えっ! あれ、勇者の剣使ってない!?


 俺がビビって縮こまっていると、何故かリックの声まで聞こえ始めたじゃないか。


「はいはーいユウコ、もうこれ絶対従わないとだから。てゆーかあいつ、いつの間に俺にも隷属の腕輪付けてたんだよ!? 信じらんねえ、ハディのやつ!」


 え、どういうこと? と思いながらハディを見ると、ハディはにっこりと笑った。そして、なんかいっちゃってる目で瞬きもせず俺を見つめながら、んだ。


「マサト。ひと目見た時から貴方を愛している。貴方の涼しげな瞳が私を見つめる度、恋しさが募って苦しかった」


 まあこっちの世界では俺みたいな一重はいないもんな。


「だから――『こちらの世界に残って、私と結婚するんだ』」


 ハディが言った途端、俺の意思に関係なく口が勝手に動いた。


「『うん、こっちの世界に残ってハディと結婚するよ』」

「――マサト! 嬉しいよ!」


 ガバッとまた抱き締められて、俺は「え!? え!?」と驚く。ま、まさかこれって、隷属の――!


 ハディが、闇を感じる眼差しで続けた。


「これで婚約は成立だ。後はリックの言う通り、身体から落とせばマサトの心もいずれ……!」

「ちょ、ちょっと待とうかハディ!?」


 部屋の外では、勇子ちゃんが叫び続けている。


「いやだあああ! 帰りたくないいいっ! 私はここに、いやああ」


 ブツ、とテレビが消えたように、突然勇子ちゃんの声がぶち切れた。


「……まさか、帰され……」


 ハディが妖しい笑みを浮かべながら、


「邪魔者は帰った。さあマサト、『私を受け入れてくれ』」

「――ッ!」


 ま、待て俺! なんで頷いてる!? やめろハディ、顔を近付けるな、服を脱がせるな!


「馬鹿っ! こんなことしても、王様がいいって言うわけないだろーが!」


 すると、ハディがフッと笑った。


「問題ない。既に父上にも議会の者たちにも隷属の腕輪をはめてある」

「――はい?」

「私たちの愛を裂こうとする者にはもれなく隷属の腕輪をはめるから、マサトは何も心配しなくていいぞ」


 え、それって。


「う、嘘だろ……っ」


 ――俺、次代魔王誕生の瞬間に立ち会ってるんじゃ……。


 まさかの展開に、乾いた笑いが漏れる。


「は、ははは……」

「愛してる、マサト」


 艶やかな笑みをたたえたハディにゆっくりと押し倒されていく中、俺は「勇子ちゃん、うざがってごめん……! 戻ってきて!」と祈るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖女な俺と隷属の首輪〜魔王討伐が終わった後が本当の危機一髪だなんて聞いてない! ミドリ @M_I_D_O_R_I

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画