記憶、それはときに残酷で
午後四時。志弦が決着をつけてから三十分ほど経過した。
(そういえば…)
二人の元に戻ってからそこそこ時間が経った気がした。
「外見て来るね」
「うん」「おぅ」
癒月が玄関に向かうとちょうど
「ただいま〜ねーちゃんいる?」
「お冬ちゃん、おかえり〜…って志弦さま⁈」
「あ〜やっぱ、ねーちゃんの知り合い?」
譜雪姫に肩を貸された脱力状態の志弦。
「えっと、客間に布団敷いてあるはずだからお連れしなくては…。お冬…」
「いーよ、寝かしときゃいいんだろ?うちがやっとく。から、弁当とかスモックとか頼んだぞ、ねーちゃん!」
譜雪姫はリュックをおろして癒月に渡す。それから志弦を姫抱きして客間に連れて行く。
(たしか、しづるって言ってたから…あ、ねーちゃんと違う部屋なんだ)
客間の格子戸の引き手のちょうど目線あたりの場所に小さなファイルが画鋲留めされていて厚紙が入っている。それはこの部屋に泊まる客の名前を印刷したものだ。
「っと…」
カラカラカラ…と静かに開けて手前に敷かれている布団にそっと下ろす。
青い髪に白い肌。雪の結晶を背景にした鶴のヘアピン。
(まさか、な…。ま、あとはねーちゃんに任せとこっと!)
譜雪姫は癒月の部屋に向かった。
「あれ、ねーちゃんは?」
癒月の部屋にいたのはゆかりと瑠永だけで当の本人はいない。
「えっと、はじめまして…?」
ゆかりが挨拶をする。癒月と同じ髪型でありながら癖っ毛が目立ち、ふわふわとした印象。髪は水色で緑と桜色のオッドアイにメガネをかけている。
「確かにはじめましてですね」
初対面の相手ということで譜雪姫は扉を静かに閉め、左足を半歩引き、そのまま垂直に身体を下ろし、左膝が畳に触れたら立った右膝も折って、姿勢を正した正座で自己紹介をした。
「先ほどは失礼した。うちは桜屋敷譜雪姫と申します。北斗七星学園中学高等学校、中等部二年。癒月ねぇの妹です。以後、お見知り置きを」
そして一礼。瑠永とゆかりも一礼の後、自己紹介をした。
「翔空女子高等学校一年、真田ゆかりです」
「私は同校一年の松井瑠永」
「癒月ねぇと同じ学校の…!」
「そうそう」
「あ、いたいた」
「ねーちゃん」
癒月が自分の部屋に戻ってきた。
「あ、お冬ちゃん。ゆづ、志弦さま診るから二人にいろいろ案内しといてくれる?」
「いーけど…、」
ここからドア付近で音量を下げて話した。「なんでうちの玄関の前でぶっ倒れてたんよ?」
「たくさん出たの。時間単位でかかるくらいに」
「おーまじか。で、そのしづるさまとやらは術者が何か?」
「んーわかんない。けど、土地神さまに刀の稽古をつけられたとか」
「わぁ〜すっごぉい…。ただもんじゃねぇな…」
「お冬ちゃんならなんかわかったんじゃない?」
「わかったはわかったけど、噂と名前違うんだよね」
「所詮は噂だよ。少しくらい違くたって」
「そうだね」
話が終わったところで二人に声をかけた。
「それではこれからは譜雪姫に引き継ぎます。私と違って地図に強いので」
(おいおい、どんだけ広いんだ…)
(住人が迷うんだ…?)
譜雪姫が瑠永とゆかりを連れて部屋を出る。癒月は志弦のもとに向かった。
志弦は生きているのか不安になるほど静かな呼吸ながら、人のぬくもりを失ってはいなかった。
(このヘアピンに、なんの力が…それに、志弦さまは特別そういう家柄という感じもしませんし…)
この世界には術者と能力者がいる。後天的にそういう力をつけたものを術者と呼び、先天的、そういう家系の力持つ者は能力者と呼ばれる。数例ではあるが、そういう家系でなくとも突発的に能力者が生まれるケースがある。
(もしやそれなんですか…?)
動きもせず眠っているその姿は消えそうな危うさを纏っていた。時々、青い髪が薄くなるのは力の暴走と思われる。
「ごめん、なさい…」
何に対して、誰に対しての謝罪なのか。
(謝罪とは、己の非を認め、相手に赦しを乞う行為ではないのですか。あなたの罪はなんですか。何も悪くないのに謝っているのだとしたら、それは…)
「な、らないで、ください…」
(…ん?)
「蹴らないでっ…!」
「——!」
音も気にせずガラッと戸を開けて癒月は自分の部屋に戻った。
(この時間なら案内は終わっていても…)
「ゆかりっ…‼︎」
音がなるくらいの勢いでドアを開け、自分が思ったよりも大声で自分も周りも驚いている。
「癒月、ちゃん…?どうしたの?」
予想通り、譜雪姫の案内が終わった二人は自分の部屋にいた。
「来て、ください…。志弦が、志弦が……」
「うん、わかった」
(やっぱり、なっちゃったんだね)
「瑠永ちゃんも来て。たぶん、そろそろ時効だから」
「…?おう」
「ふゆめちゃん、何か落ち着きそうなものありますか?たとえば、あったかい飲み物とか」
ゆかりが譜雪姫に話しかける。
「あります!少々時間を頂ければ、お作りして持っていきます!」
「なら、お願いします。それと、入室はしないで扉の前に置いておいてください」
「…?わかりました」
「置いたら自室か何処か、話が聞こえない場所にいてくれますか?」
(まだ幼いあなたには早すぎる。それに、志弦ちゃんだってはじめましての、しかも年下の子に見せたくないと思うんだ)
「…わかりました」
(大人の世界として理解しておきます)
譜雪姫がキッチンに向かったことを確認してそっと客室に入る。そこには「ごめんなさい、嫌だ…傷つけないで…」と繰り返す志弦がいた。
「しづる…」
「ごめんなさい…ごめん、なさい…」
(何が、あったんだよ…?)
ゆかりが志弦に触れようとすると両手をバッテンにして頭を守るようにした。
「——!」
瑠永にはその動作に覚えがあった。殴られるのを防ごうとするその仕草。よく母親がしていたそれ。
(そうか、お前…)
「大丈夫だよ、志弦ちゃん。ゆかりだよ」
「ゆか…?」
「うん」
「あれ、え、僕は…?ここ、どこ…?」
起き上がって辺りを見回す。
「癒月ちゃん家の客間。妖怪退治の後、倒れてここに運ばれたの」
「そー、なの…?」
そんなの知らないんだけど…と続きそうな反応。
「全部やっつけた⁈」
大事なことを思い出したように叫んでは息が詰まったような感じがして激しく咳込んだ。
「ねーちゃん」
「ありがと」
譜雪姫は戸の前に盆に乗せたあたたかいココアを置いて自室に向かった。
「落ち着きな」
瑠永の細く長い、骨々しい指が志弦の背中を撫でる。
「全部消しましたよ」
癒月が問いに答える。
「ユヅ、妹と話すように喋ってくれ?それが砕けた話し方ってもんだ」
「いまそれ言います?」
「言った」
「あー…はいはい」
志弦とゆかりは「なんかいいね」と微笑んだ。
「んで、よ…。しづる、何がそんなお前を苦しめてるんだ?…まぁ、大体の予想はついたけど」
「…ただのフラッシュバックだよ」
「『ただの』じゃねぇんだよなぁ…?独りで抱え込まないでくれよ。私ら、何か抱えている同士支え合おうぜ?」
「うん、なぜわかった…?」
聞こえるか、聞こえないかギリギリの声量でも瑠永は拾った。
(勝手に巻き込まれてませんか、私)
「そりゃお前、自分で明かしてただろ」
「そーだっけ…?」
「まー、話を戻して、だ」
これじゃあ、話脱線しちまうからな、と譜雪姫が置いて行ったココアを志弦に一口飲ませる。
「お前、見た感じフラッシュバックとか、そういうの日常的にあんだろ。で、記憶も吹っ飛んでるんじゃねぇの?ゆかりは教えてくんなかったけど」
「なんで、わかるの…?」
見抜かれていた。再会したばかりのはずの人に。それは育ち故か、見たらわかるのか。
「見たらわかるさ。私を誰だと思ってる」
射抜くような視線で志弦の目を見る。
「もうこの際、洗いざらい吐いちゃいなよ。人が独りで抱えられるキャパなんざ、そんな多くないし、私らなら誰も悪いようにはしねぇって」
「お言葉ですが、瑠永さま。『悪いようにしない』は悪人の常套句です。前言撤回してください」
「いちいちそういうの気にすんなって…」
「気にします。そういう家系です」
(どういう家系だ、それ…?)
あーもう!っと頭をカシャカシャ掻いては
「お前ら私の保護下に入れよ!」
「瑠永がいちばん保護されるべきでは?」
「瑠永ちゃんが真っ先に保護されるべきだよね?」
「瑠永さまがいちばん危険なのでは?」
そう返されてしまった。
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